46 ユグフェナ城砦防衛戦・4
前話の後半を変更しました。
「敵の狙いがいまいち読めない。デンゼル軍の方は私達が砦から出ている事にそろそろ気がついているとは思うが……天幕を張り、張りぼての陣を作って本人達がそこを離れるとなると……」
「確実に罠である予感がします」
寧ろそれ以外には考えられない。大平原の向こうにはっきりと見えてきた影を睥睨してそう答えれば、ああ、と同意の声が上から落ちてくる。
「……陣には騎士団を偵察に向かわせよう。他はここで待機だ」
「敵の狙いがわからないまま立ち止まるのは危険ではないのですか?」
「確かにそうだが、此処は平原で見通しもつく。このまま敵の陣の方へ行くよりはまだ安全な筈だ。領軍の元へ戻ったらば左翼の兵は予定通りシル族の保護とその追手の迎撃に備えるよう、パランケス隊の隊長へと連絡して貰っても良いだろうか?」
パランケス隊と聞いて、先程の副団長の件を思い出して渋い思いがこみ上げる。
連絡したところで話を聞かない者には意味が無い。……その場合、命令違反として後々砦に戻ってからが大変なのは相手側だ。
身分差による不敬罪も必然的に上乗せされて、あの白髭の副団長は果たしてユグフェナ城砦に居残る事が出来るのだろうか。
「分かりました」
浮かんだ感情と疑問を押し包んで頷く。すると、再び脇に手を差し込まれて身体が浮いた。
「いい子だ。気をつけて」
酷く慈しみの込められた囁きが最後にそっと落ちてくる。そのままあわあわと頼りなく馬を繰る見習い兵士の前へと戻された。
慌てて手綱を取ると、馬が軽く前足を浮かせて嘶く。
それを押さえ込んで左方向へと馬頭を向けさせながら、ちらりとエルグナードの方を盗み見た。
彼はもうこちらを見てはいなかった。
パランケス隊の先頭に馬を走らせた。すり抜けていった中央軍は既に動きを止め、先行する右翼の後列にいる兵は戸惑いながらその様子を伺っている。
「パランケス隊の隊長はいるか」
先程は副隊長が列を離れてカルディア子領軍のところまでやってきたので、行軍の指揮を執っているのは隊長だろうと考えて先頭を目指したが、そこに居たのは白髭の副団長だった。副団長は私に笑いかけて、どうされましたかな、と問いかけてくる。
「エルグナード様より、停止命令だ。軍を止めろ。それから、隊長はどこにいる?」
「隊長ならば、カルディア子領軍へと向かいましたよ」
「は?」
予想外の名前が出てきた事に面食らって、思わず聞き返してしまった。パランケス隊の隊長が、私の領軍に何の用だというのだ。
男の浮かべる笑みがにたりと一瞬だけ悪意に歪む。
「先程カルディア子爵がどこかへ向かっていくのを隊長は見ておりましてなあ。指揮を取れる者がおらんだろう、と子爵の代役を務めに向かいましたぞ。何しろ、カルディア子領軍といえば階級も作れないほど落ちぶれた軍と有名ですからなあ」
「…………」
子供を相手に嬉々として心に傷をつけよう、という卑しい害意が明け透けな言葉だった。その醜悪さには、もう関わりたくもないと思うほど。
「言っていい事と悪い事の判断も付かないような無能が指揮する軍よりはよっぽどマシだと思うんです」
後ろに乗せたパウロがあっけらかんとそう言い放った。あんまりな言い様に噴出しそうになるのを堪える。
副隊長の白髭の奥の嫌らしい笑みが一瞬にして引っ込んだ。
「なっ……」
「子供だからって侮って、貴族をこきおろして楽しむなんて頭も趣味も悪い遊びする命知らずがカルディア子領軍に居なくて良かったなって今凄く思ってるところです」
自分で言っておいて、パウロは遠慮無く自分の放った皮肉に笑った。初陣でテンションが上がっているのかもしれない。
顔を真っ赤にした副団長をこれ以上相手にする気も起きず、馬の手綱を繰る。さっと走り出した馬は、副団長のすぐ横をいとも簡単にすり抜けた。
随分と遅い反応速度で僅かに上げられた副団長の腕は見なかった事にした。その腕をどうするつもりだったのか、考えるのも煩わしい。
さて、領軍の連中はどうしている事か。そこに居るのはあの男を副隊長に据えておく隊長とやらである。どういった人間なのか、およそ見当がつくというものだ。
「すみませんでした、お館様のお話に勝手に口を挟んでしまって」
パランケス隊から離れると、後ろのパウロが自分の不敬を謝った。先程の痛烈な皮肉を飛ばして笑ったような、おかしなテンションは既に無い。
「良い。口を利くのも汚らわしいと思っていた所だった」
一拍を置いて、パウロはくすくすと笑い声を上げた。
「お館様はそんな風に思うんですね。やっぱり、僕よりもよっぽど大人みたい」
領軍の列の先頭では、ギュンターが誰かに怒鳴り散らしながら行軍を進めるという妙に器用な事をしていた。
「だから、あんたの勝手な判断には従えねえって!行進指揮は俺がカルディア子爵から直々に賜ったお役目だって言ってんだろうが!」
「何を騒いでいる、ギュンター」
ギュンターの迫力ある怒声に耳を押さえて声を掛ける。
「……お、ああ、お館様。丁度いいとこに返ってきた。こいつおっぱらってくれねえか」
振り向いたギュンターの顔は苛立ちに満ちていた。沸点の低いギュンターがよく相手を殴り飛ばさなかったものである。状況的に自重したらしい。
「おお、カルディア子爵。お戻りになられましたか」
ギュンターの向こう側から、場に似合わないほど陽気に取り繕ったその声が聞こえた瞬間、ギュンターの顔が盛大に顰められる。その肩越しに、爬虫類を思わせる顔立ちの壮年の男が見えた。パランケス隊の隊長だ。
「……ギュンター、エルグナード様から停止命令が出た。兵を止めろ」
馴れ馴れしく話し掛けられたのを無視してギュンターにそう命じれば、ギュンターはやれやれと首を振って剣を掲げた。隊長はキョロキョロと視線を動かす。
「行進、止まれ!」
後続の兵がピタリと立ち止まる。カルディア子領軍は只でさえ人数が少ないのだ。勝手さえ知っていれば、統率は容易い。
カルディア子領軍の指揮能力の低さをあげつらう為にここへやって来た隊長は、それを酷くつまらないといった表情で見ていた。