26 雨の日
「クラウディアを領軍に入れる?」
「ええ、食客という扱いで領軍に籍を置いて頂き、私の護衛に付いて貰う。どうでしょうか」
天気は正午前から崩れて、久々の大雨だ。カルディア領は水が豊かな割に雨は少ない。
ざあざあという窓の外の濁音に包まれる執務室で、私の突然の提案にテレジア伯爵が数度目を瞬かせた。
「……もう少しそなたがクラウディアに慣れてから、私からその提案はするつもりであった」
「それはやはり、カミルを東の開拓に送るためということですか」
クラウディアが私の護衛に付くのであれば、今まで護衛を勤めていたカミルを動かす事になる。これからのタイミングで予想の付くカミルの動かし方といえば、難民の開拓村予定地にカミルを配置する事だ。
そこそこ万能でアークシアの外の文化の見識があり他人と打ち解けやすく、なによりテレジア伯爵からの信あるカミルは開拓の現場に派遣するにはこれ以上にない適役である。彼の抜けた後に残る穴はただ私の護衛役という一つであるので、代役のクラウディアさえいればカミルをすぐにでも動かせるだろう。
テレジア伯爵はこくりと頷き、私の予想に肯定を返した。
「クラウディア殿は既に軍部に頻繁に出入りしています。私の誕生祝以降少々落ち着かない様子を見せる領軍の兵達も、クラウディアを動かす事で纏まる部分が出てくるでしょう」
クラウディアの槍の腕前に惚れ込んでいる兵は多い。元々うちの領軍の兵士は強者優先の気風がある。だから年若いギュンターが古参兵よりも上に立つ事に不満が出ない。
そして彼らの殆どが以前盗賊に身を窶していた事もあり、女性に従う事にもそれほど抵抗は無い。盗賊の中には女性も多く存在し、実力主義の盗賊団では稼ぎの多い女に従えられている者もいたからだ。
扱い方さえ間違えなければ、確実にクラウディアは領軍を纏めるのに役立つ。
「私は砦の外側で不安に苦しむ難民を、一刻でも早く我が領の民として受け入れたいと思っています。クラウディア殿を護衛として、カミルを派遣する事に対して、異議はありません。あのカミルであれば、こちらの意を汲んで開拓地を上手く運営してくれるでしょう」
「エリザ……?」
私が話を纏めようとすると、どうしてかテレジア伯爵は急に戸惑ったような表情をした。
私の目を覗き込むようにテレジア伯爵の黒々とした瞳が私を見つめる。心の内まで見透かされそうな気がして、窓の外へと視線を逃がすと、テレジア伯爵はそっと瞼を閉じて、暫く考え込むような素振りを見せた。
「……いや。うむ、そうだな。早速クラウディアと話をし、カミルに開拓村の事を指示しよう」
「ではそのように。まずはクラウディア殿を呼んで参ります」
一礼して、執務室を出る。後ろから「顔色が悪いので、その後は少し休みなさい」というテレジア伯爵の声が追いかけてきた。そんなのは自分でも解っている。何しろ朝からずっと胃も頭も痛くて、気を抜けば嘔吐するほど気分が悪いのだ。
流石に雨が降っている日はクラウディアといえど大人しく部屋にいるようで、彼女に与えた客室を訪ねると、普段より幾分テンションの低そうな声で入室の許可が返ってきた。
クラウディアの私室には私物の類が殆ど置かれていない。彼女が此処へやって来た時、彼女は殆ど身一つのような状態だった。部屋のものを丸ごと持ってきたようだったエリーゼと対照的だったため、よく記憶に残っている。壁際の床の、布を敷いた上に寝かせてある鉄製の槍が、部屋の中に転がるクラウディアの唯一の私物だった。
「如何お過ごしですか、クラウディア殿」
「これ以上ないほどに暇である。普段はあまり雨が降らないだけに、今日のように雨が降ると家の中でやる事が何も無いのだな」
手持ち無沙汰を全身で体現しているようなクラウディアは、寝台の縁に腰掛けてぶらぶらと足を振っていた。不満そうな顔と声でそう退屈を訴え、唇を突き出しているとまるで小さな子供のようだ。
「もしご希望でしたら、裁縫の用意をメイドに持たせますが」
ほんの少しいつも振り回される意趣返しに、ごく普通のご令嬢達がこんな雨の日に嗜むという裁縫を提案してみた。絶対にそんなものをクラウディアが趣味にしている筈が無い、と確信した上での提案だ。
「……それは、あれだな?私が裁縫なんてものがキライなのだと見抜いた上でそのような発言をして楽しんでおるのだな?」
「いいえまさか」
どうせこちらの意図には気づかずに断りを入れるだけだろう、と思っていたので、クラウディアの恨めしそうな返事は意外だった。さらりと流したけれど、内心では勿論非常に驚いているのだ。クラウディアにしては驚きの察しの良さである。もしかすると普段のハイなテンションのクラウディアは、空気が読めないのではなくテンションの高さゆえに他人の発言を意識の外へとかっ飛ばしているのかもしれない。
揺らしていた足を止め、むぅ、と下唇をほんの少し突き出したクラウディアは、ただ止まっているというだけで顔立ちの上品さが際立ってきちんとした家柄の令嬢に見えた。普段この片鱗くらいは見えればな……などと、やけに残念な気分になる。
「冗談はともかく、テレジア伯爵がお話があるそうです。執務室に来て頂いてもよろしいですか」
「よし、行こう!」
少しでも動き回るのが嬉しいらしいクラウディアは、私がそう用件を告げるなり寝台から跳ねるように軽やかに立ち上がった。先ほどの退屈そうな様子は何処へやら、である。一瞬前に令嬢に見えたのはどうやら錯覚だったらしい。動かなければ令嬢なのに、という呟きは口の中で転がすに留めた。
そうしてクラウディアはすたすたと部屋から出て、右を見、左を見、もう一度右を見る。何をしてるんだ。轢かれそうになるものはここの廊下は通らないが。
「エリナ殿……執務室とはどこであったかな」
……どうやらこんなに小さな館で、しかも毎日歩き回っているのにも関わらず、執務室の場所がわからないらしい。この人に護衛を任せるのが不安になってきた。ずっこけそうになるのも、溜息を吐きそうなのもぐっと堪える。カミルを開拓村に送ったらこのクラウディアと毎日行動するのだと思うと、自分で言い出した事とはいえ何とも言えない気持ちになった。
クラウディアの方も流石に少しは恥ずかしかったのか、ほんのりと顔を赤くしながら誤魔化すようにはにかんでいる。何とも言えない気持ちが倍増した。
「エリナではなくエリザです。執務室までご案内しますよ」
「いいや、場所だけ教えてくれれば良い。エリザ殿は私の寝台にでも横になって休んでいてくれ」
「え?」
「具合が悪いのだろう。そんな顔色の悪い子供に無理をさせるのは、騎士道に反するのである。さ、休んでいてくれたまえ。戻ってきたら部屋へと送って行こう」
クラウディアはにこにことそう言いながら私を部屋の中へと押しやり、扉を半分閉めて、颯爽と廊下を左に進んでいった。
格好良い事を言って出て行ったが、テレジア伯爵のいる執務室は廊下を右側に進んで階段を登った先である。
なんて残念な人なのだろう……。
今度こそ堪えきれなくなり深々と溜息を吐いてしまったのも、そろそろ仕方の無いことではあるまいか。
同時にほんの少しだけ笑えた。不思議と先ほどよりも頭痛や気分の悪さが引いていて、つまりそれはあの残念少女のお陰ということなのだろう。
クラウディアのお言葉に甘えさせて貰おうと寝台に身を投げ出す。朝は気分が悪くてのたうちまわるばかりだったのに、すんなりと意識が眠りへと遠退いていった。