カルディアの春の芽吹き・3
ギュンターの婚姻に関しては気になりはするが、クラウディアの方が重要だ。
届けには一応サインを記して裁可印を押すが、裁可済みの書類として片付けはせず、そのまま机の引き出しの中に仕舞う。──急ぎで判を押してやるとギュンターには言ったが、少しばかり確認したい事があった。
最近では軽食と呼ぶほど質素ではなくなってきたが、まだまだ朝や夜に比べて手軽なイメージのある昼食を、敢えてしっかりとしたものにする。
そんな事はないと分かっているが、クラウディアの機嫌をうっかり損ねて話が出来なかったりするのは避けたい。
本人に意思確認をするとはいえ、実家はあのように言っているのだ。出来る事なら結婚をすんなりと希望して欲しいと思う。……そうなったらそうなったで、その相手を探すという難題が待ち構えてはいるが。まあ、伝手が無い訳ではない。
実家から結婚をせっつかれているとは知らないクラウディアは、突然の昼食会に嬉しそうにやって来た。
向かい合って椅子に腰を下ろし、許し乞いをして食事を始める。
「エリザ殿とこうして屋敷で落ち着いて食事を共にするのは、久々に感じるな」
「実際、久々ですからね。この一年、我が領地を騎士としてお守り頂き、ありがとうございました。戦場でも身の危険も顧みず、魔物のような力を使う子供も捕まえて下さったクラウディア殿に、僅かながら感謝を伝えられればと思いまして」
クラウディアの手には、あの地下通路で負った傷跡が残ってしまっていた。槍を握るのに支障は無いようだが、見た目にはかなり痛々しいものだ。
未婚の女性が負っていい傷ではない。これで私の性別が男だったなら、傷物にした責任を取って彼女を妻にしなければならなかっただろう。……まあ、それはそれで、厄介事が一気に片がついたのかもしれないが。
「騎士の傷は勲章のようなものだ。気にすることではない、むぐ」
本人はあっけらかんとそう言い放ち、傷のある手でパンを千切って美味しそうに頬ばる。
私のように手袋で傷を覆い隠そうともしないので、どうやら本気でそう考えているらしい。
「そう言って頂けると助かりますが。……ですが、もしそれで今後クラウディア殿の婚姻等に支障が出てしまうかと思うと──」
「ああ、それも問題ないであろう。私は私が『騎士』である事に意義を見出せない男の下へ嫁ぐ気は一切無いのでな」
探りを入れてみようかと口に出した話題に、クラウディアはきっぱりと言い切った。
あまりにも潔い。潔さ過ぎて引き攣り笑いが出そうだ。結婚したいという感情は微塵も無いのではないか?
脳裏ではクラウディアの父君から送られてきた手紙の存在が物凄い勢いで往復している。娘を思う父親の愛情には、ある意味では誰を前にした時よりも強い圧を感じさせられる。
「それにしても、私の婚姻の話題とは。……戦争が終わったこの折に、とうとう私に夫を持たせようとお考えであるかな?もしや、お父様から失礼な文を寄越されていたりするのでは」
面白がるような表情で、続けてクラウディアは驚異的な鋭さの一言を発した。
……そうだった。彼女は貴族的な駆け引きには敏い方だった。
たった一言で事情を読み取られてしまい、私は内心舌を巻く。普段のとぼけたような言動につい忘れそうになるが、彼女は人の思考や状態を読み取る能力というか、『嗅覚』にやたら長けている。何故か本人へと向けられる感情というか、疲れというか……そういう物には極端な鈍さを示すのだが。いや、あえてではなく。……ないよな?ないと信じたい。
「いえ。以前テオが婚姻の届け出を出したでしょう、それで色々と思う事がありまして。この際単刀直入にお聞きしますが、クラウディア殿は、ご自身の婚姻についてはどのように考えていますか」
父君から文が届いて実際せっつかれている事はぼかし、そのまま今日の本題に入る事にした。周りくどい事をして話題が流れてしまっても面倒だ。
ところが、クラウディアは私の問いにきょとんとした表情を浮かべ、小首を傾げた。
「……何か、私はおかしな事を言ったでしょうか」
「うむ。折を見てオスカーと婚姻を結ばせる気ではなかったのか?と言うより、テレジア伯爵は完全にそのつもりで彼をカルディア騎士団へ推したのだとばかり思っていたが」
………………オスカー?
半ば呆然とクラウディアの空色の瞳を眺める。彼女はとりあえずといった様子でにへらとした笑みを私に浮かべて返した。
内心では冷や汗が滝のように流れ出ていた。
そうだ。オスカーが居た。私は何故彼の存在をすっかり忘れていたのだろうか。完全にクラウディアの夫候補として抜け落ちていた。
何しろクラウディア以上に婚姻に興味の無さそうな様子を見せるオスカーである。彼ならば必要になれば適当な相手を自力で見繕って結婚しそうだという印象の影響もあったかもしれない。
「ただ、私に異存は無いのだが……一つ条件があってな」
さくり、とクラウディアはフォークをデザートであるりんごに突き刺す。いつの間にやら彼女の目の前の皿の上はきれいに片付いていた。どんな食事速度なのか。格闘ディナーの才能も秘めているとでもいうのだろうか。
「条件、ですか。一体どのような……?」
力が抜けそうになった背筋を叱咤して姿勢を改める。一体どんな条件が付けられると言うのか。
何しろクラウディアを嫁にという時点で一般的に求められる妻の条件からはかけ離れている。その上さらに付け加えられるような条件とは一体どのような無理難題なのか。
「それはな……」
クラウディアの表情も真剣そのものだ。私はごくりと生唾を呑んだ。
「私の夫となる者は、私の兄様に決闘で勝利しなければならないのだ」
…………。
………………。
「では、早速関係各所に手紙を送っておくとします。一応オスカーの意思も確認しておきましょう」
緊張感に飲まれたのが馬鹿馬鹿しくなるような『条件』に、テーブルに額を打ち付けそうになるのをぐっと堪えた私を誰か褒めて欲しいとこれほど強く思った瞬間も無い。
クラウディアは私の疲れた表情に、再びきょとんとした表情で「うむ……?」と返事をするのだった。




