カルディアの春の芽吹き・4
オスカーか、と膝を打ったものの、冷静になって考えると彼は彼で色々と面倒な事情がある。
クラウディアとの昼食会を終えた私は、早速オスカーを捕まえて彼にまつわる事情、即ち、テレジア家側の事情を確認する事にした。
私が学習院に入学した頃から正式に領主補佐に任命したオスカーは、常にあちこちを飛び回りながら仕事をしている。
私が裁可し、ラトカが分類した書類を手に、支部的な扱いになっている黄金丘の館や領軍基地、司教の居る小聖堂、シル族の族長達、各村の取り纏め役である村長や名主の間を渡り歩いて、必要な事を指示したり、聞き出したり、擦り合わせを行ったり、確認したり……。
一応メインの肩書きとしては騎士の筈なのだが、官吏として再雇用したマレシャン夫人やテレジア伯爵から譲られて同じく領主補佐として働いてくれているベルワイエを容赦無く使って領内の整備に奔走する彼は、最早領主である私よりも領内の行政管理の仕事を多く抱え込んでいる。
騎士とは一体。テレジア家の圧力が掛かり、私がそう命じたとはいえ、リンダールとの決戦の際にもオスカーは領地で留守を預かっていたし。ちなみに、帰って来た頃には領内の徴税が完璧に終えられていた。やはり騎士とは一体。
それでいて、二日に一度のクラウディアとの手合わせや、週に二度ある領軍との合同訓練も欠かさないというのだから、全く訳が分からない。分身でもしているのかと疑うレベルだ。
……とまあ、相変わらずあまりにも多忙なオスカーは、見つけた時に声を掛けねば領内中を探し回る必要がある存在となっている。
丁度彼の執務室に書類と共に伝言カードを届けに行こうとしたところ、たまたま本人が居たので、帳簿を手伝う事を条件にそのまま話をする事にしたのだ。
これを逃すといつ話が出来るか分からない。まあ、彼の謎の移動速度から考えるに、部屋に伝言メモでも残しておけば、翌日には部屋を訪ねて来そうではあるが。
さっさと帳簿の計算を終わらせて、早速クラウディアの婚姻についての話なのだが……と切り出すと、オスカーは心得たように頷いて、テレジア伯爵の考えについて説明してくれた。
曰く、そのつもりで考えてはいるが、ローレンツォレル子爵家に正式に話を通してある訳ではないとの事。クラウディアは隣国との情勢が落ち着くまでは身を固めるのを承諾しないと予想してそのようにしておいたらしい。
確かに、元はカルディア領軍は後方支援を任される予定ではあったが、不安定な情勢下で戦場に関わるれば万が一という事もある。開戦前にこの話が出ていたとしても、オスカーがカルディア領へ来た時にはあれだけきな臭くなっていたのだ。クラウディアは婚約さえ了承しなかったに違いない。
「伯爵の意図は分かったが、テレジア家の方はどうなんだ?」
学習院の寮での生活に付けられた家政婦長、ハイデマン夫人の例で分かる通り、テレジア家とテレジア伯爵の意向にはやや齟齬が存在している。
テレジア伯爵はテレジア家当主の実弟でありながら、王宮の官職に就くことで襲爵ではなく新たに伯爵位を得ている上、独身を貫いている人物だ。おそらく実兄であるリーテルガウ侯爵ですらおいそれと伯爵に口出しが出来ないのだろう。テレジア家からはほぼ独立した存在だと考えられる。
そして大変面倒な事に、オスカーはリーテルガウ侯爵とテレジア伯爵、両方の影響下にある。
オスカーとクラウディアの婚姻を考えているのがテレジア伯爵だけだとすれば、下手にこの縁談を進めてしまうと後々に厄介な問題となりかねない。
他人の婚姻に関わると本当に碌な事が無いな。
私という存在そのものがそういう星の下に生まれているのかもしれない。
「今のところ、私の婚姻に関してはクラウディア殿とのものしか聞かされておりません」
オスカーのテレジア家の中での立場は、非常に微妙なものだ。
彼の祖母はリーテルガウ侯爵、テレジア伯爵の異母妹であり、庶子だった。母君はれっきとした貴族であり、後には後添えとして迎えられてもいるようだが、オスカーの祖母は正式に夫婦となっていない男女の間で設けられたとして、前テレジア家当主の実子でありつつも書類上は養子として扱われたそうだ。
そして事態をややこしくさせているのが、リーテルガウ侯爵の直系に男児が生まれていない事による、相続問題だ。
侯爵の子は娘が一人きり。そして、孫三人と生まれたばかりの曾孫二人も全て女なのである。
娘と成人した孫二人には分家から婿養子を取ったようだが、大貴族の当主の座というものはそう簡単に養子に渡せるものではない。しかしながら、名を分けた分家が存在する以上、娘や孫娘にその地位を相続させる事も出来ない。下級貴族で一族が既に根絶やし状態であった私の場合とは事情が丸きり異なるのである。
という訳で、現在のテレジア当主家は三人の男しか残されていない状況となっている。即ち、当主本人であるリーテルガウ伯爵と、その実弟テレジア伯爵、そして家を出ていない養女の孫であるオスカーだ。
貴族の古い家柄や、一族の規模が大きい者は、男系の血の濃さを重んじる傾向にある。
名を同じくする一族とはいえ何代も前に血族としては分枝した分家の男児では、いくら当主の子や孫の婿として養子に迎えたとしても、オスカーと比べれば格が落ちる。養子筋には変わりも無く、当主の座を相続させる事は分家のパワーゲームを鑑みるに難しいのだろう。
これらの複雑な事情により、オスカーは現状テレジア家次期当主の最有力候補ではあるのだが、婿養子の出た分家からは疎まれ、しかし他の分家からは次期当主として期待されており、同時に異母妹を庶子の子或いは養女として扱ったというリーテルガウ侯爵からは完全に持て余されていて、一族内で堂々と彼に便宜を図るのは大仲父として彼に接するテレジア伯爵だけ、という状況なのだ。
オスカーがユグフェナで騎士になれなかったり、リンダールとの戦争で最前線の戦場に立てなかった理由はここにある。
彼が単にテレジア当主家の庶子筋養子筋だというのならば、同規模の大貴族であるローレンツォレルの分家であるクラウディアの家との釣り合いは十分に取れるだろう。彼女自身も騎士の身分を持っている。
しかし反対に、オスカーがテレジア次期当主であるならば、彼の妻として娶るには最低でも由緒正しい上級伯爵家の姫君でなければならない。
「最近、大伯父上達がいろいろと動いているようです。私自身、あの家に戻るよりも此処で好きなだけ仕事に励みたいと思っているのを、大伯父上達も理解して下さっているのでしょう。ですから、問題は無いと考えられます。……問題があるのならば、私はとっくに家に連れ戻されているでしょうから」
いつも通りに生真面目な様子で考えを述べたオスカーだが、珍しく最後だけ皮肉げな調子で笑った。
確かに、彼が正式にテレジア家の次期当主として扱われるようになれば、未だに悪評の付き纏うこの田舎領で騎士に興じている事など不可能だろう。
「なるほど。では、一応問題は無いと仮定して聞くが、君自身はこの縁談に異論は無いのか?」
何しろ相手はあのクラウディアである。
……いや、一般的に夫として求められる人間性がオスカーに完全に備わっているのかと言えば、言葉を濁すしかないのだが。何しろ呆れるを通り越して狂気を感じる仕事中毒者である。
とはいえ、やはりこの国の常識で考えれば型破りなのはクラウディアの方だ。
「は……それは……」
オスカーは言葉を詰まらせた。
…………何とフォローを入れるべきだろう。クラウディアの可愛らしいところ……だめだ。咄嗟には思い浮かばない。寧ろ食べ物を賭けた腕相撲大会でギュンターをふっ飛ばしたのだとかいう逸話が浮かんでくる。流石にそれはちょっと……。
「その……話は少し変わりますが。私がこの領に来てからというもの、平常時においては欠かさず彼女と二日に一度という頻度で共に過ごしている事について、エリザ殿はどのようにお考えですか?」
「……?訓練熱心な事だと思っている。倒れないように十分に気をつけてくれ」
唐突な質問に、私は首を傾げつつも答えた。息抜きと適度な運動と訓練と同僚とのコミュニケーションを一纏めにするという、オスカーらしい習慣だとも思うが、そこまでして仕事を詰め込むあたりにはやはり狂気を感じる。
オスカーは物言いたげに私を見つめ、「まあ、まだ十四歳ですからね……」と呟いた。なんだ。一体どういう意味だそれは。




