31 ステファニアの思惑
課題の発表まであと半月という時期まで迫ると、学生達の雰囲気も目に見えて浮き足立ったものになる。
誰も彼もが口数が多くなっている。会場にどのホールが利用されるのか、誰が候補者なのか、今回の課題を審査する選定員は誰なのか。
そういった推測や噂話がそこかしこで交わされ、学習院全体がちょっとした情報収集合戦の場と化していた。
エリーゼの話によると、大抵の学生は、シャナクの巫娘選定に際して学習院内の様子などを知らせるよう生家から言い付けられているらしい。
つまりは、これも教育の一環ということであった。
私は立場上、ほぼ正確な情報がある程度揃っているので、ほとんど蚊帳の外の出来事ではある。
だがちょうど良い機会ではあるので、エミリアにもこれを課すことにした。
規模の大小はあれど、政治に関わる貴族身分にとって、情報の取り扱いは必須技能といっても過言ではない。今後も宮廷の中心から離れることの無い一生を背負うエミリアにとっては尚更だ。
日中は積極的に情報収集を行わせ、数日置きにその報告を聞き、情報の精査方法を学ばせる。
これもまたいい機会ということで、レカ達侍従組にも補佐をさせる事にし、指導役はヴァニタに任せている。彼の持つ情報技能は高く、共有できるに越したことは無い。
ただでさえ課題の準備で忙しい中、やることが増えたエミリアは目を回していたが、断行した。
私は知っているのだ。忙しい時であればあるほど、やることは更に積み上がっていくものであると。
であれば、処理能力の向上と慣れを狙うのは当然のことであった。
◆
「カルディア伯爵はこちらへ」
「どうもありがとうございます」
「い、いえ……では私はこれで」
席を案内してくれた若い近衛騎士は、役目を果たすと逃げるように壁際の自席へと戻って行ってしまった。歩いているのに、実に素晴らしい逃げ足である。
なるべく柔らかい物言いを心掛けたのだが、どうにも敬遠されている。
以前ならばカルディアの悪名を嫌悪されているのだろうと気にもしなかった事だ。しかし、エミリアとの事を指摘されて以来、ラトカにそういった無関心をかなり怒られるので、相手の様子をよく見るようにしている。
してはいるものの……強い緊張と、近寄りがたいと思われている事だけはひしひしと感じるのだが、相手が私をどう思っているのかまではよく分からない。終戦の立役者として名が独り歩きしてからというもの、そういう人間が新しく成人した若い貴族を中心に増えているようだった。
議場をぐるりと見回してみると、貴族院よりはよほど好意的な視線が返される、と思う。
巫娘選定の課題発表会場の警護は、普段から学習院に駐在し学内警備を行う王軍の警邏隊の兵達と、近衛騎士団の騎士達による合同で行われている。私の事はエミリアの護衛ということで、近衛騎士団が気を利かせて同席を特別に許可を出してくれたため、今回から打ち合わせに招かれることとなった。
「学業でお忙しいところお呼び立てしてしまって、大変申し訳ありません、カルディア伯爵」
近衛騎士団側から、そう穏やかに声を掛けられる。
「いえ。こちらこそお招き頂いたお心遣いに感謝致します、シュツェロイエ侯爵」
赤い髪が印象的な壮年の近衛騎士の団長は、その立場からすると驚くほど温和そうな見目をしており、娘とは似ても似つかない。
それでも私の観察の視線に気が付いたのか、彼はほんのわずかに苦笑を浮かべる。
「カルディア伯にはリンダール大公女の学内護衛騎士として、警備の内容を把握して頂きたいと考えております。ただ、貴殿は学習院内においては学生であり、我々の警護対象である事に変わりありません。当日にお手を煩せるようなことは無いように致します」
「会場警備の混乱を招くことの無いよう努めます」
互いに頷きあって、議場にいる全員に簡単に私の立場を知らせるための会話が終わった。
「それでは、まず七日後に迫る第一課題の会場警備の配置だが──」
私を働かせることは無い、という宣言に間違いなく、本日の打ち合わせは第一課題の警備についての最終確認を主な内容としているようだった。
当日の警邏隊の動きや、警備を重点的に行う場所とその担当人数などが一つづつ確認されていく。
これまでに関わりの無い兵士や騎士ばかりで、誰が何をするのかどうにも分かりにくい。仕方なく、エミリアの移動範囲となるであろう場所についてだけ頭に叩き込む。
当然ながら、警備は守秘義務が厳しく、個人がメモなどの記録を残すことは許されていない。
その合間に様子を伺っていたものの、シュツェロイエ侯爵に不自然な素振りは全く見られなかった。
彼の娘のステファニアが主張するほど、私に関心があるようには思えない。侯爵令嬢の身分にある人間が、簡単に露見するような浅はかな嘘をついた、などとは考えたくは無いのだが……。
打ち合わせが解散となっても、侯爵から私に個人的な声を掛けることは無く、彼はそのまま退出していった。
それはつまり──残念ながら、ステファニアが私に伴奏者を申し込んだ理由が真っ赤な嘘という事だ。
溜息が出る。ステファニアが何を考えてそうしたのか、さっぱり分からない。
個人的に巫娘選定に私を利用したかったのか。それとも、エミリアへの嫌がらせになると思って行動したのか。
どちらにせよ彼女の感情が深く絡んでそうな気配がして、考えるのも嫌気が差した。
ラトカにどんなに怒られようと……他人の感情の機微についてあれこれ考えるのは、どうにも気が進まない作業でしかなかった。




