28 少年の事情聴取
「あっ……」
私と殆ど同時に、同じように呼びつけた奴隷兵に足が無い事に気がついたラトカが声を上げる。
……そういえば、手足が欠損している者を直接見るのは初めてか。これまで戦場には殆ど連れて来なかったから、負傷兵を見る機会も殆ど無かったのだろう。
奴隷兵は全員簡単な身体検査は受けたのだろうが、襤褸布のような服を纏い、何の拘束もされていなかった。あまりに痩せ衰えた彼等の姿に兵団の者達も乱暴な扱いは出来なかったのかもしれない。
捕えたときには殆ど抵抗すら無かったと報告を受けているが、負傷した兵をそのまま放り込んであるような少年奴隷の部隊ではそれも当然といえる。
そう思える程、立ち上がったその少年の姿は痛ましく、見窄らしいものであった。
「何か、用、か」
ぽそり、と覇気の無い、乾いた声が落とされる。辿々しいが、アークシア語で。
私は眉を潜めた。
『どこでどうやってアークシア語を覚えた?ナズリクとは国交は無かった筈だが』
ナズリクの言葉で問い返せば、少年は驚いたように目を見張る。その奥では些細な表情の変化に見合わないほどの感情が揺れている。
負傷の奴隷兵が無理な行軍と偵察で疲弊して碌に表情筋も動かない、というような反応にも見えるが、それよりもむしろ常から表情を圧し殺している人間の癖が出たような、そんなにおいがした。つまり、私と同じだ。
『…………。』
何と答えるべきかと迷い口籠る素振りに、懸命だなと目を細める。
慎重にこちらを窺うような視線といい、言葉を選ぼうとする思考といい。普通の平民には有り得ない仕草だ。さて、何者だ?この少年は。
『……俺は、貴方が考えてるような存在じゃない。ナズリクは確かに直接アークシア王国との国交を結んだ事は無かったけど、アークシアと通商のある国とは積極的に交流を図っていた。小さな南の国々は北の大国の発するほんの些細な影響にさえ命運を左右される。俺達の国は必死になってアークシアの知識を得ようとしていた。そうして集められた知識の貯蔵先が俺達。アークシア語を知ってるのは、その知識の一環として教わったからで……』
すらすらと年端もいかない少年から淀みなく出て来た情報の洪水に、ほう、と私は頷く。
一歩近づくと、少年はやや怯むように義足でない方の足を下げた。
どうすべきか、と一瞬考え、けれど自分の中ではどうしたいかがはっきりと決まっている事にふんと鼻を鳴らす。何のためにそうするかではなく、そうする理由は何なのかを後付けする思考は貴族としてあまり相応しいとは言えない。
だが幸いにして、今回はどうするべきかとどうしたいかがはっきりと一致している。
「エリーゼ、エルグナードの元へ行って、捕虜を牢から移したと報告しろ。ギュンター、兵と積み込んできた物資を使って、こいつらをもう少し見られるようにしておけ。それとオスカーを呼んで来い」
会話を打ち切って端的な命令を後ろの二人に告げると、その場に居た全員が様々な感情を含んだ視線を私に向けた。
衰弱した捕虜達の濁った眼光に、別のものが交じるのが見えた。
私とオスカー、ラトカ、それにクラウディアで圧迫面接よろしく周囲を囲んだ上で「名前は」と聞くと、食事を取って少し気分を落ち着けたらしい少年はいきなり言葉を詰まらせた。
私の思っているような者ではないと、つまり貴族や王族といった特権階級の人間ではないと述べただろうに、何故そんな事に黙るのか。
眉根を寄せた私に、少年は慌てて言い繕った。
曰く、リンダールでは奴隷は名を奪われ、番号で呼び記されるらしい。
奪われた名は名乗る事も呼ぶ事も禁止され、禁を破った事が露見すれば酷い罰を与えられるという。
とことん人道を無視した奴隷制である。
昨年末の、リトクス台地での会戦の事を思い出す。そんな奴隷制を扱おうという連中が、よくも捕虜を焼き殺された程度で私に向かって人道に悖るなどと吠えられたものだ。
『で?結局、お前の名前は何なんだ?』
そんな言い方はないだろと後ろからラトカに突付かれるのをすっぱりと無視して問い直すと、少年は奇妙な顔をしながらも、ヴァニタ、と名乗る。
『ではヴァニタ。既に取り調べでも話しただろうとは思うが、まずはお前達がリンダールで何を言われ、どのようにして此処へ来たのかを話して貰おうか』
『俺達は……アークシアについての知識に目をつけられて、此処へ送り込まれたんだ。斥候として働けば充分、そうでなくとも俺達がここで殺されれば士気を下げられるだろうと言っていた』
斥候部隊は別々の所から連れてこられた奴隷達で構成されている。
そうして、全員が同じように奴隷となった友人や親族の生命を盾に取られ裏切り者が出ないか互いに見張り合う。
出発前にリンダールの人間が監視者として部隊に紛れ込んでいるという噂が流れた事もあって、行軍の間裏切りを考える人間はヴァニタを含め一人としていなかっただろうということだった。
『出発するまで自分達が何処にいたかは分かるか?』
『土地勘が無いから方角とかは分からないけど……穴を掘って石で壁を作ったような建物に連れてこられて、そこで命令を説明された。そこまでは皆、人質にされた家族と一緒に居たよ。その後は目隠しされて馬に乗せられて、何処かの林につれてかれて、林から見えるこの城砦目指して皆でひたすら歩くしかなかった』
『何を探って来いという命令だった?』
斥候、といったところで彼等はまだ年幼く、見た限りでは訓練も受けていないただの奴隷だ。その中に本物の少年兵が斥候として紛れている可能性は無くはないが、任務の達成のために全員に与えた具体的な目標はある筈である。
ヴァニタはちらりと私を見た。そうして、ほんの少し怯えるようにしながら、その答えを口にする。
『……黒髪に赤目の子供が居るかどうか。人の血を啜る悪魔、カルディア伯爵が居るかどうかを見て来い、って』
深刻そうなその少年の声に、周囲の三人が一斉に私へと視線を向けた。
──一瞬考え、小さく首を振る。取り敢えず、今はこの少年の言葉を信用しておこう、と。