カルディアの春の芽吹き・2
平和が訪れれば訪れたで変わる事も色々とある。頭痛の種は何も周囲から孤立しようとするメフリの事だけに留まらない。
「エリザ様、クラウディア様の生家からお手紙が届いていますよ」
「……読もう」
午前のうちに済ませる執務を丁度終える頃合いに、ティーラとレカ、ラトカの勉強を見ていたマレシャン夫人が持って来てくれた手紙を受け取る。
ローレンツォレル家の封蝋のされた手紙が届くのは、私が戦場から戻ってこれで二度目の事だった。
内容は勿論、彼との間にある唯一の接点──クラウディアの、結婚に関することである。
私より十歳上のクラウディアは、次の夏の誕生祝で二十四歳になる。
……二十四歳と言えば、婚期が長めの王都においてもそろそろ結婚適齢期の終わりと看做される年齢だ。カルディア領のような田舎の平民においては完全に行き遅れ扱いとなる……まあ、この領で彼女に対し『結婚』の二文字を結びつけようとする者はおそらく居まい。
二十歳を迎えるまでに騎士になれなければ親の指示通りに結婚する、という条件を果たしてカルディアの騎士となった彼女自身、恐らく自分の結婚については何一つ考えてはいないだろう。
とはいえ一応彼女も貴族の令嬢であり、彼女の結婚に関して関心を持っている者もいるにはいる。
戦場から戻った秋の終わり、私はクラウディアの父君へと一通の手紙を送った。
クラウディアの結婚に関して何か考えている事はあるか、伺いを立てたのだ。
ところがクラウディアの父君からすれば、当然騎士として彼女の身を引き取った私か、或いは直接彼からクラウディアを預かったテレジア伯爵が責任を持って彼女の縁談を纏めるものと考えていたらしい。
一時的に侍女として他家に預けるような場合とは異なり、騎士となったクラウディアは完全に家から出た存在として扱おうとしていたのだろう。
私設騎士団の騎士は陞爵か、国設騎士団からの引き抜きでも無い限りは永久就職が基本だ。騎士爵を得ているので、新たに独立した分家の当主という見方も出来る。
が、まあ、親心という言葉がある。それとこれとは別の話で、ローレンツォレル子爵もやはり戦争が終わり平穏が訪れたのだから娘にもそろそろ人並みの幸せを与えてやって欲しいとは考えていたようだ。
手紙の中には先の戦いでクラウディアが両手に負った怪我への非難の意図も含まれていた。嫁入り前の娘の身体に傷を、と、これが騎士でない御令嬢であったならば大声で抗議されるところだ。
……家族をこの手で殺した私ではあるが、家庭を持ち、家族と過ごすことの出来る幸福については理解している。
前世の女は家族のおかげで、死の間際でも心穏やかに日々を過ごす事が出来た。女と同じ体感は得られずとも、あの姿が理想的な生活の一つであるとは分かっているのだ。それこそ、領民達にあれと同じ安らぎを与えたいと目指す程に。
クラウディアは領民ではないが、こんな私に仕えてくれている、大事な腹心だ。好きに戦わせてやりたいと思う反面、平穏に日々を過ごして欲しいとは思っている。
そんな訳で、急ぎクラウディアの縁談について考えることになった訳なのだが。
「しかし…………はぁ。とりあえず、まずは本人に話をするしかないか」
読み終えた手紙を丁寧に折り畳みつつ、思わず溜息が漏れ出てしまう。
彼女に結婚願望があるか、まずその点からして甚だ疑問がある。
そしてもし彼女から結婚する意思を確認できたとして、誰と婚姻を結ばせる事が出来るだろうか。
当然相手は彼女と身分の釣り合った貴族に限られる。その上で、彼女をこのカルディア領から引き離す事がなく、また彼女に普通の貴族の女性として家の事を任せたいと思う事も無く、そして恐らく個人の武勇としてはトップクラスに位置する彼女にコンプレックスを持つことが無い人物である必要がある。
私の個人的な要望としては、ある程度彼女の手綱を握れるという事も重要だ。であるからにはこのカルディア領に移り住む事に異存の無い者である事が望ましい。
重要な点として、テレジア家、エインシュバルク家、我がカルディア家、それに位置的に重要なジューナス家との対立も無い家柄の人間でなければならない。
これら全てを満たし、尚且つこの上で──正直これが一番難しい可能性があるのだが──クラウディアが婚姻を是とする相手を探すのだ。
……果たしてこれらの条件全てを満たす事の出来る、丁度年頃の良い独身の男性などこの世に存在するのだろうか?
「マレシャン夫人、クラウディア殿への言伝を頼んでも宜しいでしょうか?今日の昼食を共にしたいのですが」
頭の重い思いをしつつ、兎に角クラウディアとの話の出来る場を設ける事にする。
マレシャン夫人は頼み事を快諾してくれた。さっさと最後に残った仕事を終わらせて昼食にありつくとしよう。
最後に残った書類を裁くべく、蓋を開いたスタンプ台へと裁可印を乗せて紙を捲る。
奇しくもその書類は今年の春に結婚する領民達の婚姻届の束であった。冬が一番嫁入り前の支度をするのに時間が取れるからなのか、春は一年のうちで最も婚姻が多い。今年は二十六組が新たに夫婦となるらしい。
私が初めて領民の婚姻届に印を押したのは七歳の時だ。その頃と比べると、随分と結婚する領民の数が増えたものだ。
そんなしみじみとした思いで各村から届けられた書類に印を押していく。
と。
「…………ん?……………………んんんん?」
ぺらりと捲った何枚目かの書類に書かれた『ギュンター・パヴェル』の名に、思わず手が止まった。
………………な、なんだと。
ギュンター、結婚するのか。あいつ、ユグフェナで話を振った時には何も言って無かったじゃないか?領軍の者達からも、そんな話は一切出ていなかったぞ!?




