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51 神の鳥

 白い光に打たれたラスィウォクが、ギャン、と悲鳴を上げて弾かれたように吹き飛んでいく。

 私は声も出せなかった。

 馬鹿な、と口元が戦慄いて、頭を殴られたかのような衝撃にまるで周りの世界が止まったように感じられた。


 それは信心深いつもりが無くとも、私にクシャ教の信徒としての感覚が身に付いている証なのか。


 天から地へと落ちる雷光は、この世界では何にも代えられない『神』の象徴だ。

 それを敵対する巨鳥が操る、という事が、うまく受け入れられない。頭が痺れるような感覚がしている。


「ラスィ……」


 かち、と何かの音が鳴った。かちかちかちかちと不規則になり続けるその音に、何だ?と私は自分の顔へと手を伸ばす。

 そうして漸く得心がいった。私は震えているのだ。音の出処は、ぶつかり合う上下の歯が立てるもの。……身体の震えに気付いた切っ掛けはは寧ろ、触れた手の平の方だったが。


「気が変わったかしら?」


 どこまでも穏やかな声が落ちてくる。

 つ、と噴き出した冷や汗が頬から顎を伝う。


 私は頑なに腕の中にいるメフリに視線を落とさないようにした。もしそうしてしまえば、彼女を放り出してしまいそうだったからだ。

 けれどいくら頭を働かせても、メフリを差し出さずにどうやってこの局面を抜け出すのか、良い考えは思い浮かんで来ない。

 いや、メフリと私が逃げ出すだけならやりようはあるのだろうが、その為に必要な犠牲をメフリと天秤に掛けるつもりは最初から無い。


 はく、と唇が無意味に開いて閉じる。

 メフリが私を振り返って見上げた。

 ……そうして、私は唐突に、彼女が既に半日近い時間を私やヴェドウォカに触れたままである事に気がついた。

 空虚なメフリの瞳には、無様に焦りを浮かべた私の顔が映し出される。


「それとももう、あなたごと焼いちゃった方が手っ取り早いかしらね。どうかしら?その子と共に心中したい?そうでないなら、あなたの手でその子を殺して下さるかしら。この子の()は不要に目立つもの、ね」


 歌うように軽々しい最後通牒だった。

 ぐ、と喉が鳴る。


 死ぬ。ただその確信だけが頭の中を嵐のようにぐるぐると駆け巡る。

 メフリを見捨てるしかないのか。

 口の中がカラカラに乾いたような気がした。

 だが、今更見捨てることは出来ない。お前は用済みだ、と言った瞬間、彼女は私を爆破する可能性があるのだ。

 メフリの『見捨てられる事』への恐怖を煽り、膨らませたのは私自身だ。その影響が今、私の確実な退路を潰しているのはなんと皮肉なことか。


 最早自分の言葉を守ってあの巨鳥の雷に打たれて死ぬか、それともせめて強引に引き摺り込んだメフリの気が済むように、彼女に爆破させてなるかの二択しかない。


 けれど。けれど私は、ここで死ぬわけにはいかないのだ。


 耳の奥でいつか聞いた声が響く。

 ──私もあなたが好きよ。殺したくないくらい。

 だから、何があっても生きてね。死んだらだめよ、そんな事、絶対に許さないから──


 呪いの言葉。

 ……或いは、約束と呼ぶべきその声に、心臓が潰れるかと思うほどに胸が痛んだ。


 腹の底は煮えているのかと思う程熱くなり、けれど頭は凍りついたように冷えて冴える。

 血の気が引いたような感覚なのは変わらない筈なのに、今度は不思議とするりと思考が回る。やらなければならない事は一つだった。


「……メフリ。聞きたい事がある。お前は──」


 嘲りと昏い愉悦を微笑みに滲ませて私達を見下ろす少女からなるべく目を離さず、私はそっとメフリに囁きを落とした。


 メフリは私の問いに目を見開いた。そうして、ほんの僅か、小さく頷く。

 私はふっと息を吐いて、彼女の肩に手を掛けた。同時に腰に提げていた短剣を鞘からゆっくりと引き抜く。


 巨鳥の上の少女が愉快そうにうっそりと目を細めるのが見えた。

 私はそれを見上げ、強く睨み付けて──ヴェドウォカを一気に上昇させる。


「……えっ?」


 しなやかに地を蹴って跳ねるように飛び上がった狼竜に、少女は表情さえ変える余裕も無いまま呆然と声を上げた。

 視界が上昇する。たった一瞬だけ、少女と同じ高さで視線が交わり、すぐに眼下へと遠ざかる。

 夜明けの空のような、紅碧色の瞳。そこには川の表面に残る火と共に、やはり父に似た感情が映り込んで見えた。


 短剣を横一文字に引く。ジャッ、という音ともに、はらりと首に掛かる軽い感触。


 握り込んだ髪の束が、ばさり、と手の平から鳥に向かって落ちていく。


「やれ、メフリ!」


 私の声に応えたメフリの喉から、巨鳥の鳴き声とは正反対と言うべき獣じみた濁った絶叫が劈いて。


 ごぽ、とやはりどこからかあの音が聞こえ。


 ──巨鳥の頭の上で、切り落とした私の髪の束が爆発を起こす。


「きゃあ──っ!?」


 少女の悲鳴が巨鳥の悲鳴に紛れて聞こえた。突然頭に攻撃を喰らった巨鳥は藻掻くようにして空へ飛び出し、ボタボタと血を撒き散らす。


「ヴェドウォカ、食らいつけ!」


 上へ上へと藻掻き続ける巨鳥と競り合うようにヴェドウォカもまた高度を上げた。最早ラスィウォクが失ってしまった魔法の力、風を操る能力を駆使して、空を駆け上がり、混乱する巨鳥の喉笛へとその牙を喰い込ませる。


「ぅぐッ!!」


 けれどそれも一瞬の事だった。より一層激しく身を捩った巨鳥に弾かれ、遠心力に身体の中身全てが掻き回されるような衝撃が走る。

 地面に叩きつけられる寸前でヴェドウォカが体勢を立て直して、私とメフリはそれにしがみついているので精一杯だった。


 予想はしていたが、やはり爆発の威力は随分と小さい──メフリとの連続した接触時間が短かったせいだろう。それほど大きなダメージを与えられた訳ではなく、巨鳥は程なくして落ち着きを取り戻してしまう。


 逃げる時間の余裕さえも無かった。


 ──くそッ!


「は。ああ、そう。そうなの。それがあなたの選択なのね。……ディアペテル、神の裁きを彼等へ下しなさい!」


 朗々とした少女の声が高くから落ち、巨鳥が再び天へと向かって朗々と鳴く。


 あまりにも一瞬で、呆気の無いものだった。


 真っ白な光に視界が埋め尽くされて、私は自分がどうなったのか、何もかも分からなくなった。

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