20 強制休息
その後の一月は、それなりに気を張って過ごした。
メルキオールはアークシアにとっても、私にとっても、ただただ危険分子でしかない。それと関わるノルドシュテルムもまた、絶えず警戒すべき相手だ。
だがメルキオールはあの開会式の後、どこにも姿を現さずにいるようだった。ノルドシュテルムの方も貴族院を欠席がちで、時折顔を出すにせよ、草臥れた様子で席に着き無言を貫くだけという、物言わぬ影のような様子しか見せずにいる。
気掛かりではあったが、裏から探りを入れる伝手もない以上、打てる手は無かった。
注意を払わねばならないのは、貴族院だけではない。
貴族院の開会で貴族達の意識が王都に集中しているこの一月の間に、養子をカルディア領へと移した。
何しろまだ首も座らぬ赤子だ。それに暗殺の気掛かりもある。多少裕福な平民の旅行を装い、細心の注意を払いながら、長い時間を掛けて移動する必要があった。
これには直接関わった訳ではないが、どうしても気になって、何か新しい報告が無いかと常に頭の片隅に引っかかっていた。
学習院では相変わらず、周囲の目を気にしながらエミリアに接しなければならず、常に気が抜けない状態にある。
エミリアの教育は順調に進んでいた。本人が必死でアークシアの文化を理解しようと食らいついているおかげで、大公女に相応しい所作は仕上がりつつあった。
しかし、未だ彼女の己を必要以上に卑下する意識は改善されないままなので、時折危うい言動をする。
瞬時に本人へのフォローを入れつつ、人目にはそう映らないように気を配る。言葉にすれば簡単かもしれないが、正直に言って、時々気が狂いそうになるほど疲れる。
そう、私は早くも疲れ切っていたのである。
そんな訳で、貴族院の開会から一月後、熱を出して寝込むことになった。
「気を張りすぎであるな!」
丁度、領からの書類を持ってきたクラウディアは、爽やかに笑ってざっくりとそう言った。
「懸念す、べき事が多、過ぎる……んです……」
私の呻き声に、彼女は「今更気が付いたのだな?」とにこやかに頷く。
いや、勿論とっくに気が付いてははいたとも。しかし、いくら信用できる人々に恵まれていたとしても、たかが懸念で頼る事は出来ないし、エミリアの件に関しては全面的に自分で事に当たるしかない。
「本当にそうか?」
クラウディアは薄く笑んだまま、ゆっくりと首を傾げた。
さらさらとその金の髪が肩から落ちるのに、蜂蜜入りのホットレモンを何となく思い出して、熱のせいか飲みたいような気分に襲われる。領地で風邪をひいた時は、オルテンシア夫人によって毎晩寝台の横に用意されていたものだ。そういえば暫く飲んでいなかった。
「大公女殿の護衛は王命故に、エリザ殿の務めではあろう。しかし、他の懸念に関しては、心持ちでどうとでもできるぞ」
「心持ちの話では……」
「心持ちの話である。特に養子殿の事は、領地の者達に任されよ。乳母にはティーリットの奥方を着けたぞ。私の夫が反対意見をすべて跳ね除けて、シル族の者達を一人一人説得して回ってな」
「テオメルの?」
初耳である。
テオが結婚したのは昨年の春だったか。確かに、順当に行けば子が産まれている頃ではある。
……シル族の幾つかの氏族には、子が無事に生まれるまで、魔除けか何かでその存在を口外しない風習があると聞いたことがある。多分、それで知らされなかったのだろう。子ができた事を訳なく知らされないほどテオと疎遠だとは思いたくない……。
「養子殿はシル族全ての守りを得たのだぞ。なんにせよ、あれだけ幼い子供など、どれだけ気を揉んだところでエリザ殿には何もできぬのだ。すっぱりと託すべきだと思われる」
「……分かりました」
テオメルの子と乳兄弟になったのだ。確かに、領内での守りは万全だろう。クラウディアの言うとおり、今のところ養子に関して私の出る幕は無い。
「しかし、メルキオールの件は」
「ファリス殿が動くとの事だ」
さらりとクラウディアから告げられた名前に、私はぽかんと間抜けに口を開いて、寝台から彼女を見上げた。
「……どこから、その事を?」
ファリス神官が動く事自体は、それほど驚きではない。かつて西方アルフェナ教会が裏で糸を引いていた、エヴェートニス地方での教会の腐敗を切って落としたのは、他でもないファリス自身だ。西方アルフェナ教会の潜り込ませたテロリスト、デイフェリアスと行動を共にしていたメルキオールを警戒する理由としてはそれで十分なのだろう。
しかし、テレジア伯爵が離れた現状、かの神官の動きを察するような伝手はカルディア領には無い筈だ。
「どこからも何も、本人から領主の館宛に手紙が来た」
「は?」
「曰く、些事に頭を悩ませて憔悴している暇があるなら、テレジア伯爵の邸に顔を出すようにと」
「……は?」
全く意味が分からない。だが、あのファリス神官が意味もなくそういった行動を取るとも思えない。
何しろ神の目を持つとまことしやかに言われ、実際、いろいろな事を見通しているとしか言いようがない情報の持ち主だ。流石にそろそろ、六歳の頃の記憶は苦くは感じなくなってはきたものだが。
「……まあ、いい、分かった」
妙な気分ながらも頷けば、クラウディアは「うむ」と頷き返す。
そうして、心配無用とばかりににこりと笑い、少しばかり芝居がかった調子でこんな台詞を吐いた。
「我が主人に於かれては、一先ずは学問の堂の中の事だけに心を向けられよう。あと二月で降臨祭だが、大公女殿は勿論『シャナクの巫娘』に立候補が求められるのであろう?」
「………………あっ。」
しまった。……すっかり忘れていた。
この学習院の一大イベントにして、あの乙女ゲームでの一大イベント。
降臨祭の『シャナクの巫娘』。
神子クシャ・フェマの聖母にして、ミソルア神の神后であるシャナクの写し身として、降臨祭での神事に参加する女生徒を選出する──
まあ、つまりは、学園祭のミスコンである。




