25 ヒロインの旋律
最も時間がかかると思われる衣装に関しては、ここでもエリーゼの使えるものは使ってしまえというような精神が発揮されることとなり、レイチェルとユリアに協力を頼むことになった。
予想できた事なのか、レイチェルの返事は「元よりそのつもりです」といっそ淡白なほどだった。
ユリアの方は、一応取引のようなやり取りが挟まった。最終的には「貸しにしておいてあげますわ!」と悪戯を思いついた子供な顔で了承されたが、……その貸し、取り立て先はエミリアではなく私なのか。
さて、栄えある巫娘候補となったエミリアはというと、どう見ても苦悩していた。
本来ならば、音頭をとって動かなければいけないのは候補となった彼女自身なのだが、立場上、彼女には自分で動かせる人員が存在しない。故の苦悩だ。
人材不足で頭を抱える気持ちは手に取るようによく分かる。なにせ、十年近く同じ事で苛まれているからな。
その上、エミリアはリンダール大公女として、誰にも隙を見せることができない。自分の手に余ることを、誰かに頼んで助けてもらうという行為を封じられているに等しい。
見事なまでの八方塞がりである。
一応、自分で出来る事はどうにか頑張って熟そうという意思は感じられるのだが……
「カルディアさま、少し、聞いて頂けますか」
鍵盤を触ってぽろん、ぽろんと鳴らしていたエミリアが、困ったような顔で振り返った。
頷いて返すと、彼女はすっと息を吸って、一つの旋律を歌い始める。
哀愁のようなものを感じさせる、ゆっくりとした旋律だ。エミリアの声は細くしっとりとしていて、しかし透き通るように高く響く。
悪くない。歌はかなり上手い方なのだろう。
こればかりは天性のものが大きく、文化の差の影響は少ない。
……しかし彼女がそれに合わせて鍵盤を抑えると、その旋律はあまりにも暗く、悲しい音になった。
詞はまだついていないが、これでは嘆きの曲にしかなり得ない。
「少々物悲しすぎる旋律かと。降臨祭は祝い事ですから、これまでの課題でも悲壮な音運びの曲などは敬遠されたようですし、もう少し」
「そうですよね。でもどうしてもこういう響きになってしまって……」
ふぅ、と物憂げにため息をついたエミリアは、再び鍵盤に向き直ってぽろんぽろんと音の組み合わせ作業を再開する。
楽師がいないのが痛かった。
腕の良い楽師がいれば、こういう時、どういう音運びに変えれば音の印象が変わるのかがすぐに分かるのだが。
無い物ねだりをしても仕方がない。
エミリアの傍らから鍵盤を覗き込み、音の運びを見て自分で思いついたものを「これは?」と上げる。
曲の作り方など一つも知らないが、これまでに覚えた曲の音運びなどから参考にできるものくらいはあるだろう。
マレシャン夫人の好みか分からないが、習わされた曲は短調のものが多かった記憶がある。
奏でられた物寂しげな音を少し変え、少しホッとするようなイメージの和音をポン、と鳴らすと、エミリアが少し止まった。
確かめるように一音を押して、そこに音を重ねて足す。
今のは……次の音、か?
なら、と考えて、更に次の音を入れる。エミリアはすかさず、その音を和音から連符に治した。
あ、今のはいい。物悲しさを残しつつも、美しい旋律だと思う。
なら、次の音はこうか。
私が和音を鳴らすと、エミリアが旋律や連符、続く和音を返してくる。
出来上がる音運びが妙に好みで、その好みの音をさらさらと返されるのが面白くて。
気がつくと、二人して夢中になって鍵盤を鳴らし合っていた。
「……あの、連弾曲にするんですか?」
いつの間に居たのか。
扉を少しだけ開けて部屋を覗き込んでいたラトカが、小さい声で口を挟む。
そのお陰で、ハッと正気にかえった。
そうして、ぴた、と手を止めたエミリアの表情を、私は見てしまった。
薔薇色に上気して、楽しそうに笑んでいた彼女の表情を。
それが萎む花のようにみるみると困り顔になり、私の方へと向く、その様をだ。
「申し訳ありません。エミリア様との即興が楽しくて、曲作りから脱線させてしまいました」
自分で考えるより早く、先に言葉が滑り出た。言った自分自身が驚いていたが、それよりもエミリアのほうが驚いていた。
「……え?」
エミリアはきょとんと目を瞬かせて、そうして。
一瞬で林檎のように真っ赤になったかと思えば、幼い子どものようにはにかんだ。
あまりに、それは、無垢で。
思わず、息を呑んでしまうほどに。
「失礼致します。お茶をお持ち致しました」
何事も無かったかのように、侍女姿のラトカがトレーを持って入室してきて、私の硬直はやっと解けた。
ラトカの方に気を取られたエミリアがこちらから目を離したのを確認し、掌で顔を覆う。そうやってすぐに意識を切り替えなければまずいと直感した。
さすがに、今の顔は。
──情が移りそうになる。
流石は、ヒロインか。
その純真さに人を惹きつける、エミリアとはそういう存在だということを、叩きつけられたような気分だった。




