カルディア領の春の芽吹き・11
クラウディアの兄・ナターナエルがカルディア領へとやって来たのは、すっかりと雪が溶け消えて、そこかしこに野草の花が咲き始めた頃だった。
挨拶を兼ねて今の領主の館から一望出来る新入領民の村に彼を案内する。
俄に色付いて華やぐ道を、新入領民達の興味深そうな目に見送られながら歩くこと暫し。
「……ほぅ、なるほど。これが旧アルトラスの者達が作った村ですか。確かに何となくではありますが、道中によった村とは少々雰囲気が異なりますね。それにしても、僅か数年でこんな立派な村が出来るとは……、素晴らしいものです」
ナターナエルは感慨深げに通ってきた道を振り返って村を見回わすと、そう感想を述べた。
「ええ、我が領の自慢の一つです。皆、慣れぬ生活の中で良くやってくれましたので」
少しばかり照れ臭いながらもそう相槌を打つ。
すぐ傍の畑で雑草を抜いていた少女がバッと立ち上がってどこかへと走り去っていったのは、心の平静を保つために全力で意識から追い出した。うぅ……聞かれたからにはこの話、村中に広まるのだろうなぁ……。
「カルディア伯領軍は設営にも優れた兵が多いと聞きましたが、もしや?」
「ん……ああ、そうですね。この村の建設の多くに領軍が関わっています」
村の最初の開拓は元から居る領軍兵を動かしたし、その後もカルディア領の予備戦力となっているシル族の戦士達がこの村の建設の中心に居た。
現在も領内での増築や改築、開拓や灌漑作業などがあれば真っ先に領軍が動く。領軍の設営技術が全体的に高いのはそのおかげだ。
……新入領民となった旧アルトラスの民の成人男性は、その殆どがシル族の者達である。セルリオン人などの農耕民はバンディシア高原の外に住んでいたため、デンゼル兵の攻撃を受け始めたのも早く、女子供を逃すために多くの大人の男たちが犠牲となったのだ。
新入領民の先導役がシル族のままであるのは、アルトラスが存在していた頃の社会の影響もあるが、そういった理由も大きく関係している。
「良い村です。景観が良い、という事ではなく、人々が健やかだ」
「……ありがとうございます」
全くの他人事だろうに、嬉しそうに目を細めてそう褒めてくれたナターナエルに、私は心からの感謝を述べた。
本当に、彼は誠実で、優れた人格者だと思う。天性の感覚で様々な事を見抜くあのクラウディアが慕い、憧れとし、全幅の信頼を寄せる相手なのだから、疑っていた訳ではないが。
寧ろ、そうであるからこそ──。
この後に控える彼とオスカーの決闘がどのような結果になるのか、さっぱり予測がつかずにいる。
彼がどう場を収めるのか、或いは収めないのか。
私は見守ることしか出来ないのである。
しくしくと胃が鈍く痛むのも、仕方の無い事であった。
「では、早速手合わせといこうか」
領主の館でオスカーとの紹介を済ませるなり、嬉々とした様子で上着を脱いだナターナエルに、私とオスカーはぐっといろいろな衝動を呑み下した。
この脱力感はあれだ。クラウディアとまったく同じだ。流石は兄妹と言うべきだろうか。
「……あの、先に昼の軽食はいかがでしょうか。村を歩いてきた足をお休めになられては」
「ああ、全く問題ありません。それに食事を腹に入れてしまうと動きが鈍りますから、先に軽い運動を済ませてしまった方が良いかと思いまして」
軽い……軽い?決闘だと言ってはいなかっただろうか。
事前の確認としてやり取りした手紙には、はっきりと『決闘』と書かれていた筈である。
決闘は無論、真剣勝負だ。怪我の危険は常に付き纏う上、当たり所が悪ければ命を落とすこともあるものだ。
その上、今回はクラウディアの婚姻を賭けている。到底軽い運動程度で収まるようには思えないが……。
胡乱な顔をした私に、ナターナエルはのほほんとした顔で笑う。
どうかしましたか、とでも言いたげな、頭上に『?』でも浮かんでいそうな表情だ。
その隣で全く同じ顔をしているクラウディアに、私とオスカーは今度こそが揃ってがくりと肩を落とした。
「…………分かりました。先に済ませましょう。中庭を使って頂こうと考えていますが、よろしいでしょうか」
「ええ、勿論です。それほど長くは掛からないでしょうから、ご心配はなさらず」
視界の端で、オスカーがさり気なく手を背中に回した。握り締めた拳が力の入れすぎで震えている。
まあ、確かに、馬鹿にされているようにしか聞こえない言葉ではあるな。今の言い方では「お前の相手などすぐに済む」と言われたに等しい。
だが恐らく、いや確実に、ナターナエルには悪気は無い。そういった意図が全く伝わってこないのだ。
……オスカーとの実力差はナターナエルも予測出来ている事は間違いない筈だ。彼の対人戦における予測の立て方と正確さは、妹であるクラウディアのお墨付きである。
しかし、ナターナエルの印象からは、悪意が無くとも相手と自分の実力差を仄めかせるような事を言うとは思えなかった。
一体彼は何を考えているのだろうか……?
ますます胃のあたりが重たい気分になり、思わず両手をその辺りに持って行きかけたところで。
…………嬉々として槍や篭手の準備をし始めたクラウディアに気付き、私は反射的に頭を抱えそうになった。
「……その、クラウディア殿……何をしているのですか?」
「うん?何をとは?」
「えー……と、……何故これからナターナエル殿とオスカーの決闘を行うという時に、貴女が武装を?」
「…………?何故とは?オスカーと私の二人で、兄上と決闘するからだろう?」
……、……。
……、……、……。
……、…………………、………………。
ちょっと待て。
何だそれは。
全くの初耳なんだが?
ほら見ろ。私と全く同じ気持ちであろうオスカーが完全に脱力してしまったではないか!
決闘前だというのに、どうしてくれる!
間が空いてしまいました。長くお待たせしてしまった方、お待ち頂けた事に関して感謝致します。




