16 前哨戦にも満たない
動揺は一瞬。表に出る前に押し込める。
憮然とした思いで三人の隙間からその男を睨んだ。
何故だ。どうしてここに、このタイミングで、姿を現したのか。
思考が冷静に相手の意図を読もうとする傍ら、ぐらぐらと肚の底で感情は煮えていく。
──よくものうのうと私の前に顔を出せたものだ。
デイフェリアス。あの女と行動を共にし、協力関係にあったであろう存在を、どうして許す事ができようか。
メルキオールはどよめく貴族達など気にも止めていない様子でゆっくりと会場を見回した。
そうしてふとこちらに目を止めると、薄く笑みを浮かべて小首を傾げる。
……その得体の知れない雰囲気は、記憶に未だ残る父に薄気味悪いほど似ている。年の頃も丁度近いように見えて、尚更嫌悪感が募った。
「四年前に話に出たのがあれですか」
「そうです」
ウィーグラフに問われ、殆ど唇を動かさないように答える。
メルキオールの存在はユグフェナ三領会議で共有していた。他に報告したのはテレジア伯爵だけで、伯爵はその報告を公にしなかった。
まだカルディア領が安定していなかった頃であったし、そもそも隣国の工作員とつるんでいる庶子の発見など闇に葬るに限る。できればその存在ごと闇に葬りたかったが。
「どうするのだ?」
次の問いはエインシュバルク伯爵からのものだった。
動揺を晒すことの無いようにと衆目から隠してくれただけでもありがたいというのに、それ以上に支えようとしてくれているのが分かり、胸のあたりが少し軽くなる。
親身になってくれている。勿論、エルグナードの子を養子としたのだから、彼等としても私が厄介事に巻き込まれるのは好ましくないのだろう。
──いや。
こういう考え方をラトカに叱られたのだったか。
これは、好意だ。捻くれずにありがたく、ただ受け入れよう。
「……お心遣い、ありがとうございます」
こんな状況だというのに、自分でも驚くほど柔らかい声が出た。
些か緊張感が無さ過ぎると慌てて気を引き締める。メルキオールとノルドシュテルムの思惑が分からない以上、警戒を緩めるのは悪手だ。
何しろメルキオールはあの容姿だ。そこに居るだけで私を当事者として問答無用で巻き込むような存在なのだ。
「あの男については……歯痒くはありますが、何も」
「何もか」
「はい。あの男の身柄は公的な償いを終えたノルドシュテルムの許にあります。あの事件の事を秘した以上、手出しは出来ないでしょう?」
「そうだな。だが、そうなるとこれからの面倒事が降りかかるのはお前一人だ。大丈夫か?」
ヴォルマルフの囁く声音もまた、心から案じるものだった。
彼とは個人的なやりとりも、繋がりも少ないというのに。本当に、どこまでこの人達は私を受け入れてくれるというのか。
「こちらが怯む必要など、無いでしょう」
だからこそ、安心して貰えるように。
普段どおりの平坦な調子でそう言って、隠してもらった彼等の大きな背中から出る。
メルキオールが僅かに目を見張ったのが分かった。生憎と、この歳になってまで不意打ちを食らった程度でそう大きなショックを受けるほど、柔な育ちはさせて貰えていないのだ。
「……あの男が真実カルディア家の庶子だったとして、カルディア・エインシュバルク家の当主である私にどんな物言いが出来ると?」
く、と嗤い捨ててさえ見せれば、エインシュバルク家の面々は愉快そうに口を歪めた。
「成る程、確かに貴氏は其方が勝ち得たものだな」
「陛下より賜った貴き氏名です。妾腹の兄程度に名乗らせるなど、不敬に過ぎるでしょう」
「大体、今のカルディア領にある財産は殆ど君が戦の報償として得たものだろう。喩え庶兄でなく実兄だったとしても、今更君の持つ財産全てを相続など出来る筈もない」
矢継ぎ早に肯定の言葉が足され、思わず苦笑する。ニヤリと不敵に笑う彼等……否、私達は、ずいぶん不遜に見えた事だろう。
こうして見てみれば、彼等は私の縁者としてはそれなりに似合いなのかもしれない。
そう言えばまだ準成人の私を捕まえて派手に血を被った方が迫がつくと教えてみたり、街一つを火に包ませたりするような人達だったな。
大した反応を見せない私を見てか、広間のざわめきも面白くなさそうに静まっていく。
メルキオールの方も今日は様子見のつもりだったのか、すぐに控えの間の方へと引っ込んでいった。
さて……。仕掛けられなければ返しようもない後手に回った形だが、そろそろそういった状況も無難に乗り切らねばならないだろう。
そもそも仕掛けてくるとして、この場に姿を見せたという事は貴族間でのバランスゲームになる。相手の支持層は私を未だに汚名の残るカルディアの人間と考える者達か、女で未成年である私を領主や当主の地位に相応しくないと考える者達という事だ。
今の私なら、恐らく根回し次第でどうとでも潰せる。
胸の奥底に凍てついた思考を巡らせて、何事も無かったように振る舞う私に、周囲から少しずつ懐かしい視線が突き刺さるようになる。
ああ。そうだな、やはりこちらの方が慣れている。
少しばかり気味悪がって貰えたほうが、無駄に担がれるより煩わしさは無いようだ。




