カルディアの春の芽吹き・8
「ええと、……ああ、そうだ。ギュンターに聞きたい事が……」
袋から出されて動き出した雪蛇を両手で纏めて持ちながら話を切り出す。
この奇妙な状況が何なのか早く把握したいのだろう。ギュンターは「おう」と頷いた。私もこれ以上回りくどいことは御免なので、ざっくりと本題に入ることにする。
「実はお前とナジェの名で婚姻届が提出されている訳だが」
「……あ?」
途端、ギュンターの声のトーンがスッと低くなった。落ち着かなげな様子でギュンターを窺っていたナジェと村長がビクッと肩を揺らすのが見える。
あまり剣呑な表情をするのはやめろと諌めるべきかと思った瞬間、待ちきれないように私の脇腹に首元を擦り寄せて雪蛇をねだるラスィウォクが私の背をぺしぺしと長い尾で叩き始め、少し空気が緩んだ。
「……あー、一個人の領分かと思ったが、偽造書類に判を押すわけにはいかないからな。調べさせて貰った」
ギュンターは何も答えず、ドサ、と荒い動作で背負っていた袋を下ろした。
家の中に重たい沈黙が落ちる。ギュンターが威圧感のある空気を放っているせいだ。
眉間に皺を寄せて黙り込んだギュンターに、ナジェが口を僅かに開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す。
「……偽造、ってのはどういう事だ?」
「カルディア領では婚姻する男女当人達からの同意が必要となる。同意を示すものが婚姻届のサインだ。が、ナジェは婚姻届の件を知らず、同意はしていない。サインが偽造された書類という事だ」
「なるほど。……御館様よお、少しナジェと話をさせて貰ってもいいか」
頭が痛そうにギュンターはがしがしと自分の髪を掻き乱した。威圧感が霧散して、ナジェ達がやっとほっと息を吐く。
緊張が解けたせいか、もういいだろうとばかりにラスィウォクが私にぐいぐいと頭を押し付け始めた。ぷらんと手の平から零れた蛇の尾を鼻先で揺らし、背中の催促がぺしぺしからべしんべしんというものになる。
「勿論、当人同士で話をつけて貰うのが一番良い。この件に悪意や害意が絡むなら別だが、基本的に私は部外者だ。……というか、そうでなくとも悪いが席は外させてもらうぞ。待てラスィウォク、押すな、やめろ」
ラスィウォクのせいで間抜けによろけながらの言葉になってしまった。ナジェとギュンターは何とも言えない顔で私を見て、それから揃って苦笑した。
家の外に出た私は、暇そうにしていた同行者達のために早速譲って貰った雪蛇に始末をつける事にした。
簡単に串焼きにするつもりで村の火焚き場を借りて適当に枝から串を作る。
それからメフリに尾を踏んで貰い、のたうち回る事が出来ないように抑えた雪蛇の頭を短刀ですとんと切り落とした。
「う、うわぁ……」
首を無くしてもうねうねぐねぐねと動き回る雪蛇に、ヴァニタは引き攣った表情で後退る。
私とメフリは顔を見合わせる。どうやらメフリも蛇は当然食物だと考えているらしく、私の考えている事が分かったようだった。
「メフリ、その辺の家から鍋と塩を借りてきてくれないか」
蛇は汁物にする方が美味い。特に雪蛇はそうだ。
「分かった」
村長の私への畏縮ぶりを見ていたメフリは色々と察してくれたらしく、素直に頷いて近くの家に走っていく。
ヴァニタからは「自分が行くのに!」という視線を向けてきたが、無視した。
なぜなら、小さなメフリが自分一人では鍋が持てない事に気がついて、すぐに戻って来るからだ。
メフリは雪蛇の身をぶつ切りにする私とヴァニタを見比べると、渋々といった様子でヴァニタに声を掛けた。
「あの……ヴァニタ。お鍋が持てないんだけど、て、手伝って貰っても、いい?」
「え?あ、……うん」
取り敢えずこれで、二人を連れ出した目的、メフリから自主的にヴァニタに話し掛けて貰う事は達成したな。
駆けてく二人の背中を横目で見守っていると、ラスィウォクの頭がずいと視界を遮った。
「……分かった、分かったから」
私は溜息を吐いて、雪蛇の頭と身の半分を彼の口元へと投げた。革は剥ごうと思っていたのに……まあ、冬の間よりも価値が落ちる事だし、この際食べてしまう事にするか。
メフリとヴァニタが持って来てくれた鍋に捌いて骨とワタを抜いた蛇の身と、水と塩とを入れて煮る。
その間に太めの木の枝を切り落として割り、中を刳り貫いて器を作った。ついでに匙も作るか、と短剣を構えたところで。
「…………あの、」
「ん?」
「領主様の筈なのに、何でそんなに色々慣れてるの?アークシアでは貴族でも他国の森に潜入出来るように訓練するの?」
心底困惑した様子で、味替えになりそうなハーブを探してきてくれたメフリがそう尋ねてきた。
「ああ、……あー、いや。昔、一時期領軍の兵舎で生活していた事があってな。その頃の領軍では、夕食は自力で採る事になっていたんだ」
なんと答えるべきか。一瞬迷い、けれど誤魔化す意味は無い事に気付いてかつての領軍での見習い兵士期間の事を説明する。
「当時の私は体力もなく碌に狩りも出来なかったからな。食べれるものは何でも食べたと思う。当時はこの領がもっとずっと貧しい時期でもあったから、蛇はともかく、栗鼠や兎や鳥といった獣の肉は全て領民に渡してしまっていたし……。食材を取って兵舎に戻ってから調理する気力を保つことも難しかったから、その場で器を作って食べる事が必然的に多かったんだ」
「「えぇ……」」
懐かしい気分で話したが、今度はヴァニタのみならず、メフリまで揃って引き攣った表情を向けられてしまった。
……知識階級となるべく教育されていたヴァニタはともかく、おそらく同じような事をしていたであろうメフリにもそんな反応をされるのには、何となく納得いかないような気がした。




