カルディアの春の芽吹き・5
何だかよく分からない問いかけはあったものの、オスカーの方もクラウディアとの縁談には異論は無いらしい。
まあ、彼等は領主の館の一角に住み込みであるし、社交界にも殆ど出ないので、クラウディアに貴族の奥方としてのスキルが求められる場面は少ないだろう。寧ろ収入面のみで考えれば素晴らしい妻かもしれない。……多分。
取り敢えず、オスカーの方はテレジア家で問題が起きない限りは縁談の障害になるようなものは無いと考えて良いだろう。
となると、やはり問題は……。
「……という訳なんだが」
「はぁ…………なるほど」
クラウディアから説明された条件を伝えると、オスカーは困惑したような、何ともいえない表情で頷いた。
おそらくは私も同じような顔をしているのだろう。第三者が見たとして、結婚の話をしているとは万が一にも思うまい。
「決闘……ですか。それも、実力を買われて近衛騎士団入りしたと名高いあのナターナエル殿と」
クラウディアの兄上はいつの間にやら近衛騎士にまで出世していたらしい。以前は治安維持を目的とする憲兵騎士団に居た筈なので、大出世である。もしかすると王軍に参加していたのかもしれない。
「一応聞いておくが、勝てる見込みはあるか?」
「無理ですね。近衛騎士は精鋭中の精鋭ですよ。殺し合いであれば話は別ですが、宮廷剣術のみの技量で争う決闘となると私では歯が立ちません」
きっぱりとオスカーは断言した。私は昨年の学習院での大失態を思い出して、苦笑いする。
しかし、参った。まさかクラウディアの父君からの手紙で始まった彼女の婚姻問題において、最大の障害が彼女の身内になろうとは。
「とはいえ、その約束も今となっては事情が異なるかもしれません。一応ナターナエル殿に確認してみては如何でしょうか」
まあ、確かに、兄君とてクラウディアを未婚のままにしておきたいという訳でもないだろう。
私はオスカーの言葉に頷いて、ともかくこの縁談を本格的に進める事に決めた。
まずはテレジア伯爵への手紙を送る事にする。
もうすっかりベテラン伝令兵として定着してしまったパウロに手紙を預けて王都行きを命じると、パウロはがっくりと項垂れた。
「ん?どうした。休みでも申請していたのか?」
申請書類の行き違いでもあったのかと確認すると、パウロは慌てて首を横に振る。
「あ、いえ……そういう訳じゃないんですけど。ただ、最近ちょっと仲良くなってる女の子がいて……。あっ!違いますよ!その為に仕事を投げ出すような事はしてないですよ!」
……どうやらここにも(?)戦後の平和を享受している者が一人。
終戦による婚姻ラッシュに伴う出生率の急増リスクを考えておくべきか。まあ、記憶にある前世のそれとは暮らしの質が大幅に違うので、あまり深刻にならなくても大丈夫……の筈だ。
「でも……その、相手がシル族の子で。信頼を勝ち取るのが難しいというか……」
「パウロの野郎、遊ばれてるんじゃねぇかと疑われてるんだとよ!娘っ子達にモテてたのは羨ましいが、最近は可哀想に思えてくるような有様だぜ」
通りすがりの領軍兵が横から口を挟んできた。
出会った頃と比べてすらっとした青年に成長したパウロは、人懐こく穏やかな性格と、年若いながらに伝令兵を率いているという肩書もあって村の娘達に人気が高いらしい。
無論、新しい領主の館を建てた土地の関係上、領軍の兵達が接することの多くなった新しい村の娘達もその例外ではないが、シル族だけはややガードが硬いようである。
シル族の慣習的に、同じシル族以外と婚姻を結ぶのはやや難しい。それには彼らの財産の相続がアークシアの慣習と異なる事や、彼らが民族国家の頂点に立っていた時代から漸く一世代の代替わりをしようという年月しか経っていない事等が関係している。
特にシル族の大半は婿入りだ。アークシアでも貴族には婿入りの例も多くあるが、平民の婚姻は嫁入りが普通である。
「王都往復って事は最低でも三日の道程ですよね?三日……三日も開けて折角最近やっと打ち解けてきてくれたのが元に戻ったらどうしよう……」
どんよりと肩を落とすパウロに、私は溜息混じりに「分かった分かった、他の者に任せる」と頼もうとしていた仕事を諦める事にした。付き合いの長さからつい気軽にパウロを使い走りにしてしまいがちだが、別に他の兵士に頼めないという訳ではない。
「す、すみませんお館様……」
「まあいい。領軍の兵士の、特に兵を纏める立場の者達の独り身の多さは少し問題になってきていたところだ。お前にも相手がいるというのなら無用な邪魔はしない」
戦争最前線に参加していた都合上、カルディア領は当然軍を拡大したし、兵の損耗もあった。単純に若い男女の比率が傾いているので、残った男が独り身のままだと領内に大量に未婚のまま子を設けられずといった者が出てしまう事になる。
「お、お館様!ありがとうございます僕頑張ってあの子を口説きます!……あれ?お前にもって何ですか?」
感極まったように敬礼したパウロは、ついで首を傾げた。
「ギュンターの婚姻の届け出があったんだが……正直私には全くそんな素振りが無かったから驚いた。流石にお前なら聞かされてるだろう?」
「えぇ!?何ですかそれ!初耳です!!」
ん?領軍内でも顔が利く方のパウロでも知らないのか。
まあ、ギュンターの事だ。揶揄われるのを煩がって隠していた可能性はあるだろう。
……とはいえ、やはりちょっと気にかかる点はある。
抽斗の中に入れたままの書類の事を思い浮かべ、やはり一言確認してみるか、と心に決めた。
面倒な事に、アークシアには平民の離婚を認める法律が無いのだ。気になる事があるならば、書類を通す前に調べるのが無用な厄介事を避ける秘訣である。




