35 猶父殿の揶揄い
エリックを連れて会議室へと戻れば、待機していたウィーグラフとローレンツォレル総帥が何事も無かったかのように彼を迎え入れ、宣下式の予定を組み始める。
エリックが宣下を拒否していた事は表沙汰にしても何の得にもならないので、侯爵達とエリックの間の使い走りであった私だけがそれを知り得ている、という扱いにしてある。公然の秘密というものだ。
何はともあれ、これで面倒な問題は解消された。
宣下式の予定には、私が口を挟むような事項は無い。後は指令を待つのみである。
時間を無為にする事もないだろう、と、別の仕事や雑事を片付けるべく、同じく会議に参加する意味が無くなったエルグナードと二人で先に会議室を辞した。
「結局構ってやったのか」
「……流石に不敬ですよ」
「誰を、とは言っていないだろう?」
練兵場へと向かう途次、私の隣を歩くエルグナードが涼しげに笑う。
こうなる事は分かっていたと言わんばかりのその顔を少々うるさく感じて、私は溜息を吐いた。
「もう少し粘ってくれても良かったのだがな。そうすれば、賭けは私の勝ちだったのに」
「人を賭け事遊びに使わないで頂けますか」
「覚えていたら、次はそうしよう」
恐らく、賭けの内容は私がいつエリックに折れるか、それとも最後まで折れないかだったのだろう。
遊んでいたのはエルグナードと侯爵とウィーグラフの三人か。各々の性格や私についての把握具合を考えると、多分ウィーグラフが勝った筈だ。元は参謀をしていた事もあって彼は心の運びに敏い所がある。
「ここへ来た時点で態度を軟化させなかったから、そうしてやる気は一切ないのだと思ったんだがなぁ。君が彼に素気ない態度を取っていた原因はそれなりに解消されていただろう?」
「まあ、あれだけの勢力争いに発展していたものの旗を一方的に折りましたからね」
エルグナードの言葉はつまり、エリックが王太子の側近から外れる事を意味している。分かりやすく言えば、失脚だ。
私が政治的な距離を取りたいのは王太子と次期大公であるグレイスで、総帥の孫とはなし崩し的につるむようになっていたりする通り、王太子に近過ぎなければそこまで無理に距離を開けたりはしない。
その点、公的な身分が低いエリックは二人との間に緩衝材のように挟むのに丁度良かったのだが。
派閥闘争は妾腹のエリックと単なる地方伯である私との確執で終わっていたならば兎も角、明確に対立したあの模擬決闘の授業でジークハルトを経由して学習院の全体を巻き込み、最終的には王軍総帥ローレンツォレル侯爵とドーヴァダイン大公を動かすに至った。
これは明らかにエリックの汚点となる。彼から権力が遠ざかるのは当然の事だった。
「まあ、彼がこの期に及んて役目を放棄しかけるのは予想外ではあったが。別に君が彼に折れてやって、宣下をさせずとも、戦のやりようはあった」
それは分かっている。王軍の士気は恐ろしく低下するだろうが、最終手段として、王軍が攻撃出来ない奴隷兵を王領軍と私の伯領軍で皆殺しにするという案も一応あったのだ。必要であれば、ジューナス辺境伯にも援軍を要請する事も出来た。
「そこまでするほど我は通せません」
「まぁ、そうしなかったという事は、そういう事なのだろうな。だが敢えて原因が無くなったにも関わらず、関係の修復を計らなかった理由は?」
私は唇をへの字に曲げた。一瞬そこから話題が流れたかのように見せかけて、結局突っ込んで聞いてくるのか。
「……だって、構ったら懐くでしょう、あれ……」
再度の深いため息と共にそう零すと、エルグナードは盛大に噴き出した。
そのまま随分愉快そうに大笑いする彼を、私はじとりと半眼で睨みつける。だから言うのが嫌だったのに。
ラスィウォクを呼んで戯れつかせてやろうか、等と反撃の方法を思わず考え始めてしまう。
その時だった。
──遠くで響いたドォン、という音と共に、一瞬走った衝撃で地面が揺れる。
ピタリ、と私とエルグナードは須臾動きを止めて顔を見合わせた。
「……地下だ」
「捕虜の子供達か……!」
「先に行く。君はラスィウォクを呼んでからついて来なさい」
頷くと、黒衣を翻してエルグナードは駆けて行く。
私もそれを追いかけるべく、回廊から外に出ると、ラスィウォクを呼ぶための指笛を高く吹いた。