13 領地経営学
「侍女に叱られて、大公女殿下と打ち解けようとしてデビューダンス?今やアークシアの英雄に数えられる冷血伯爵がまさか女に振り回されているとは」
「揶揄うならノートは貸さない事にするぞ、ジークハルト」
「そう拗ねるな、カルディア」
頬を擽ろうと向けられる羽ペンの羽毛を黙って押し退ける。
「でも物凄い注目の的だったけど……大丈夫?」
「まあ、別に問題は無い……」
筈だ。私にとっては。
始業セレモニーの翌日、領地経営学の講義室の座席にて。
同じ講義を受けるゼファーとジークハルトに左右から机と椅子に閉じ込められた私は、呆れたような、面白がるような表情の彼等に付き合って、気軽でくだらない会話に興じていた。
この感じも昨年以来の久々のものだ。一年も経って今更の話だが、私はこの学友と呼ぶべき二人との会話をかなり楽しんでいたらしい。ラトカやティーラ達とのやり取りも気楽といえば気楽だが、友人との会話という感覚ではない。
学習院の二年目からは、午後を使って専門的な科目の講義が行われる事になっている。
領主貴族の直系子息は領地経営学に経済学或いは法学、令嬢ならば家政学を学ぶのが通例だ。
一方の領地を持たない宮廷貴族の家柄の男子や傍系、つまり親が爵位を持たず相続の可能性も低い場合では、仕官を目指して経済学や法学、或いは軍事学や神事学、商学、国際社会学等に散る。女子の方は教師や女官を目指して教養学、婚約者によっては家政学や経済学等で、あまり選択肢は広くない。
特殊な例は公爵家や王家の者達で、王太子とグレイス、それに大公女であるエミリアは国際社会学を、エリックはなんと軍事学を受講するとの事だった。
現役領主で領地経営学と経済学を取る私も例外のうちに入るだろうか。
「そういえば、ジークハルトは軍事学の受講でなくて良かったのか?」
「戦事については家の人間がいくらでも教えてくれるからな。直系の長男くらいは領地の経営についてきちんと学んでおかなければ、国王陛下からお預かりした領地が管理できなくなる……」
「あー……なるほどねー……」
三人揃って思わず遠い目になりながら頷いた。
領民皆兵だの兵農一致だのと言い出してもおかしくないローレンツォレル一族だが、その領地経営の様子はかなりまともで実直であり、ウガリア地方の穏やかな気候と豊かな土壌に恵まれた多彩で高品質な農産物が主な収入源になっている。当主家が頑張って抑えていたようだ。
「カルディアの方こそ、軍事学はいいのか」
「ああ。領地を優先する」
「すっぱり言い切るなあ。英雄って言われるほどの活躍をしたのに、武官としての地位には興味無いんだ?」
ゼファーの苦笑に、私は一瞬武官として仕官する道について考えてみた。
科目選択の際に一考すらせず領地経営学を選択したので、武官としての地位など考えたことも無かったのだ。
「無いな。自領軍と私設の騎士団以外の指揮を取るつもりは無いし、自領軍とて必要なければ領地から動かすつもりもない」
まあ、やはりどう考えてもナシである。
そもそもだ。私が戦功を建てられた前提には、騎馬兵と工作兵としての能力の方が高そうな歩兵の組み合わせというかなり特殊なカルディア領軍の存在と、彼等の中で育ったという特別な信頼関係がある。
彼等を失えば、私はただの小娘に過ぎない。軍人としての経験も無ければ才能に恵まれているとも思えない。
「領軍を領地から動かすつもりがない、とは?」
「領地の立て直しの為に領軍に機能を持たせすぎていてな。教育が追いつかず人材不足のためなのだが、うちの領軍には領内の治安を維持する憲兵としての機能の他、行き場の無い領民の受け入れもさせているし、領地の開拓・治水・整地や森の間伐に植林、魔物の哨戒に討伐、警邏哨戒のついでに郵便配達、国税に賄う直轄地での農業従事などもさせているんだ。領地から出すと領内のあらゆる事が滞って……」
答えてからふと違和感が生じて、左右を見た。ゼファーとジークハルトはなんとも言えない表情で私と、その背後に視線を走らせている。
まさか……。
振り向きたくない現実逃避の感情に葛藤して、ゆっくりと背後を振り向く。
「やあ、はじめまして。とても解りやすい解説だったよ、ありがとう。時々君には講義を手伝って貰うかも。なにせ、現役の領主の話なんて、領地経営学の教材としてはこれ以上無いほどぴったりだ」
にこり、と笑う黒曜石のような瞳に、私は頭を机に伏せたくなった。
その瞳の色には流石にもう見覚えがありすぎる。
マルク・テレジア──この領地経営学の教師は、私の顔を視界に収めてゆっくりと瞬きをし、「よろしくね」ともう一度笑った。
……ごく自然な流れで質問を挟まれたとはいえ、教師を相手に何をぺらぺらと自分の未熟さと自領の未発展具合を説明してしまっているんだ、私は。




