23 続・噂話を知る
「そこ、ちがいますわっ!茶器には手を添えない。アークシアのカップには取っ手がありますのよ。バランスが崩れそうになるのは取手の下の薬指に力が入ってないせいですわ。上の三本だけで掴もうとしないこと」
「は、はいっ!」
「背筋はもっと伸ばして、……頭は下げないようにして。弾く姿勢も審査対象ですわ。手元ばかりに気に取られないように。あ、そこ。小指が寝てたせいで、音が転がってしまいましたわね、もう一度。弾く前にしっかり指を上げるように」
「……はい、すみません」
「手紙の場合には、もっと女性的な表現を……季節の挨拶は、思い浮かばない時にはその時期の花や鳥の話題が無難ですね。食事……は、あまり女性では触れない方がよろしいかと。本筋の話題では構いませんが、挨拶としては、男性が用いることの方が多いので」
「あ、はい、なるほど……」
放課後や休日を使う形で始まった三人の指南は、思った以上に要求難易度が高いものだった。
作法類からの出題がまずある筈だ、という事で、主にユリア嬢が横につく形をとりつつも、マナーレッスンの教師と男性役の私を含めて五人掛かりで茶会から夜会までのテーブルマナーなどを叩き込み。
それに通った候補者に課される課題を念頭に置き、教養のうち、ダンスや器楽、歌などをレイチェルが、詩の暗誦や様々な場面での作文などをエリーゼが、細々としたところまで見ながら不足を補っていく。
ちなみに、これらがひと段落した後は服飾品の組み合わせ方などの知識の補充も必要とのことである。茶会を主催する課題が割とよくあるらしい。
正直なところ、おそらくエミリアと同じくらいか、それ以上に胃が痛い日々である。
できる限り様子を見たり手伝いとして参加したりはしているのだが、そうするとエミリア以上に淑女教育のなってない自分を自覚するので……とてもつらい。
テーブルマナーも教養も男女とも同じような事をしているのだから、動きの異なるダンスと乗馬くらいにしかそう大きな問題はあるまい、と思っていたのが大間違いだった。
細やかなところや、言われてみれば、という部分に、女性としての特徴づけがおおいに求められているということを、今更知った訳である。
例えば、今エリーゼが教えているピアノのような楽器では、そもそも私が習っていたようなものとは選曲傾向自体が異なる。両手共に細かい音の連なりを流れるように弾くような曲が多く、音に重厚感を与える低音部の和音が少ないものが好まれるとの事だ。知らなかったし、気づかなかった。
主に習わされていたのはヴァイオリンに似た楽器の方だったので、何度か見本として弾かされたり、伴奏の練習の際に弾かされたりしたわけだが、そもそも女性にこの楽器はあまり好まれないというのも……知らなかったし、気づかなかった。
理由は単純で、袖が邪魔だからである。女性の服は縦にはあまり腕を動かせず、袖も膨らんでいるものが多いのだ。
前提からして全く違うではないか……。
「いやそれ今更だしそんなに落ち込む事か?」
「落ち込んでない」
「じゃあなんだよ。拗ねてる?」
「……拗ねてなどない」
「あっ、不貞腐れてるのか」
「……………………うるさい」
エミリアの前でそんな心情を出すわけにもいかず、かと言ってラトカなどには簡単に悟られ、絡まれたりなどするのが喧しい。
「それにしてもエリーゼ様、凄い綺麗になってたな」
ラトカの方はといえば、未だ再会は叶わないながらも頻繁に近くにいるようになったエリーゼを見れるだけで気味の悪いほど機嫌がいいので、私がどれだけうるさがっても全く気にもとめないときた。
……やはり後でエリーゼに頼んで、淑女に最低限必要な事を学ぶべきかもしれない。
勿論、影であるこいつを盛大に巻き込む形でだ。
そんな事を半月もしていると、学内で妙に話が広まり始めていた。
曰く、カルディアの寮宅に女学生が何人も頻繁に出入りしていると。
「なんだその、不名誉な男性のような噂は?」
あまり聞こえの良く無い噂が流れているよと情報を齎してくれたゼファーは、何が面白いのか吹き出して、それから苦笑の形に表情を収めた。
傍らのジークハルトは一瞬顔を上げたものの、領地法考察の記述にすぐ戻る。私とゼファーがさっさと書き上げた自領のものを参考にしているようだが、かなり苦戦しているらしい。
「いやあ、一部の女性人気の無い男子諸君がどうもね。で、事実なの?」
「……エミリア様の友人だ」
同じ年頃の者達を教師役としているというのは外聞が悪いので、少し濁す。それで納得するとは思わなかったが、ゼファーの反応は予想の明後日の方へと飛んだ。
「えっ、じゃあエミリア大公女がカルディアの寮宅に住んでるっていうのは事実なの?」
「は?ああ、王命でな。単なる住み込みの護衛のようなものだが」
予想外の食い付きに戸惑いつつ、状況を簡単に説明すると、ジークハルトがまた顔を上げる。
「なんだ?知らなかったのか?」
「知らなかったよ。まことしやかに噂されてはいるけど、まさかそんな事になってるだなんて」
「アルフレッドが情報を流した筈なんだが……どうも正しく伝わってなさそうだな……」
独り言のように呟いて、再び考察の記述へと戻っていった。
どうも領軍の部分で詰まっているようなので、カルディア領軍の待つ機能について纏めたレポートを鞄から引っ張り出してやると、頭を抱えて静かに唸り出す。どうしたいったい?
「で、どう歪んで伝わってるんだ、そのまことしやかな噂というのは」
「うーん……とね」
ゼファーは暫く言いにくそうにしていたが、やがて「僕の意見じゃないからね」と前置きまでして、やっと噂の内容を説明してくれた。
「リンダール大公女はカルディア伯爵に与えられた戦の褒賞……って噂なんだけど」
「……はぁ、なんだそれは?」
思わず胡乱な声を上げてしまう。なんというか、あまりにも杜撰な噂過ぎる。
「エミリア様の歓待を行ったのはドーヴァダイン大公家だぞ?その時点で王家の預かりだろう」
「え?いや、その後はカルディアが預かった訳だから、下賜されたんじゃないかって話で……もう一度言うけど、僕の意見じゃないよ?」
「下賜?私に?……エミリア様を?私に?」
下賜、というのは、普通、人を対象とする場合、嫁がせる場合のことを言う。下賜された人物の持つ血縁や権利を得るのに、公的な関係が必要になるからだ。
つまり、私とエミリアでは全く成り立たない。現状、エミリアの立場を活用する手段がない以上、私にとって彼女の立場も血筋も、褒美としての価値がない。
そうすることでエミリアの立場を貶めるという事は可能だが、そうなるとわざわざ学習院に通わせる必要性が無い。修道会にでも放り込めばそれで話は終わりだ。
「うーん、カルディアは……」
「君たち、ある程度の情報交換は構いませんが、領地法の考察は進んだのですか?」
ゼファーは困惑する私に何かを説明しようとしたのだが、タイミング悪くマルク・テレジア教授が様子を見に来てしまった。
にこにこと笑う教授に、バツの悪い気持ちになりながらもジークハルトの前にある紙をそれぞれ取り出すと、「終わったのならもう少し学友を助けてあげて下さい」と言い渡されてしまう。
ジークハルトは未だ、ローレンツォレル侯爵領における領軍法について、全く論理的な考察が進まぬままであった。
……残念ながら、領民の健康のためできる限りを領軍兵とする事を目指す、から始まる領法はまずもってまともな思考回路を持つ人間には解釈不能である。
私とゼファーは右から左から、どうにかこうにかお茶を濁すような屁理屈とこじつけのアイデアをジークハルトにアドバイスするのであった。




