02 王太子の訪れ
「どうしたのだ、エリザ殿。浮かない顔をして」
控えの間で待っていたクラウディアは、私を迎えるなりそう言った。
私としてはまだ宮殿内なので平然とした態度を取り繕っているつもりだったのだが、流石に天性の勘を持つ彼女には通用しないか。付き合いも長いし。
「……頼まれごとが、予想以上に重たかったというか」
「ほう。どんなものだ?」
「隣国の姫君の学園での保護者役です」
「…………それは、また。私は政は分からんが、政治的意図がこんがらがったようだという事は分かるぞ」
同情的な響きを含ませた言葉に頷いて、それからたっぷり溜め息を吐いた。
エミリアの世話役へと指名された理由には、おそらく先程咄嗟に思いついたもの以外にも私の学園内での地位だとか、或いは影響力も含まれているのだろう。
彼女は敗戦国の人間だ。それも喧嘩を売ってきた側の国である。
当然、学習院内ではエミリアへの悪感情が高まっている可能性が大きい。
私の悪評と彼女の悪感情のどちらが上回るかは知らないが、少なくともエミリアが私の傍に常に居るならば、余計な手出しをするような者は居ない筈だ。……悪評と同程度には恐怖心もばら撒かれているようであるし。
つまりである。
私にはエミリアを保護しつつ、彼女を厚遇しているようには見えないように振る舞うという、大変面倒臭いものが求められていると考えられる。
……頭が痛い。元から学習院に滞在している時間は短いが、このままでは本格的に不登校児になりたくなってしまいそうだ。
「エリザ殿。不機嫌百面相をしている所を邪魔してすまぬが、誰か来ているようだぞ」
クラウディアに突かれて、慌てて眉間の皺や屋根のように曲がった口を元に戻す。王命を拝した直後にこんな顔をしているのを見られるのは少々都合が悪い。
「──ああ、居た。良かった間に合って」
果たして、控えの間の入り口から顔を覗かせたのは、この城の住人──アルフレッド王太子であった。
「御機嫌ようございます、王太子殿下。如何なさいましたか?」
「うん。カルディアに伝えなきゃならないことがあって──」
そこまで言ってにこり、と笑った王太子は、扉に掴まったままずるずるとしゃがみこんだ。
「殿下!」
慌てて駆け寄ると、王太子の顔色が悪い。脂汗も浮いているようだった。
「ごめ……、ちょっと急いで、来た、から……」
「殿下、どうか御安静に」
息を乱して真っ白な顔で無理に笑おうとする王太子に内心呆れつつ、手を貸して立たせる。
背中を支えると震えが伝わってきた。どうやら膝に力が入らずふらついているらしい。風邪でも引いたのだろうか。最近は確かに気温が低かったが。
まあ、とりあえずこのままにしておく訳にもいかない。温かいところに移動させるか。……運の悪い事に、こんな時に限って周囲に近衛が居ない。
「クラウ──いや、なんでもない。殿下、非礼は先に謝罪致します」
クラウディアに頼もうと思ったが、考え直して自分で王太子を抱え上げた。万一誰かに見られてあらぬ噂を立てられても私は今更感しかないが、新婚者は流石に拙い。
王太子を荷物のように抱えるわけにもいかないので、仕方なく横抱きである。
言い変えると姫抱き。思春期の王太子には非常に不名誉な事かもしれないが、……まあ、その他に手段が無いので我慢して貰おう。
「カっ、カル、カルディア!」
「殿下、どちらへお連れすれば宜しいですか」
王太子は見た目からしてそう重たくはなさそうだったが、抱えてみた感覚は予想していたよりも細く華奢で、不安を覚える軽さだった。
数年前まで黄金丘の館に共に住んでいたエリーゼを思い出してしまい、指先から血の気が引いて冷たく感じる。
「歩ける、歩けるから……」
「無理は禁物です殿下。それと、持ち上がりますがそれほど持ちませんのでお早く。流石に同じ年頃の人間を長く抱えられるほどは鍛えておりませんので……」
「う、ぅ……じゃあ、温室。温室に連れて行ってくれる?」
「畏まりました」
了承してさっさと歩き出す。いくら軽いと言ったって、いつまでも抱えていたくはない。
「ごめんね、カルディア」
王太子も諦めたのか、早くしてくれとばかりに死んだ魚のような目で大人しく私の肩を掴んだ。
後ろで声を殺して大爆笑しているクラウディアは、今夜はデザート抜きにする事に決めた。




