カルディアの春の芽吹き・10
丁度火焚き場の片付けが終わる頃、ギュンターとナジェの話し合いが終わったようだった。
何となく気恥ずかしげなナジェと、照れ隠しで顰め面を浮かべたギュンター、それに非常に申し訳無さそうな顔をした壮年の男が私の方へとやって来て、頭を下げる。
「気を使わせちまって悪かったな」
「いや……話はついたのか?婚姻届はどうするんだ?」
「それなんだが、そのまま裁可してくれ」
「は……、あ、あー…………け、結婚おめでとう、ギュンター」
余りにもさらりと言われたせいで、盛大に反応が遅れてしまった。そのまま裁可しろという事はそういう事の筈だ。
ギュンターはぶっきらぼうに「おう」と返し、それから居た堪れなくなったのか、事の経緯を簡単に説明し始めた。後ろについてきていた壮年男性が時折口を挟んで補足する。どうやら、彼がナジェの父親らしい。
実のところ、ギュンターは最初からナジェと結婚するつもりでいたらしい。同意を得れていなかったのはギュンターではなくナジェの方だったのだ。
ナジェは男性に恐怖心がある。今でも慣れた相手としか話は出来ないそうだ。
そんな状態であるため、ナジェの父親は婚姻適齢期の過ぎた娘を嫁に行かせる事を完全に諦めていた。この村や近くの村の同じくらいの年齢の男はナジェがまだ父親にも怯えていた頃に嫁取りを済ませてしまっていて、相手が居なかったらしい。
しかしいつの間にやら、度々村を訪れるギュンターにナジェが打ち解けていた。
ナジェの父親は、まずナジェを心配した。
ナジェの狭い世界にようやく現れた独り身の男であるが、ギュンターと言えば領軍の取り纏め役。王都へも出入りしている人間である。結婚していないだけで、女性関係はあるのではないかと思えたらしい。
もしもナジェがそのままギュンターと打ち解けていったとして、ギュンターにその気が無ければますます自分の娘は内向的になってしまうのではないか……。
そうして、ついこの前の冬のある日にギュンターをつかまえ、ナジェの状況を説明し、最終的な責任を取る気が無いのであればうちの娘に近付いてくれるなと言ったのだそうだ。
……正直に言って気を揉み過ぎのような気もするが、一人娘は可愛いという事なのだろう。
ギュンターの方はギュンターの方で、ナジェについては気に掛けていた。領軍の手で救出した娘である。その後の行く末を案じていて、何かあれば私に報告するつもりで遠巻きに様子を見ていた。
数年掛けてぽつぽつと話をするようになったナジェが、ここ最近は完全に慣れた様子を見せていたため、村への訪問に同じくらいの年頃の領軍兵を連れて来てみるかとすら考えていたようだ。
そこへ結婚する気が無いならうちの娘にどうか近付いてくれるなとナジェの父親に言われて、誠意無くナジェを気に掛けている訳じゃないと言い返したところ、では何がどうなっても良いように婚姻届にサインをしておけという話になったという。
「…………そんな売り言葉に買い言葉のような流れで結婚してもいいと思ったのかお前は。ナジェが可哀想だ」
呆れて突っ込むと、ギュンターはきまりの悪そうに頭をがしがしと掻いた。
親身になって見守るつもりでいた娘であったから、父親がそこまで言うのなら憂いの無いように名を預ける事にしてしまった方が良いと思ったらしい。元々自分は生涯結婚はしないだろうと考えていたから、そうする事にも抵抗は無かったという。どんな思い切りだそれは。
そういう訳でギュンターの署名入りの婚姻届がナジェの家に置かれる事になったそうだが、そこから男二人の予想していなかった事態が起こった。
なんと、文字は殆ど読めずとも婚姻届に見覚えのあったナジェの母親がそれを見つけ、誰かがナジェを娶ろうとしていると察した。諦めていた娘が嫁に行けると喜んだ母親は、同じく文字の読めないナジェに言いつけてサインをさせるとさっさと村長に届けを提出してしまったのである。
そういう訳で、当事者であるナジェは全く何も知らないまま、ギュンターの方も提出されたとは思いもせず、あの婚姻届は私の元へとやって来たという事だ。
……なんと言うべきか。ちょっと脚色を加えれば、そのまま喜劇として歌劇か物語かにでも仕立て上げられそうな話である。
まあ、本人同士が結局婚姻に同意したというのなら、これはこれで一件落着なのだろう。
ギュンターはこれからナジェの家族全員と式の予定を話し合うと言うので、用の済んだ私は領主の館へ戻ることにした。
取り敢えずギュンターの方は丸く収まったので良しとするが、もう一件厄介な事情の絡む婚姻話が残っているので、はやくそちらも片付けねばならないのである。
「……なんか、疲れてる?エリザ様。でも嬉しそう、だ」
ヴァニタにそう声を掛けられ、そうだな、と頷く。
そのために奔走していると確かに疲れを感じるし、それこそ歌劇の役者でもさせられているかのような気分になるが、婚姻は喜ばしい話題なのだ。特にギュンターなどは、私の直属の部下のようなものであり、そしてかつての師でもある。
祝福せずにはいられないのは当然の事だった。




