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44 後方基地にて

 連絡基地、改め、新たにアークシア軍後方基地となったデンゼルの農村、クレメンテ村。

 その占領下で息を殺すようにして過ごしている農民達が、ユグフェナから到着した兵士達へと怯えた視線を向けている。


 ……リンダールには、戦時の民間人への扱いを約束事として定めた条約が存在すると聞く。

 元々リンダールの国々は、嘗て広大な国土を有したリンダール王国が分裂して出来たものばかり。歴史の中で国土を争う事が起ころうと、勝利の暁には自らの国の臣民となる者達を無用に傷付ける事を避けるために制定されたという話である。

 しかし、その条約はアークシアには全く関係の無いものだ。

 一国で全てを完結する事の出来る、閉ざされた大国であったアークシアは、他国と戦時に関する取り決めを一つも結ぶ事なく、国家成立から六百年もの歳月を過ごしてきた。


 デンゼル公国とアルトラス王国との間に戦争があったのはまだ三十年前の事だ。このクレメンテ村はデンゼルとアルトラスが一時期国境を争った際に、両方の軍によって占拠下へと置かれた事があるという。

 故に、まだ生身の記憶としてその際の扱われ方が残されていたのだろう。

 ──従順に過ごしてさえいれば暮らしを保つ事が出来た三十年前とは異なり、兵が増えれば増えるほど住処を追われ、食い扶持が減っていく。以前の戦時とは余りにも異なる扱い。

 クレメンテ村の中には、恭順を示しても命の保証さえされないだろう、という不安と不信からくる恐怖が、息が詰まりそうな程に張り詰めて満ちていた。


 まるで石を投げられたあの日のシリル村のようだな、と、針で全身を刺されるような空気に思った。



「……あまり良くない雰囲気ですね」


 移動から休む間もなくあちこちへ指示を飛ばしていたウィーグラフが、やっと椅子へと腰を下ろす暇が出来た途端、顔を顰めながらそう溢した。

 溺れる者が酸素を求めて喘ぐかのような様子に、私は深い共感をもって頷いて返す。


 不本意ながらこういう雰囲気に慣れている私のカルディア軍はまだ良いが、元より民間人と縁のないユグフェナの騎士や兵士は完全に浮足立ってしまっている。

 まだ前線へと出たわけでもないのに、精神を削られるような環境に彼等を長く晒しておくのは全く以て宜しくない。


「切っ掛けが出来てしまうと、暴動が起きる恐れもあるかと」


「……いやに説得力のある、」


「慙愧に堪えぬ話ですが、過去に一度、危うくそうなる寸前までいった事がありまして」


「まだ準成人となったばかりのあなたにそのような経験があるとは信じたくもありませんが、非常に残念な事に真実なのでしょうね……」


 ウィーグラフは頭を抱えてそう唸る。


 取り敢えずの作戦室として抑えたこの村で一番広い村長の家の窓からは、農民たちが詰め込まれている区画のあたりがよく見えた。

 連絡拠点であった頃から、この村からは食料が徴収されて前線へと送られている。その間八ヶ月だ。兵士達に見張られて農作業に追われる農民達は皆顔色が悪く窶れていて、けれどその目には怯えや恐怖と共に確かに怒りが灯っている。


「……これでは奴隷と同じだ」


 ついそう口をついて出た。アークシア王国は奴隷を認めない。けれどこうして命の保証もされず、自由も無く、自分達で得た食料を見返りも無しに取り上げられている彼等は奴隷……農奴と呼ばれるものと一体何が違うのか。

 リンダールの民に同情するつもりは無い。クシャ教へと改宗するのであればアークシア王国は亡命を受け入れると、占拠時に彼等には通達されている筈だ。

 ただ、国の行いについて何ら責任も無く、日常の営みを送っていただけの者達を農奴のように扱う事に感情がささくれ立つのだ。


「デンゼルと開戦してしまった場合はプラナテスへと捕虜を解放する事を念頭に入れてアークシアは準備をしていましたからね。そのプラナテスとの対立によって宣戦布告がなされた今では終戦まで解放も出来ません。……戦争が終われば、新たに捕虜の扱いについて話をする事も出来るでしょうが」


 私の呟きに自嘲じみた響きを含めてそう答えたウィーグラフは、休憩もそこそこに机の上に地図を開き始めた。


 戦争が終われば、か。なるほど確かに、私達に出来る事はこの戦争を早く終わらせる事だけだ。


「もっと早く終わらせられれば良かったのですが。具体的には八ヶ月前に」

「それはそれ。我々の王国が静かな安寧を保つためには、出来る限り外への不干渉を貫く姿勢が大事なのですよ」


 そう言いながらもウィーグラフは苛立ちを隠さない手付きで地図上へと駒を並べ、赤鳩によって前線から次々に届く戦況の報告書をバサバサと駒の周りに積み上げていく。

 私は農民達から視線を外して、机の前に戻った。作戦会議の時間だ。


「──さて、早速ですが、あなたには少々忙しく働いて貰わねばなりません」


 何の皮肉なのか、ウィーグラフは机に飾られた花瓶から赤い花を手折って地図の上へと置いた。

 置かれた場所は──既に戦場と化した残丘地帯ではなく、その更に東。デンゼル軍の本拠地である、エリスの都であった。

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