54 貴族院への帰還
実に一年半もの間続いた新興大国リンダール連合公国……実質的にはデンゼル公国との戦争は、大規模攻勢に出たリンダール軍のテーヴェ川での敗走、ディ・ロ・ユーン攻城戦での奴隷兵達の離反による戦線の崩壊、最前線基地であったエリスの炎上による物資の喪失などにより、向こう側の全面的な降伏によって幕を閉じる事となった。
和平交渉はまだ途中だが、デンゼルの首都へと入った和平大使の護衛団をほぼ待機状態であったジューナス辺境伯の軍が努めたようで、アークシア側の戦力の余力をやっと理解したリンダール側が震え上ったという、笑い話にもならない話が王都では出回り始めているらしい。
怪我の回復を待ち、王軍の凱旋からは遅れて王都へと戻った私はといえば、ユグフェナ城砦へ向かうまでとあまり変わらない日々を学習院で過ごしていた。
何しろ学習院では、恐らく親から伝わっていると思われる悪評や、今は収まった生徒同士の対立の名残で殆どの生徒から遠巻きにされている。いや、寧ろ再び戦場に立った事によって、より陰惨かつ悪辣な私の所業がひそひそとあちこちで囁かれる事が増え、更に遠ざかったかもしれない。
変わったことと言えば些細なもので──軽くなった頭と、それから。
「カルディア!今日はアルフレッドとグレイスが学習院へと戻って来るらしい。随分久々にあの二人とは顔を合わせるだろう?挨拶くらいするべきじゃないか?」
「…………殿下方はご公務でお疲れでしょう。煩わせるのは心苦しく思うのですが」
「いや寧ろお前が行けば人払いになって多分アルフレッド達助かる。ほら!」
ぐ、と腕を引っ張ってずるずると私を既に人だかりになり始めている方へと引っ張っていく、エリックである。
学習院へと戻って来て、とある切っ掛けで大公閣下と一言二言言葉を交わしてからというもの、彼は終始こんな様子だった。
勘違いして馴れ馴れしくするなとか、成り上がりの下級伯風情がとか言っていた彼は一体何処に消えてしまったのだろうか。
王太子と距離を取りたいと思って彼に狙って悪印象を植え付けていた筈なのに、どうしてこうなった。城砦でたった一度彼に向き合った覚えはある。だがそれだけだ。それだけだぞ?ちょっとチョロ過ぎるのではないか?
しかも、である。目論見では城砦へと向かわされた時点でエリックは王太子の側近から外され、国政の中心からは遠ざけられる筈だった。故に彼との仲が少々改善されてしまったとしても、問題は無い──そういう計算で彼に喝を入れた筈だった。
にも関わらず、エリックは王太子側近からは外されておらず、しかも予想以上にどうやら私に親しみを感じて……言葉を繕わないならば、盛大に懐いてしまっている。
聞いた話によると、ディ・ロ・ユーンでの奴隷兵の寝返りは、彼の王軍への演説が発端となって起こったものらしい。
医院への慰問を通して兵士達の心の傷に触れたエリックは、王軍の兵士達に奴隷兵の攻撃許可を与えながらも彼等のアークシアの騎士としての矜持を称え、鼓舞した。それが最前線にまで伝わり、ディ・ロ・ユーンに籠城する騎士達は奴隷兵とのなるべくの戦闘を避け、或いは積極的に保護し──そうして、奴隷兵の大量造反に繋がったという。
結果としてディ・ロ・ユーンに取り残された兵力はほぼ無傷のまま帰還。
その功績により、エリックは王太子の側近からは一時的に離れたものの、国内の有力な騎士団への慰問や、怪我による退役軍人の保障などに関する仕事といった公務に携わる事になり、寧ろ国政の中心に近付いて華々しく王太子の側近に復帰した。
お前のおかげだ、と笑うエリックに、私は引き攣り笑いを返すしかなかった。そんなつもりは一切無かったし、予想もしてない。
どうしてこうなった?本当に、どうしてこうなったんだ?
けれど今の私はもう、わざわざ心無い対応でエリックを遠ざけようとは思えないでいる。まあ絆されたと言えば早いが──会戦の後、ユグフェナ城砦の医院で随分心安らかに過ごせたのは、明らかにエリックのお陰だった。その恩がある以上、彼を邪険に扱うような事は出来かねる。
「アルフレッド!グレイス!あ、ジークハルトも居るのか」
ずるずると引き摺られて行った先で、エリックの呼びかけにぱかりと人垣が割れ、その向こうの王太子とグレイスが私とエリックを驚きの表情で見詰める姿が見える。既に出迎えに出ていたらしい総帥の孫は生温い視線を送ってきた。
王太子はすぐに泰然としたような微笑みへと表情を戻し、久し振りだね、と私に声を掛けてくる。こうなれば逃げられる筈もなく、私は王太子達に礼を取り、挨拶を述べるしかなかった。
「王太子殿下、ドーヴァダイン子爵。長らく御尊顔を拝する事が出来ませんでしたが、お元気そうで何よりです」
「カルディアこそ。リンダールとの戦では、随分活躍したそうだね。エリスの都の制圧に、テーヴェ川の戦いでは船団を壊滅させたと」
「エインシュバルク王領伯の策あってのものでございます」
「そう言って褒賞の殆どを辞退したとも聞いたよ。君らしいと思うけど」
「……これ以上の身分や領地は余りに過ぎたもの。とても恐れ多く、受け取る事は出来ませんでした」
伯爵位ですら持て余し気味なのに、これ以上は絶対に要らない。土地も今のカルディア領では開発する余力など無い上、周囲に買ってくれる領も無いのでやはり絶対に要らない。そんなもの貰ったところで、今以上の無用な妬みを受けるだけだ。
必要なのは金だけである。あと人員。
上層部の判断で、捕虜とした奴隷兵のうち、殆どは大平原へと解放する事になったが、家族の無い者で、教育余地のある子供や若者から希望者を募ってカルディア領の民を得た。暫くは新入領民の村と領軍の管理下に置かれるが、そのうち使える人材となってくれるだろう。
他にあって嬉しいのは食料、それに工事に使う金物とか資材とかか……。
「それにしても、随分エリックと仲良くなったみたいだね。安心したよ」
「殿下に無用なご心労をお掛け致しました事、心よりお詫び申し上げます」
「そんな事気にしてないよ。ただ、友人同士はやっぱり仲が良い方が僕としても嬉しいから。でも、良かったの?」
こて、と王太子は首を傾げる。良かったの?というのは、私が政治的バランスを気にしていた事についてだろう。そんな事を聞くくらいならば、本人である王太子が少しは配慮をしてくれないだろうかと思わないでもない。
「──行動を共にする中で、私のような者がエリック殿とは特別親しくなれたのは神のお導きであると思います。とはいえ神の御恩寵は既にこの身に余るもの。これに傲る事無く在らねばと身に釘を打ち縄を掛ける思いです」
酷く遠回しに「エリックと打ち解けただけで、不必要に身分不相応な付き合いはこれからもするつもりは無い」と告げると、王太子とグレイスの表情がほんの僅かに強張った。
「……そう。謙虚なところは相変わらずだね。では僕も、君とお近づきになれる機会を神に祈るとしよう」




