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33 エリックの義心

 今日も医局に居るというエリックを待って、医局の扉の前でラトカが纏めて寄越した捕虜達の報告書を読む。


 ヴァニタの語ったとおり、捕虜達は互いに疑心暗鬼になっているようだった。潜り込んでいる監視者があっさり捕まった自分達を殺して牢を脱出すると怯えている子供も居るらしく、精神的に危うい状況である。

 その状況下で疑いの目を欺き続けられるような少年兵など本当に含まれているのか。そう疑う一方で記憶に焼き付くカミルの姿がその疑心を否定する。大人の兵士を狂いなく殺していった彼のように、幼くとも能力に優れたものは確かに存在するのだ。


「──カルディア」


 医局から出て来たエリックに声を掛けられて、はっと私は報告書を下げた。


「ドーヴァダイン男爵。本日も兵士達へのお心遣い、猶父に代わって感謝致します」


 立ち上がって礼をする私に、エリックは顔を歪める。それでも私の声が医局の中に聞こえるとまずいと思ったのか、彼は廊下を顎でしゃくって場所の移動を私に命じた。

 廊下の角を曲がり階段に差し掛かったところで、充分に医局と距離が取れたと考えたのか彼はやっと私の方へと顔を向ける。


「もう何度繰り返したか分からないが、俺は名代の任を果たさない。このまま王都へ戻り、国王陛下と父に即刻の停戦及び和平を奏上する」


「──お考え直し下さい。ドーヴァダイン男爵のお言葉が無ければ、王軍は敵の友軍の扱いとなる奴隷兵に一切手出しが出来なくなります。敵は奴隷兵を盾にして攻勢に出てくるでしょう、そうすれば、アークシア軍は……」


「くどい。答えは同じだ、退却しろ。ユグフェナ城砦まで戻れば、どんな相手だろうと国家への侵入を阻むという名目で戦う事が出来るんだろう?」


 この数日、私とエリックは全く同じやり取りを繰り返していた。

 ──これが、新たに持ち上がったエリックの『問題』だった。


「武力を以て土地や財産を奪う事は、クシャの教えに反する事だ。なのに、今の戦線はどうだ。お前達は相手の軍を追い返すだけではなく、プラナテスやデンゼルの土地や人民を支配下に置き、その防衛に腐心している。兵士の消耗も考えずに!」


 叩き付けるようにエリックは怒鳴る。学習院で私を相手に爆発させた癇癪とは少し様子の異なるそれは、言うなれば義心による感情の爆発だ。

 純粋に他人への思いから怒りで顔を染める彼は、これまでは僅かに見せていた自己否定や自己嫌悪のような付け入る隙さえも見つからない。


 ……心に傷を負った兵士達の存在が彼に与えた衝撃は、私達の予想を遥かに上回っていた。

 彼が精神的な傷害に対して繊細である事は分かっていたが、その兵士のケアにではなく、原因となる戦そのものを否定するほど思考を飛躍させるとは誰も考えていなかったのだ。


「占領下に置いた土地を放棄し、戦線を下げれば、和平交渉に支障が出る事はドーヴァダイン男爵もお分かりでしょう」


「フン、何言ってるんだ。お前だって分かってるだろう?和平交渉に必要なのはそんなものじゃないだろ。リンダールの要求は第一王子の待遇の改善じゃないか」


「…………」


 それは、この戦争に関わる誰もが一度は考えた事だ。それ故に、私は言い返すべき言葉を失う。


「アルバート王子を修道院から王宮へと戻し、学習院へと戻す。アルフレッドの王太子位も取り消して、そうすればこの戦争の原因は無くなる。そんな無意味な争いの為に、王国の民の命を使うなど馬鹿げ……うわッ!?」


 エリックがそれ以上の事を廊下で喚き散らす前に、私は彼を手近な部屋へと引き摺り込んだ。

 それ以上の言葉は例え大公家の人間であっても口に出すのはよろしくない。明らかに上級貴族院への──王国最高の意思決定機関への侮辱となる。

 大公家の人間とはいえあくまで側室の生まれであるエリックでは、どうあっても口にした時点で取り返しがつかないものだ。


「何をす……もがっ!」


「少し落ち着け。あんな場所で堂々と国王陛下の決定に『馬鹿げている』などと口に出してみろ、その情報が出回ればどれだけの影響が出るか、分かるだろう?」


 不敬を承知で閉めた扉と挟むように彼の口を抑えこんで、冷静になるように促すべくそう囁く。敢えて彼への口調も普段通りのものへと変え、彼の意識を負傷兵から私へと強引に向けさせる。これで少しでも頭が冷えれば良いが。

 エリックは私の言葉に目を見開いて、それからゆっくりと頷いた。手を離した瞬間、彼は私から距離を取るように素早く横移動する。


「手荒な真似をしてしまい、申し訳ありません」


「いや…………、いい。今のは俺が、その……不用意だったと思う」


 顔を青くしたエリックは、ふらふらと近くにあった椅子に座り込んだ。まるで空気の抜けた風船のように、膨らんだ感情に穴を開けられて、自分の取るべき形を無くしたようだった。

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