38 こう見えて王太子は容赦が無い
部屋の中が一瞬、気まずい沈黙に満たされた。けれどその空気が膠着する前に、ぱん、と軽快な音に意識を引き戻される。
「失礼、虫が」
手を打って注目を集めたのは王太子だ。常通りのキラキラしい笑顔を浮かべ、「まあ、でも」と続ける。
「周りをこれだけ近衛の怖い顔した騎士達が囲んでいて、その中にいきなり引き摺り出されたら、どれほど自慢の令嬢だったとしても恐慌状態にもなりますよ。僕達、まだ学習院の学生ですからね」
「……殿下」
敢えての軽い語り口に、シュツェロイエ侯は喉を詰まらせたような表情をした。
彼は難しい顔で王太子を、それからグレイス、エミリア、私、と順番に見ると、最後にちらりとステファニアへと視線を流す。娘が打たれた頬を抑えたまま震え、声もなく泣いている姿を数秒の間見据え、静かに椅子へ座り直した。
「……愚女共々、御前をお騒がせして大変申し訳ありません」
「僕は大丈夫ですよ。ステファニア嬢も、安心してね。この場は取り調べじゃなくてただの事情聴取、話を聞かせてもらうだけなんだ。誰か、ステファニア嬢に氷嚢を持ってきてくれるかな」
警備責任者の娘が被疑者となっているために張り詰めすぎていた緊張の糸が、程よく緩められる。場の掌握に関しては、流石は王太子、と言うべきだろうか。
無論、ただの事情聴取というのは気休めに過ぎない。既に拘束されているのがその証拠なのだが、こういう場に縁のないステファニアは容易く宥められ、それで少しの落ち着きを取り戻したようだった。
……それにしても、伴奏者の方は随分静かだな。
3年生、北方貴族ホランド家の三男だというその男の、普段の為人は殆ど知らない。不安そうにはしているが、ステファニアと比べれば不自然なほど落ち着いている。自分の偽物が襲撃事件を起こしたというのに、あの静けさはいっそ不気味だ。
観察しているうちに、王太子が聴取を再開させた。集まった者達への情報共有でしかない前段階が終わり、今からが本題となる。
「我々がまず疑問に思っているのは……、襲撃者はどうやって、ホランド子息と同じ衣装を用意したかという点だ。ご令嬢、衣装はどのように決定し、どの段階で伴奏者に共有されたのかね?」
衣装制作は巫娘の課題の一環だ。学習院の寮宅内で作られている以上、情報流出の機会は限られている。
大抵地階に造られる器楽室の音くらいは近くを通れば多少は漏れるかも知らないが……服はそうではない。布地の劣化を防ぐためにレースカーテンくらいは最低でも窓に掛ける筈だし、虫の入りやすい地階に布仕事の部屋を用意することも常識的にはあまり無いことだ。
それに対するステファニアの回答を要約すると、前から仕えさせている針仕事用のメイド達に命じてドレスの形と材料を決め、それからそのドレスに合わせて伴奏者の衣装も作らせた。伴奏者にデザインを見せたのは半月前で、伴奏を妨げる型紙にならないよう、何度か仮縫いを着せて調整をした、というものだった。
「ちょっと待ってね」
話を聴き終えると、真っ先に王太子がそう発言した。
待てと王族に言われれば待つものしかこの場には存在しないため、誰も異を唱えはしないが──王太子は今の触りだけの話の、一体何が引っかかったのか。
実際に衣装制作を進行させた身としても、特別不審に思うような点は無いように感じだが……。
王太子はしばらく黙ったまま、じっとステファニアを見つめた。考えているような素振りをしているが、思考より見る事に意識を割いているような目つきだった。普段とは随分、雰囲気が異なる表情とも感じる。
…………、なんだか既視感があるな。
まるで人の心の底まで覗き込もうとするかのような……。
「ね、今日は課題発表の日だよ。巫娘候補は本来なら、今頃会場で歓談でもしながら、第二課題の発表を待つ事になっている。だから回りくどいのはやめよう」
穏やかな口振だったが、有無を言わせない圧を込めて、王太子はそう言った。
どういう意味だ、と黙って待っていた側が首を傾げるより先に、王太子はにこりと笑みを浮かべる。
「誰かホランド子息を立たせてくれる?それで、カルディア。ちょっとその横に立ってみせてくれないかな」
「は……」
……は?私が?
突然の指名に頭が追いつかないが、長年染みついた貴族の習性で、上位者からの指示には素直に身体が動いた。
言われるままに立たされた伴奏者の横まで進み出ると、王太子は「ちょっと背中合わせになるように向けてみて」と更なる指示を出す。
そこまでくれば、少し王太子のやりたいことが分かった。至近距離に立ったステファニアの伴奏者は、私と殆ど同じ背格好をしている。黒髪を切り揃えている長さも似ているかもしれない。
「僕は王太子という立場上、今日ここで行われた警備以外にもいろんな報告を毎日沢山聞くから、それらを知っている事で見えてくるものがある。ステファニア嬢、貴女がそもそもこの衣装を着せようとしていたのがカルディア伯爵だというのは、先程貴女自身が告白した通りだけど……」
嫌な予想はやはり王太子と同じだったようで、ゾワゾワと鳥肌が立つ。ステファニアの方をなるべく見たくなくなってきた一方で、少々哀れにも思う。
それを明らかにして何になるというのだろうか。とんだ尊厳破壊をしようとしていないか、この王太子。
「貴女、伴奏者をカルディア伯爵のマネキンとして選んだね?」
んぎゅ、のような奇声が聞こえた方に、努めて私は視線を向けないようにした。見たくない。
「そして君は、寧ろ最初からそれを取引条件としてステファニア嬢の伴奏者に名乗り出た。違うかな?ホランド子息」
……ああ、なるほど。そういう話の繋がりか。




