表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/262

51 ユグフェナ城砦防衛戦・9

 声も出なかった。結果的には、口を閉じていたのは運が良かったかもしれない。


 腹のあたりを掴まれて、内臓が飛び出すかと思った。視界が大きく揺れる。痛みは殆ど無かった。


 まず目に入ったのは、スライドするように流れていく地面。次にそれに写る影。

 グライダーのように広げられた狼竜の翼が、風を切って滑空していた。


「──無事!?」


 すぐ側から懐かしい声が聞こえる。先程とは別の意味で息が詰まった。

 離れてから──正確には、遠ざけてから──それほど時間が経ったわけでもないのに。目頭が熱くなりそうなほど、その声は私を勝手に安堵させる音をしている。

 しかし、同時にじわりと不安がその安堵を塗り潰す。頬が強張って、喉が一瞬にして凍り付いた。


「……命令、違反だ。勝手に持ち場を離れるのは」


 そんな言葉が言いたかった訳ではない。だが、言いたかった言葉は喉の奥で絡まるばかりで、出て来ようとはしなかった。


「全く、本当にツァーリは可愛くないね」


 穏やかな苦笑と共に、身体がラスィウォクの背の上へと引き上げられる。その態度にさえ胸が苦しくなった。


 ──カミル。どうしてお前は此処に来た。


「大丈夫か、エルベティア殿ーッ!!」


 上から更にこれもよく知る声が降ってきて、振り仰ぐと赤い翼の狼竜が翼をばさりとはためかせる。赤紫色の翼をしたラスィウォクとは異なる美しい色合いが太陽の光を美しく透かしていた。恐らく、ラスィウォクの兄弟の狼竜だろう。


「クラウディア殿?」


 その翼の横から、風に見事な金髪を流してクラウディアが顔を覗かせた。暫く振りに会ったからか、エしか名前が合っていない。誰だ、エルベティアというのは。


 何故ここに二人がいるのか。困惑と共に眉を寄せると、クラウディアの後ろからもう一人顔を出した存在が居た。


「……誰だ?」


 何処かで見覚えのある顔だ、と思った。

 その何者かは成人を迎えて少しした年頃の青年だった。美しく整った精悍な顔は少しだけ厳しく、風に靡くマントにあるのは間違いなくユグフェナ国境騎士団のものだ。

 厳しい表情がどことなくテレジア伯爵を思い起こさせる。それが既視感の原因だろうか。


「話は後で!」


 男はただ一言をそう言って、赤い翼の狼竜を上昇させた。

 作戦を決めてあったのか、カミルもラスィウォクを上昇させる。足のすぐ横で翼がばさりと音を立てて羽ばたいた。

 二匹は軽々と舞い上がり、ユグフェナ城砦の屋上の上までやって来た。眼下で殺し合う兵達の敵味方両方が何事かと天を仰ぐ。


 赤い翼の狼龍の上で、どんなバランス感覚をしているのか、クラウディアが愛用の槍を片手に、そして何故かもう片手に弓と矢を持ってすっくと立ち上がった。

 口元はにんまりと釣り上がり、ぞっとするほど純粋で、楽しそうな笑みを浮かべている。それでもその表情が父の悍ましい笑顔と重ならないのは、その笑みに昏い感情が含まれていないからだろうか。


 そうして──クラウディアは躊躇いなく狼竜の背から飛び降りた。武具を手にしたまま腕を組み、堂々と仁王立ちで戦場のど真ん中に降り立つ。


 ドン、というクラウディアの盛大な着地音がユグフェナ城砦に一瞬の静寂を齎した。

 それほどの高さを降りた訳ではないが、どうしてあれで骨や内臓を傷めないのだろう。傍目にはどう見ても着地の衝撃を受け流したようには思えなかった。

 一体どこまであの少女は、常識外れな存在なのだろう。場違いなほどシュールなクラウディアの行動に、思わず緊張感が少しだけ緩む。


 クラウディアはすっと息を吸い込んで、朗々と名乗りを上げた。


「我が名はクラウディア・ローレンツォレル。カルディア子爵への恩義により、この戦、ユグフェナ城砦騎士団の御方々の助太刀させて頂く!!」


 鼓膜がビリビリいうほどの声量だった。彼女の側に立っていた兵や騎士達が、やはり敵も味方もなく耳を抑える。

 乙女ゲームの世界にいつまでも居ないで少年漫画へ帰ったらどうだ。


「ギュンター殿ォ!」


 クラウディアは再度大声を張り上げると、敵兵と鍔迫り合いのまま固まっていたギュンターへと弓と矢をぶん投げた。

 一早く正気に戻ったらしいギュンターがそれを片手で取ると同時に剣を落とす。……相手の足へと。


「──あがッ!?」


 他の全員が正気に戻るのと、ギュンターが弓に矢を番えるのは同時だった。

 剣を足に落とされた兵の眉間をギュンターの放った矢が貫く。


「あの人、剣も槍も領軍の中だと飛び抜けて上手い癖に、一番得意なのは弓なんだって」


 何が起こったか分からずに、呆然と眼下の光景を見ていた私に、カミルの声がそっと降りてきた。


 四方から切り掛かってきた敵兵達を、その細腕の何処にそんな力があるのかというほど軽々とクラウディアが弾いて穂先を繰り出す。そのまま流れるように槍を引き、柄の後ろで背後の敵の鳩尾を撞いて昏倒させた。かと思えば金属製の槍の重みを活かして横に一線、群がる敵を吹き飛ばす。

 獅子奮迅の活躍をする少女に頬が引き攣るのを感じた。


 と、カミルの片腕が後ろから私の腹に回される。ラスィウォクがぐんと下降した。

 咆哮と共に貴族棟と騎士棟の間の塔の周辺に散る敵兵をその巨体が跳ね飛ばす。


「降りるよ!」


 言うが早いか、私を抱えてカミルはひょいとラスィウォクの背から飛び降りた。腹から内臓に負荷がかかり、ぐぇ、という声が喉の奥から飛び出す。


「今のうちに!」


 敵に囲まれて、気絶した二人を守るのに手一杯だった騎士達が機を見て駆けていく。カミルは私を抱えたまま彼等に続いた。


「ク、クラウディアやラスィウォク達は!」


「大丈夫、足手纏いの護衛対象が居なくなればあの程度の人数には負けないよ」


 慌てて声を上げたが、カミルからは穏やかにそう返された。

 だが、私の頭の中では先程見たドミニク達領軍の兵の死に様が繰り返されている。


 カミルは『負けないよ』、と言った。一人も死なない等とは言っていない。

 しかしそれは──これが戦である限り、仕方のない事ではないか。戦となった時には兵の、或いは時に自分の死さえ、受け入れる覚悟で私は兵を引き連れて此処へやって来たのではないか。


 口の中に溢れる唾を一息に呑み込んで、背後を気にするのはそれで最後にする。


 生きていろと願うのではなく、勝て、と願った。彼等の勝利と犠牲がそれ以上の人間を生かす。

 それを知っていて、私はここに来た筈だ。


 だからこそ、彼等の死を次に繋げるためには私は出来るだけ生きねばならない。少なくとも、警戒を欠いて復讐で殺されてやるなど絶対にしてはいけないだろう。


 じわりと冷たい気持ちが再び蘇ってきて、まるで喉に蓋をするように息を詰まらせる。

 自分を抱えるカミルの腕から身を捩って脱した。


「──ツァーリ?」


「自分で走れる」


 彼が戸惑ったように伸ばした手を、さり気無くかわした。人の目のある所ではカミルは私を殺そうとはしないらしい──罪には問われたくないのかもしれない。

 今、此処で私が斬り殺されても『戦死』の扱いになるだろう。カミルが本当に私を殺そうとしているなら、そして罪をとわれたくないなら、この防衛戦は絶好のチャンスの筈だ。


 ──カミル。どうしてお前は此処へ来た。


 再度心の中でそう呟いた言葉は、胸の奥に突き刺さってじくじくと痛んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ