34 立場と務めとそれから覚悟と
エリックが十分に落ち着いたのを見計らって、椅子を引いて私も座る。
急ではあるが良い機会だ。今日明日中にエリックを説得しておかねばならない事は確かだった。
「ドーヴァダイン男爵のお考えはよく分かります。一つ申し上げたい事があるとすれば、私を含め、誰もがそう思っているという事です」
「なら!」
「しかし、貴方はそれではいけない。ドーヴァダイン大公家の人間であるならば、この場では騎士ではなく為政者の立場でなければ」
少々強い口調で言い聞かせると、エリックは一瞬怪訝な顔をしたものの、すぐに表情を強張らせて唇を噛んだ。
溜息を吐きたくなる。この反応から察するに、言われずとも彼はどこかで分かっていたのだ。
「…………お前、分かっていたんだろう。その上で俺を此処に連れてきたな?」
私はその問いには何も答えなかった。負傷兵を見たエリックがどういう反応をするかまで読んでいた訳ではない。
そもそもの学園内での争いを収束させるという目的は、エリックをユグフェナへ連れて来た時点でほぼ達成されている。エリックは王都を発つ前に正式に発言の撤回をさせられているからだ。
彼に慰問をさせたのは建前を果たして貰う為、それから兵士の事を実際に見て貰うことで、王からの命令を伝えて鼓舞するにも少しは熱が入るかという考えによるものだった。
実際は熱が入るどころか、全く逆──為政者の視点を保持しているまま騎士、つまり軍人側の立場に寄り添ってしまった。戦場で傷つく国民に心を痛めるあまり、為政者として国益を考えず、軍人というには戦場に立つ者の覚悟の事を知らなすぎるまま、ただ力の無い言葉を振りかざすだけになってしまったのである。
「貴方は間違っても戦場には立てない、騎士には成れぬ生まれの方です。騎士の立場でものを考えるのは間違いというもの」
戦場に立つ者には、戦場で己や仲間の命を掛ける覚悟が必要だ。
そして為政者にもまた、覚悟が求められる。自分や国民を守るために、誰かの命を使うための覚悟が。
私がその両方の立場に存在出来るのは、私はエリックとは違って幾らでも替えの効く存在であるからだ。
「……兵士達とて死は怖い。だから死を覚悟出来るものだけが戦場に立つ。心が折れてしまった者は、戦場からその身を退く。心がまだ折れていないのに戦場から逃げ出せというのは、それこそ侮辱でしかない。ドーヴァダイン男爵、貴方は此処へ来て尚、剣で命のやり取りをするものを侮辱するのか?そうして王都へ逃げ帰って、ジークハルトの前に顔を出せるのか?」
このままエリックが王都へ戻ってしまえば、エリックが先程述べた通り、アークシアの軍は奴隷を盾に迫るリンダール軍に手も足も出せないままこのユグフェナ城砦まで撤退する事になる。
これまでの戦果を全て放棄して、だ。
どこからどう見ても、明白な敗北である。
……総指揮官であるローレンツォレル侯爵の名誉と権威は地に墜ちる事になるだろう。
ジークハルトの名を出した途端、明らかにエリックの表情は歪む。泣きそうなのを堪えるような、随分と幼い表情だ。
──前世の感覚からすれば、十三歳はまだ幼いと言ってよい年齢だろうか。私も同じ歳ではあるのだが。
けれどこの世界の感覚であれば、十三歳は準成人を迎える齢である。大人と殆ど同じ扱いになるという事だ。
だからなのか、精神的に追い詰めている事を自覚していても、然程心は痛まなかった。
「自分の務めを果たせ」
……いい加減、子供のままの感覚で振る舞うエリックを放置するのも勘に触るのだ。
それが彼が母代わりの女性への訴えかけとして身に着けた方法だと思えば物悲しくもあるが、同情的になってやるほど私と彼は親しくもない。
「最低限の覚悟くらい、此処へ来る前に決めておけ」
完全に二人きりの状況で、不愉快な気分を取り繕う事も馬鹿らしい。
言葉で叩き切るぐらいの気持ちで吐き捨てた。
エリックは殆ど泣く寸前にまで表情を歪めつつも、最後まで私から視線を外さなかった。
これほど長く彼と視線を合わせて話をしたのは、もしかすると初めてだったかもしれない。
「……ああ、分かったよ。今のも、……ジークとの事も、俺が悪かった」
彼はやはり、珍しく素直にそう言葉を零して、それから深く項垂れた。
悄然としたエリックを連れて部屋から出ると、丁度廊下の角からパウロが現れた。
「エリザ様、王領伯からのお呼びが」
「すぐにか?」
「はい。ドーヴァダイン男爵にもお伝え下さいとの事です。デンゼルの王都から軍が動き出したと斥候からの情報が齎されたため、すぐにでも最前線に王軍を送り出す必要があると……」
分かった、と頷いて返し、未だ顔を俯かせるエリックを横目に窺う。彼は私の視線に気が付くと、一瞬だけ背後を──医局の方を振り向いたものの、はっきりと頷いてみせた。