24 はやく明日が来ないかな
色々と動き出した情勢の中、悠長に二日掛けて馬車で帰る暇は無い。社交にかまけてる暇はあるだろうにって?貴族社会では社交ほど大切なものは無い。宿場町で馬を乗り継ぐようにして一日分駆ければ、酷い疲れに襲われながらもカルディア領に戻る事が出来た。
勿論、子供である私に一日中馬を操る程の体力は無く、クラウディアとカミルに交代で相乗りさせて貰う形になったが。
「留守中変わった事は?」
忙しいテレジア伯爵に変わって、留守を預かっていたベルワイエに不在中の事を聞く。
屋敷に着いたところで皆疲れた体に休息を与える間も無く、早速難民受け入れという大規模な事業に向けての準備に取り掛からねばならず、特に実権の集中するテレジア伯爵などそのまま執務室へ入って行ってしまったのだ。
クラウディアだけは領軍の訓練場へと向かっていったが、一体どこにそんな体力を余らせているのかという事は疑問に思うだけ無駄な事なのだろうか……。
ベルワイエが澱み無く挙げていく報告には大事となるような事は何も無く、屋敷に新しく入ったエリーゼとそのメイドのマーヤ、主にエリーゼの世話をしている新任の乳母の生活にも、四半月にも満たない程の日数では特に目立った変化も無いようだった。
「それから、『お嬢様』の事ですが……」
恐る恐るといった体で切り出したベルワイエに、エリーゼの追伸の事か、と予想をつける。『お嬢様』というのはあの子供を呼ぶのにベルワイエやメイド達が利用する呼称だ。
「申し訳ございません。先日、部屋の外へ出したところに、エリーゼ様と丁度出くわしてしまいました」
「知っている。エリーゼからの手紙にその事が記載されていた。私の類縁として誤魔化したそうだな。今後エリーゼから何かあの子供について詳しく聞かれるようであれば私から話す。上手く誘導してくれ」
思ったとおり、話の内容はあの子供についての事だった。
今後あの子供をどのように扱っていくかについて、テレジア伯爵の秘書としてベルワイエには把握させている。よって、それほど数の居ない屋敷の人間の動向全てを把握する事もせずにあの子供を外へ出し、まんまとエリーゼにその存在を露見してしまった事は、明らかにベルワイエの失態だ。この男らしくないミスである。
今後の対応についての指示を出し、他に報告事があるのかと口を噤んで続きを促すと、ベルワイエは何故か突然深々と頭を下げた。
「誠に、申し訳ございません。エリザ様からの信頼を裏切るような事を……。如何様な処罰も、覚悟は出来ております」
切々としたものが、その声には込められていた。
……下げられたままの頭を見上げて、伯爵の秘書も大変だな、とやや哀れみに似た感情を覚える。
テレジア伯爵は余計な人員を傍に置こうとしないので、ベルワイエは実際秘書の管轄外の仕事を平気で命じられるのだ。厄介な仕事を頼まれる上、ミスをやらかせば自分の半分も無いくらいに小さな子供にこんなにも頭を下げなければいけないなんて、ストレスの溜まりそうな職である事は間違いない。
そんな事を現実逃避の如く考えてしまうほど、彼と私の間の温度差は酷いものだった。頭を下げている人間の顔を下から見上げる位置に自分の視線があるというのがかなりシュールだ。
「……信頼しているのは、私ではなくテレジア伯爵だ。処罰も何も無い」
留守中あの子供の世話をベルワイエに頼んでいったのは、屋敷に残る者に他に適任が居なかったからで、その上テレジア伯爵からもそのようにせよという指示があったからだ。
確かに私から直接ベルワイエに頼みはしたが、それはあの子供の責任が私にあるからという理由からそうしたに過ぎない。期待を裏切ったというのであれば、それは端から信頼などしてない私ではないだろう。
返す言葉に窮したベルワイエに、報告は以上かと確認を取る。どこかもの言いた気な、それでいて悲痛なようにも見える表情を浮かべたベルワイエは、普段の鉄仮面からすると印象的だった。
カルディア領の東側は今だに手を加える切欠が無いまま、無人の湖水地が広がっている。受け入れる難民たちの居住区はそこにするつもりだ。
彼等は農耕民だが、それは元々の領民だって同じ事。耕した土地を難民に下げ渡すような余裕も無い為、新入りの方に灌漑作業を行って貰う事にする。
人の住む環境さえ整えば、元の領民から漁師が出てもいいだろうし、水の豊富な立地条件から他領から稲作の技術を取り入れる事も長期的な目線では不可能では無い。
次代どころかその孫の代まで平気で続くプロジェクトにはなるだろうが、それでもカルディア領が難民を受け入れるのはその見返りがあるからだ。
最も分かりやすい見返りはカボチャだろうか。
難民の中には新しい居住地を得る交渉の為に穀物の種を持ち出してきた者もいる。
生態系を極端に崩すのは怖いので難民には栽培出来る作物に制限を付けるが、取り敢えず彼等の持ち込んだ中ですぐに使えそうなのはカボチャであるそうだ。
こういうのはジャガイモがお約束ではなかったかと思ったが、カルディア領の土壌は水・栄養共に豊富なので芋はお呼びでない。
前世で聞いた話によれば、カボチャというのは栄養価が高く、強い作物らしい。麦類ばかり作っている領民の質素な食卓が、カボチャによって少しは改善すれば良いのだが。
それから、労働力というのも大きな見返りの一つだ。
他の領地から人の移って来る事の無いカルディア領は、兎に角人出が足りなくて何か新しい事を始める余裕が無い。領民は自分が生きていくのに必要な黒麦の栽培で手一杯であり、領内は殆ど停滞した状態なのだ。
それでは東の湖水地に手を付けるのに、何年待つのかという話になる。既にある畑を維持する為の労働力に余剰分が生まれて来るのを待たねばならないからだ。
その点、難民の受け入れによる大量の人員確保であれば、それがそのまま余剰労働力として考える事が出来る。
元から居る領民との諍いも居住地が離れているのでそれ程問題とはならないだろうし、そもそも言語に違いがあるので諍いが起こる危険性は低い。言葉の異なる相手と喧嘩するほど難しい事は無いのだ。
但し、彼等の子供の代からはアークシア語を覚えてもらう必要はある。
テレジア伯爵ともその辺の話はしたが、灌漑工事に参加させられない年齢層から纏めて言語教育する必要があるかもしれない。将来に稲作技術を取り入れる為にも、難民の子、孫の代の言語はアークシア語に統一させなければならないだろう。
いつまでも難民という呼称でいるのもいただけない。
受け入れられた時点で彼らの身分はカルディア子爵領の領民となる。新入領民とでも呼び方を改めるか、明日テレジア伯爵に話をしてみよう。
つらつらと難民受け入れに関して働いていた思考はそこで途切れた。
「まだ起きていらっしゃるのですか?」
「……オルテンシオ夫人」
扉を押して入室した女が、ほんのりと呆れたような声で言う。
解雇となったゴールトン夫人の代わりとして、新たに雇われた乳母、オルテンシオ夫人。何一つ光源の無い暗闇に彼女の声だけが響いた。
「これ以上はお身体に障りますよ」
「分かっている。もう眠る」
「それが宜しいでしょう。あなたはまだ六歳の子供であるという事を時々お忘れになっていますから」
オルテンシオ夫人の言葉に、どきりと心臓が鳴る。全くその通りであったからだ。
「お早い成長に身体が追いついてない事を知るべきです。よく眠り、よく食べて、よく動く事を心掛けねば、身体が脆くなってしまいますよ」
わかっている、と返す暇もなく、言いたい事だけ言うと夫人はそのまま部屋から出て行った。
ゴールトン夫人のように口煩い訳ではないが、どうにも掴み難い性格をしている、というのが、私の新たに黄金丘の館へやって来た乳母への評価だった。