30 慰問
戦時におけるアークシア軍の戦法は、大きな括りで言えば一つのパターンしかない。
一、相手の攻撃を受け止める。
二、敵部隊の撤退、壊滅、全滅等を待って反転攻勢に出る。
三、拠点の占領等、予め設定しておいた目標を迅速に達成する。
非常にシンプルなこのパターンは、アークシアの有する膨大な数の常備軍によって維持されている。
さて、敵の斥候が侵入し、エルグナードとローレンツォレル侯爵は前線へと部隊を引き連れて先に向かった訳だが。
連れて行った部隊はあくまでパターンの一、防衛を果たす為の先遣隊だ。本隊はまだこの城砦内にある。
ローレンツォレル侯爵が前線での指示を終えて戻り次第、エリックには本隊の前で上級貴族院の名代としての役割を果たしてもらうつもりなのだが──彼には他にもやって頂かねばならない仕事が幾つかある。
「一体何だよ、仕事って」
与えられた部屋で暇そうにしていたエリックを訪ね、お勤めの案内をさせて頂きます、と告げると、彼は面倒そうな表情で振り返った。
一応何をするのかを訊こうとしているので、自分が何のためにここに来たのかは忘れてはいないらしい。
「慰問です。この城砦には負傷兵を収容した医院が設置されています。王国軍では負傷兵への慰問は公爵家以上の方のお勤めであるとローレンツォレル侯爵からは伺っておりますので」
「ふーん……で、何でお前が案内役なんだ?お前は王軍には関係ないだろう」
「いえ、私設の騎士団を保持しておりますので、王国軍の局外武官の身分を頂いております」
私設騎士団の保持者は騎士団の団員には含まれない。が、形式的に王国軍のリストに名だけの武官として登録される事になる。
これは私設騎士団が最終的には国家に所属しており、保持者の私軍ではないことを表明するための制度らしい。完全に名目上のみの役職であり、正規の武官のように俸給を貰える訳ではない。
……その筈なのに、今のエリックの子守のような任務など、一応は王国軍の武官だろうとエルグナード達にはいいように扱われる事は度々ある。
扱われた分だけ後から褒賞金が出されはするが、なんとなくそれは納得いかない事の一つでもある。軍人になったつもりは全く無かったのに、何故かいつの間にかその枠に組み込まれているというのは、少々理不尽な気がしないでもない。
まあ、エルグナード達が褒賞金に色をつけてくれているのが分かっているので、何故そんな事になっているのかは理解出来る。相変わらず見窄らしいカルディア領への婉曲な支援なのだろう。
局外武官への任務は王国軍の軍法上、ほぼ外部委託のような扱いとなる。そして外注費の概念は無いため、支払われる褒賞金は軍の予算ではなく委託者の私費から払われるのである。
「王領伯からは、ドーヴァダイン男爵には総帥がお戻りになる前に慰問及び視察を全て終了させて頂く必要があると申し伝えられております」
「……はー、分かった分かった。行ってやるよ」
あまりにもこの数日退屈していたのか、考えていたよりもエリックを動かすのは楽に済んだ。
慰問先の医院は、城砦の医務室を簡易的に拡張したものだ。
とはいえ、後方基地として扱われる医院であるからには、前線で戦えなくなり、国内へと戻る事も出来なくなった重傷者が多く収容されている施設でもある。
「っう……!」
不機嫌そうに表情を顰めつつも大人しく看護室へと入ったエリックだったが、室内へと足を踏み入れたその瞬間に彼が息を詰めたのが分かった。
看護室に横たわる兵士達──いや、元兵士達か。その多くは腕や足が欠けていたり、広範囲に酷い火傷を負っていたり、一目でその痛みが理解出来てしまうような者達だ。
「エリック様、どうか一人ひとりにお声を掛けて頂けないでしょうか。この部屋の患者達は最早戦場に立つことは叶わず、自分の領地や家から迎えが来るのを待つばかりです」
医師がそうエリックへと声を掛ける。けれどエリックは怯んだように一歩、患者の横たわる寝台から後退ってしまった。
「……っ、…………」
呆然とした表情のエリックに、医師と二人で見合わせて小さく頭を振る。
予想していた事ではあったが、ここに留まる者達は、やはり彼には刺激が強過ぎたらしい。
この医院には軽傷者は居ない。軽傷者はそもそも前線から戻されては来ないからだ。居るのは一人で動けないほどの大怪我を負った、けれど死は免れた、という重傷者だけである。
事前に説明しておいた筈だが、そもそも怪我そのものが日常から乖離した生活を送っていたエリックには、分かっているつもりでも、実際に見るまでそれがどれほど衝撃的なものなのか理解出来ていなかったようだ。
これが王太子やグレイスであったなら、ここまで動揺を露わにする事も無かったのだろう。あの二人はそういう教育をされている筈だ。
どうエリックを宥めて慰問をさせるべきか。
私はあくまで案内役だし、その上彼らに直接繋がりのある立場でもないので、彼の代わりに兵士達に声を掛けて回る事も出来ない。それをしてしまっては完全にエリックの立場を潰しかねないので。
……面倒くさいな。なぜ私が、同年代の男の教育係のような事をしなければならないんだ。
まあ、彼に少々刺激の強い社会勉強をさせようという案を出したのはそもそも私なので、仕方のない事ではあるが。