15 貴族院の開会
そこから数日は誰から見ても分かりやすいようにエミリアの周囲に注意して過ごした。
エミリアが令嬢達に囲まれていた場面を目撃した者が多くいた事と、翌日からその令嬢達がエミリアを隠しもせず睨んでいる事があったので、対外的に私が警護を務めていると広める必要があったのだ。
私もエミリアに敵意を抱く令嬢達からは怒りの籠もった視線を浴びる事になったが、所詮は無力な少女達、殺意も伴わない怒気など今更恐れるものでもない。
週末に差し掛かる頃には学生達の浮足立った様子も落ち着いてきて、学院内は鎮まり始めた。
さて、学習院で最初の休日、私はエミリアをティーラ達三人と共に寮宅に置いて、例の如く一日で王都までやって来たクラウディアとオスカーを伴い貴族院へと出席した。
春となり、新年を迎えた王都で動き出すのは学習院だけではない。今年は戦後処理で冬の間も何度か会議があったためどうも開会の意識が薄いが、今日が第一回目の通常集会なのである。
通常集会の開会式ということで、今日の集合は貴族院の間ではなく、その上階にある大ホールだ。
「カルディア伯爵のご到着です!」
ホールの入り口で近衛兵相手の受付を済ませ、入場すると、ホール中の視線が集まる。ぐるりと見回して一礼し、ぱらぱらと返礼の会釈を受けながらまず向かうのはエインシュバルク伯爵の元だ。
「おお、エリザ殿」
「エインシュバルク伯爵、冬にお会いした時と変わらずの御壮健ぶりで何よりです」
片手を上げて朗らかに名を呼んでくれた伯爵へと挨拶を述べ、その隣に居るウィーグラフとヴォルマルフにも同様に言葉を交わす。
エルグナードは居ない。恐らくはユグフェナ城砦で王領伯の代理を務めている。奥方が出産したばかりなので、そうあれこれと業務を兼任する訳にもいかないのだろう。
「聞きましたよ。リンダールの大公女殿下の学内護衛に抜擢されたとか?」
早速その話題を持ち出してきたのは当然のようにウィーグラフである。にこにこと穏やかに笑いながら、愉し気な空気を隠しきれていない。
「はい。正直、身に余る大任に恐縮しております」
「これ以上無い適任だろうが」
軽く躱そうとしたらヴォルマルフにすっぱり切って捨てられた。
「終戦が三翼、エリスとテーヴェの雄傑カルディア伯。個の武勇のみではなく優れた配下を有し、また領主としての政治的な支配力も申し分無く、それでいて分を弁え王都での権力に手を伸ばす事も無い。女性であり間違いは起こらず、また伯爵という学習院内では王太子殿下に次ぐ地位を有する。これほど適任というほどの適任はなかなかありませんねえ」
更にウィーグラフに事細かく並べ立てられ、私は黙ってじっとりとした視線を彼へと向けた。
終戦が三翼だの、雄傑だのと言われるようになったのはだいたい彼のせいである。面倒そうな手柄を勝手に人に流すわ、話題になりそうな派手な作戦を人に押し付けるわ、やりたい放題だった。それが無ければ終戦が三翼ではなく、終戦が主翼のウィーグラフとして彼一人が神輿に乗せられていたのだが。
「そう機嫌を悪くするな。末子の進展を聞くのは気分が良いものだ」
「……エインシュバルク伯爵、私は伯爵と養子関係を結んだ覚えはありませんが……」
「気にするな。似たようなものではないか」
……まあ、そうと言えばそうなのだが。
エインシュバルク伯爵に言われては黙るしかない。
その代わりに眉間に深く皺を刻んだ私を少しそっとしておく事にしたようで、三人の視線は私から、その後ろに控えるクラウディアとオスカーに移ったようだった。
「オスカー、こうして見えるのは久々だな。クラウディア嬢と結婚したと聞いたが」
「はい、ヴォルマルフ様」
「……にしては、なんとも変わった様子が無いな。揶揄い甲斐の無い……」
私は心のうちでヴォルマルフの呆れたような声に同意した。オスカーとクラウディアは本当に結婚前から大して変わった様子が無い。同じ時期に嫁を娶ったギュンターの方はあれほど新婚生活に緩んだ顔を晒していたというのに、この違いは一体なんなのか。
「妻とは互いに騎士としてお仕えする主人の優先を誓っておりますので」
……私か。
なるほど。
二人の夫婦関係に口を出す気は無かったが、これは……後で二言三言オスカーと話をする必要があるかもしれない。
下世話な話だが、クラウディアが子を産むのなら、リンダールとの戦が終わり、私が学習院に在籍している今が最も都合がいいのだ。
引き取る赤子も、歳の近い者が居る方が環境として良いだろう。二人の子なら、私の養子となるあの子の従者となるのが定めだ。
ウィーグラフとヴォルフラムはなんとも言えない表情で口を噤んだ。
二人共……というより、末男合わせて兄弟三人、妻や子を王都に置いたままユグフェナ城砦での騎士としての暮らしを優先していたクチである。
「……コホン。ところでなのですが」
話題が痛いところに向かいそうになるのを慌ててウィーグラフが転換させた。
「ご存知でしょうか?謹慎、及び喪に服すためと長年領地に引き篭もったままであったノルドシュテルム伯爵が、貴族院に参加するため今年から王都へ戻って来ているようですよ」
「ノルドシュテルム伯爵が?」
王都下町の大火はまだ記憶に新しい。
前ノルドシュテルム侯爵がデンゼル公国からの刺客と、それと手を結んでいた教会の異端修道会を匿い、暗殺されたという知らせは一時宮廷を騒然とさせたものだ。
当然ながらノルドシュテルム家は罪に問われる事になったが、北部でのノルドシュテルム家の影響力と当事者であった当主が既に死していた事を鑑みて、多額の賠償金の支払いと一部の領地の没収、それに伴う爵位の降下と五年の謹慎という処分に終わり、候爵の一人息子が残された地位と財産を相続したとの事だ。
「……ああ、噂をすれば。来ましたよ」
ウィーグラフの視線がホールの入り口へと流される。それに倣って振り向いた先、近衛騎士の向こう側に、すらりと背の高い男の姿が見えた。
その面影は、嫌になるほど父親に似ている。だが覇気のない表情を浮かべているせいか、受ける印象は随分違った。
「ノルドシュテルム伯爵のご到着です!」
近衛騎士の張る声に、広間がしんと静まる。
その中にふらりとよろける様に踏み出したノルドシュテルム伯爵の、その後ろに続いた人影に。
ひゅ、と息が詰まった。
──ざわり、と、どよめきが広がる。
後ろから包み込むように肩を掴まれ、壁際へと押しやられると、私を隠す壁のようにエインシュバルク家の三人が立った。
ノルドシュテルム伯爵の後ろから現れたのは、私の生き写しのような男──あの大火の日に相対した、私の兄を名乗った男、メルキオールだった。




