49 火の川大作戦の巻
それは蹂躙と表す以外はするべきではないというような光景だった。
悲鳴と怒号、そして破砕音。戦場だというのに咽び泣き、助けを乞う叫びさえ時折天を劈く。
野営していたリンダール兵を、武装しているものもそうでないものも区別無く屠るアークシアの軍勢。先導は言わずもがな、ユグフェナの騎士達である。
昼と同様にその後に続く王軍が、残ったものを全て踏み均す。まるで畑の開墾作業か何かのようだ。
とはいえ、こちらもそう川岸と状況は変わらない。メフリの能力を用いた爆破によって、船底に大穴を開けた大型船に乗り込み、船内を好き放題に荒らし、破壊しまくっている。逃げ遅れた間抜けは捕らえるなり川に放り落とすなり、或いは殺すなり。船が完全に水に浮けなくなる程壊したら脱出し、次の船に取り掛かる。
そうして六艘全てを破壊し終えたら、一度川から出て川上へ。
「よし、流し込め」
「はっ!」
どうやらウィーグラフの大判振る舞いはまだ続いていたらしく、用意されていた樽の中身をだぱだぱと川へ流し入れる。水より軽いその液体は、水の上に膜を張って流されていく。最早語る迄も無いと思うが、油である。
ダメ押しとばかりに油の入っていた樽そのものも手早く解体して川に流し、下準備は完了。
「終わったな?では下がれ。火矢、構え──放て!!」
樽の破片目掛けて兵士達が火矢を放つ。流れていく目標に当てるのは日常的に弓の訓練をしているわけではないカルディア軍には難しいが、それでも弓の得意な奴等がそれなりに命中させてくれた。
鏃で燃えていた日は油の染み込んだ樽へと移り、その火は川の表面に張った油へと引火する。
そうなれば後は早い。水の上を舐めるように火が広がっていく珍しい光景を兵士達と共に、合戦中にも関わらず「おおー!」「すげー!」などと暢気に囁きあって眺める。
……それほど、この夜戦は一方的なものだった。
殆ど瓦礫と化していた船は燃え上がり、逃げる術を失ったリンダールの兵の生き残り達が次々と武器を投げ出して白旗を揚げ始める。
完全なる戦意の喪失だ。諦めの悪いリンダール軍も、流石この壊滅的な状況で、燃え上がる川で背水の陣をやらかそうとまでは考えないようだった。
軈て、アークシアの「神は我らと共に在り!」という凱歌が聞こえてくる。
わっと兵士達が歓声を上げた。
「勝ったぞ!これでこの下らん戦争が終わる!やはりうちのお館様は『勝ち』を拾うなぁ!」
すぐ隣にいたアジールも、万歳、と昼夜の行軍や戦いの疲れなど無かったかのような勢いで叫ぶ。
……私は別に今回の合戦の勝敗にも、戦争そのものの勝敗にもあまり関係無いと思うのだが。勝利の悦びに浸る今これを言うのはあまりにも不粋なので口には出さないが。
合戦の方は作戦は全てウィーグラフが立てたものだし、必要なものも全て彼が用意したものだった。作戦を不備無く成功させたとは思うが、私はあれこれ指図しただけで、働いたのは兵士達である。
戦争そのものの方は、まあそれなりに名を売りはしたが、勝敗そのものに影響するものではない筈だ。精々駒が増えて戦術の幅が増えた程度だろう。
たとえ私が居なくとも、元より私以上に恐れられているエルグナードやユグフェナの騎士、ローレンツォレル家の騎士等が参戦している以上、敵兵へ与える恐怖や重圧はそれほど変わらなかっただろう。
……まあ、とはいえ、私個人としては少しだけ、気分が良かった。
やり過ぎた部分もあった事は重々承知している。人道的にどうかと思うような事を散々したのも、死ぬまで忘れずにいるつもりだ。
だが、やはりあの『無かった事』にされてしまった私の本来の初陣の事を思えば、デンゼルの者達の思い上がった戦意をへし折ってやったのには爽快感がある。
八つ当たりに近いのは勿論分かっているのだが。
「我々もディ・ロエ・ダスへ一度引き上げましょうか、お館様」
川岸に待機し、油樽を守っていた部隊を率いていたカルヴァンがそっと声を掛けてくれる。
ああそうだな、と頷いて、それまでじっと周りを囲む兵士達に我慢してくれていたヴェドウォカの首を撫で、たまには兵士達と共に歩いて帰るかとその背から降りる。
そうするつもり、だった。
けれど突然、傾けた身体をぐいと白銀の蛇のような尾に引き戻され、次の瞬間ぐわんと世界が大きく揺れる。ヴェドウォカがその場を飛び退いたのだ。
「──ッ、」
あまりにも唐突な狼竜の動きに、一瞬何が起こったのか分からなかった。
同乗していたメフリが悲鳴を上げてヴェドウォカの首に縋り付く。
直前まで私とヴェドウォカの居た場所へと、空から一直線に飛来したものが視界に大きく映り込む。
ああ、あれを避けたのか──揺れた衝撃で痛み鈍る頭でまずそれを認識し。
「──ッッッアジール、カルヴァンッ!!」
そうして、私の側に立っていたその二人が、『それ』の足元で地に倒れ伏しているのにやっと気付く。
クァルルルルルル、と『それ』は場違いな程高らかに、優美に鳴く。
神秘的なまでに美しい、金色の巨鳥──それが突如この場へ飛来したものを表すのに、混乱する私の頭がなんとか捻り出した言葉だった。