29 争奪戦の合間に
「どうしたの、カルディア。食欲がない?」
王族が使うように整えられた長テーブルの端、私の右側できらきらしく微笑む王太子に、私は即座に「お許しください」と口走った。
冷汗がだらだらと噴き出してくる気さえする。おそらく、錯覚ではない。
「緊張するのはわかるが、その辛気臭い顔はやめるんだな、カルディア伯。略式とはいえ、王太子の午餐会だぞ」
棘をたっぷりと含んだ声はテーブルの向かい真正面に座るグレイスのものだ。
「は……申し訳ございません。このような場は身に余る光栄ゆえ……」
「口先だけの世辞は変わらないようだな」
これでもかというほど皮肉の響きが塗り込められている。正面からの凍傷にでもなりそうな軽蔑と冷笑の視線を受け止め、ちら、と右隣を伺うが、王太子は気に止める様子もない。
……クソッ、どうして私がこんな目に。
15人は余裕をもって横並びに座れるであろう長テーブルの逆端では、エミリアとエリック、ジークハルトが和やかに昼食を楽しんでいる。
私の地獄耳でもささやかに声が聞こえる程度に遠い距離だ。
つまり、なにかしら王太子から私に話があるようで、そのための急な昼食会であるらしい。
用件だけさっさと済ませてくれればよかったものを。なぜ食事などという余計な要素を挟んだのか。
王太子殿下と昼食会を行う間柄だなどと、この国の誰にも認識されたくない。一人の目撃者もいてくれるなとミソルアに祈る一方、この部屋にいるグレイス以外の全員が何の気なしに今日のことを誰かに話しそうなので隠蔽は不可能、などと理性的な部分が嘆いている。
当然ながら王太子の饗する食事を味わう余裕などない。本当に、なぜこんな目に。
元凶である王太子殿下はというと、私が食事に手を付けなければ何も話すことはないと言わんばかりの態度で優雅にローストの皿を平らげている。
……胃が凭れそうだが、一通り食べるしかないらしい。
◆
気分の悪くなりそうな食事の後、やっと王太子が切り出したのは、シャナクの巫娘選定の第二課題についてだった。
「例年通りなら、第二課題にも第一課題の伴奏者のようなパートナーとなる生徒が必要となるよね」
「ええ、おそらくは」
エリーゼの分析によれば、今年は課題数が少ない可能性があるとのことで、例年通りとはいかないが。それでも第二課題以降、巫娘候補には課題解決になんらかのパートナーが必要となる場合がほとんどである。
「第一課題は君が伴奏者をするんでしょう。でも第二課題からは、グレイスがそれを務める。これは『決定事項』だよ」
にこり、と王太子は微笑んだ。
……そうか。つまり、エミリアはドーヴァダインに嫁ぐことに『決まった』のか。
「畏まりました。現在ご協力頂いている方々にはその方針を伝達しておきます」
妥当な人事だろうな、と思う。そして、案外早い決定だったなとも。
もとから、エリックになるか、グレイスになるか、そのあたりだろうとは思っていた。グレイスになるかは最終決定ではないかもしれないが、その可能性が高いのだろう。
課題のパートナーを務めたとして、それが『婚約』と同等の意味を持つわけではない。
だが政治的な思惑はどうしても絡む。
そして、何も持たずにアークシアへ来たエミリアの異性のパートナーに絡んでくる思惑は、必然的に彼女の結婚にまつわるものに限定される。グレイスがパートナーとなれば、少なくともエミリアが大公家に輿入れすることが決まったのだという認識になる。
「護衛の件は引き続き頼むが、第二課題からは大公家から人員を出す。ザスティン公爵令嬢とテレジア家の令嬢には引き続き協力してもらうことにはなるが、シェルストーク家の令嬢は不要だ」
グレイスの指示にも頷く。エリーゼはどちらかと言えば私の相談役なので、エミリアの教育やサポートを大公家が回すなら、確かに不要な人員となるのだろう。
「……ひとつだけ質問を?」
グレイスは「なんだ」と非常に煩わしげに返してくる。業務連絡なのだから、そう邪険にされるのも面倒なのだが。
「第二課題から、との事でしたが、時期に何か問題があるようならば情報の通達はいつ頃がよろしいでしょうか」
「随分、聞き分けのいいことだ」
机の向かいの次期大公はうっそりと笑う。一体、何がそんなに気に入らないのか。
「聞き分けられないような事情が何一つありません」
私は王太子とグレイスの中間あたりに向けていた身体を、完全にグレイスに向き直らせた。
まさか宮中や王族に向かって叛意があると思われるわけにもいかない。
個人的な嫌悪を露わにされるのはどうでもいいが、政治的な判断にそれを持ち込まれるのは勘弁してもらいたい。ここは学習院ではあるが、この場は子供の遊びではない。
グレイスが私を睨むのを、冷ややかに見返す。
「……お前の、王の血に対する敬愛の無さ具合には、本当に苛立たせられるな」
やがて、彼は一言一言に侮蔑を込めて、そう吐き捨てた。
敬愛。何を言われるかと思えば、敬愛とは。
「忠誠と献身の上、なお媚び諂うことをお求めですか。それはそれは」
思わず笑ってしまうと、グレイスはカッと顔を赤くした。彼は勢いよく立ち上がり、けたたましい音を立てて椅子が倒れる。
「……気分が悪い。中座させてもらう」
「それには及びませんよ。王太子殿下からのお話が以上であれば、私が退出しますので」
エミリアの教師役に方針を伝える時期など、後でいくらでも確認できる。
様子のおかしいグレイスを、珍しく王太子は静止しなかった。何を考えているのか、憂い顔で目の前の燭台をじっと見つめているかと思えば、「ごめんね」と小さく呟く。
それは私とグレイス、どちらに向けたものなのか。
「……うん。今日は解散にしようか」
「畏まりました。本日はお招き頂き、ありがとうございました」
グレイスが再び何かを言い出す前に、私はこの部屋を辞すことにした。
テーブルの逆端で何が起こったのかと驚くエミリア達に、「解散だ。先に出る」と伝え、正餐室を足早に後にする。
気分が悪い、はこちらの台詞だと高位の貴族に吐き捨てるほど、理性は失えない。が、別に私の沸点はそう高いわけでもない。
ただでさえエミリアという面倒ごとに巻き込まれているのに、これ以上の厄介事は御免だった。




