36 嫌な予感
ラスィウォクはすぐに私の元へと飛んできた。そうして、何があったのかと目線で問う。
その背後に、真っ白な狼竜が優美に翼を畳みながら降り立った。白い狼竜は理知的な光を瞳に灯して、すいとラスィウォクの隣に腰を下ろすと、私をジッと見詰める。私の指示を待つかのように。
野生の狼竜は人に慣れないのではなかったのか。戸惑う私に、大丈夫だとでも言うかのように、わふっとラスィウォクが軽く吠えた。
もしかすると、白い彼女は私を狼竜のリーダーだとでも認識しているのだろうか?
困惑しつつも頷いて、二匹に指示を出す。
「ラスィウォク、まずはラトカのところまで乗せていってくれ。それから……ええと、その、そちらには城砦の周辺に子供が出て来ないか見張って貰いたいのだが、出来るだろうか?」
幾ら知能が高いとはいえ、野生の狼竜に人の言葉が理解出来るのだろうか。
そう思いながらも語り掛けた言葉は、どうやら懸念通り彼女には全く伝わっていないようだった。ラスィウォクがふんふんと鼻を鳴らすようにしてコミュニケーションを取ってくれて、彼女は了承のようにわふん!と一声吠えてから再び飛び立っていく。
「……出来た嫁だな」
呆気にとられた気持ちでそれを見送ってから、思わずそうラスィウォクに声を掛けた。彼は「そうだろう」とでも言うかのようにぐっと首を反らした。
「ラトカ!」
「……エリザ?」
ラトカは地下牢の傍の通路に居た。居た、と言ってもただそこに突っ立っていたわけではなく、崩れた壁の石に埋もれて蹲っている。
一つ一つの石はそれほど重くはない筈だが、布地の多い服の裾や袖が幾つもの石で抑えられてしまって起き上がれないようだった。
「大丈夫か!?」
「ああ、幸い頭とかには当たらずに済んだ」
ラスィウォクから飛び降りて、手当たり次第に石を退かしてラトカを助け起こす。
手首に青痣が見えた。頭には当たらなかったとの事だが、恐らく服の下の身体は青痣だらけになっている筈だ。
「何があった?」
私の問いかけに、ラトカは首を横に振って答えた。
「よく分からない。俺はいつも通り捕虜達の様子を見るつもりで地下牢に向かうところで、途中で物凄い音がして地面が揺れたから、思わず床にしゃがみ込んだら壁が崩れて来てそれきりだ。ただ子供達の声は聞こえた。あいつら脱獄してる。それも、誰かに脅されて動かされてるみたいだ」
脱獄。……それに、脅しか。自分の眉間に皺が寄ったのが分かった。
やっとエリックが自分の役目を果たそうという気になったというのに、間髪入れずこの騒ぎだ。
「誰かというのは侵入者か?」
「いや……多分、子供達の中の一人。俺の予想が正しければ……髪の短い、身体の小さな女の子だ」
「……まさか。それは一番年少に見えるあの子じゃないのか?」
「そう。でも、話をしたり、見ていた感じだと、見た目よりもう少し大きい。多分八歳くらいだ。お前だって六歳の時には槍持って戦場に立ったんだろ」
私の場合は一応前世の記憶の影響があった……とは、流石にラトカにも言えなくて、私はただ口を噤んだ。
取り敢えず最も長く捕虜の観察を行っていたラトカの言う事だ。一番幼く見える、髪の短い小柄な少女がこの騒動の原因であるとして動く事にする。
「ラトカ、お前はエルグナードにその事を伝えてくれ。私は子供達を追う。途中で領軍の兵を見かけたら拾っておけ、後で合流する」
「了解!」
「ラスィウォク、子供達の匂いを追えるか。…………問題無さそうだな、行くぞ」
再び駆け出すラスィウォクの背に乗って、ラトカとは二手に分かれる。
ラスィウォクの首に捕まりながら、私は腰から提げた剣にそっと触れた。武装用の剣ではなく、儀礼用のレイピアと短剣の二揃えが皮のベルトの先で揺れている。
ユグフェナ城砦は後方基地となっている。エリックの護衛のような役割である事と、一応この場所が戦場の一端である事を鑑みて最低限の装備はしてあったが──本当に最低限過ぎたらしい。実際に事が起こってしまうと、これだけでは大分心許なく思えた。
何しろ細剣は刺し貫くための構造はしているが、斬りつけるには殊の外向いていない。刃元の方など、なまくらよりも酷い斬れ味だ。
……これではそのつもりが無くても殺してしまいかねない。それに、私の身も危うくなる。
突きというのは隙の多い攻撃だ。槍のように一方的なリーチを持つ武器ならば兎も角、細剣はそれほど長さも無い。
それに──あの、崩れた壁の事が気になった。
あの地を揺るがすような衝撃は明らかに爆発によるものだった。
そして、捕虜の子供達は誰一人として、隠し持った荷物など無い筈だ。
一体どこに仕込んであったのか。彼等が捕虜となってから、もう何日か日が経っている。唯一隠せそうな腹の中とは考えにくい。
ではどうやってあんな大規模な爆発を起こしたのだろうか。
なんとなく感じた嫌な予感に、ぞわりと肌が粟立った。
私の脳裏には、有り得ない事を可能にした唯一の姿──魔物を意のままに操った、褐色の肌の女の姿が浮かび上がっていた。