25 そういえば、そういえば
夏ももう終わる頃だというのに、やっと着いたユグフェナ王領はまだ真夏のように暑かった。
黒の山脈を境にして、その東側は気温が高くなる。であるから王都よりも暑いのは当然として、隣り合っている筈のカルディア領よりも暑いのは、黒の山脈から吹き降ろされる冷風が有るか無いかの違いだろうか。
「やあ。道中の護衛任務ご苦労だったな。後は私とユグフェナ城砦騎士団が引き受けよう。……思ったよりも早く顔を合わせる事になった。君にはもう少し学生生活というものを楽しんで貰いたかったのだがな」
黒鉄の城砦から迎えに出て来たのはやはりエルグナードであった。王領伯の弟という事で、最も扱い易い立場なのだろう。
「確かに予想より少々早い帰還となりましたが、いつそうなっても良いように動いていたので、特に問題はありませんでした。エルグナードは前線にいるのかと思っていましたが……」
「いや、随分前に呼び戻されている。動きの無い前線は部下に任せて、基本的には偵察隊の指揮を執っているな。まさか王都にいる君から敵国の大きな動きを知らされるとは思っていなかったが」
「迂遠な動き故、戦場から離れたほうが見やすかったというだけの事でしょう。それに、突きとめたのは私ではなくフレチェ辺境伯です」
「ほう、フレチェの。どうも君の人脈は恐ろしい速度で拡がっていくなあ。ローレンツォレル家に、テレジアに、モードン家にフレチェ家、それに我が家ときて、此度はまさかの大公家とはな」
「幸運にも学習院で同じクラスとなりまして。縁に恵まれたのでしょう」
ちらり、と二人して視線を流した先では、エリックがむっつりと不機嫌そうな顔で馬車から降りるところだった。王都を立つ前に学習院でのいざこざの原因となったあの一言を家名によって取り下げられてしまったのが、余程彼の矜持に障ったと見える。その上私の存在そのものが気に入らないようで、道中ますます機嫌を悪くしていた。
「なるほど、彼が」
「はい、上級貴族院名代のエリック・テュール・ドーヴァダイン男爵です」
王家や上級貴族院と繋がりの深いエインシュバルク家であっても、エルグナードは基本的に王都には寄り付かない。エリックとは初対面になるのだろう。
「彼を兄上の元へ案内せねばな。君は先に兵を休ませてやれ。いつもと同じ南の一棟の二階から四階を空けてある。晩餐には呼びに行くから、支度を」
「分かりました。我が兵へのお気遣いに、心より感謝致します」
「……そろそろ『はい、父上、ありがとうございます』とでも返事してくれて構わんのだが」
最後に冗談めかしてポンと私の肩を叩いたエルグナードを、私は無言で見送った。呼んだら奇妙そうな表情をしていたのは彼の方だったと記憶している。
学習院へと入学するまでには頻繁に出入りをしていた事もあって、カルディア伯領軍の面々にとってはユグフェナ城砦は最早勝手知ったる軍事拠点らしい。与えられた部屋を割り振るまでも無く、各々が慣れた様子でばらけて部屋へと入って行った。
「四階はいつも通り、お館様、嬢ちゃん、坊ちゃん、それに俺とテオが使えるようになっていたぞ」
「ああ、わざわざ様子を見て来てくれたのか。ありがとう、ギュンター」
「いや……それよりラスィウォクはどうしたんだ?」
「さあ……?」
私はかつて斧槍の扱いを教えて貰ったりした、国境門と城砦の間の空間で、何故かそこから離れようとしないラスィウォクを眺めながら手持無沙汰気味に身体を休めていた。
一応戦時中という事もあって、他人の管理する軍事拠点で狼竜を好きにさせておくわけにもいかず、責任者としてラスィウォクから目を離せずにいる。まあ、エルグナードが呼びに来るまでやる事も無いし構わないのだが……
ラスィウォクは一匹の狼竜と寄り添うようにしてそこにただ座っていた。
もう一匹の狼竜は、ラスィウォクよりも一回りほど小さく、純白に近い鱗を持っていて、翼の皮膜は朱に近い色合いをしている。身体の大きさに関しては、ラスィウォクが通常より大きい個体らしいので、あのくらいが平均なのではないだろうか。
見る限りではどうもこの砦に居るラスィウォクの兄妹ではなさそうだ。以前に見たラスィウォクの兄妹は、被膜の色こそやや異なるものの、ラスィウォクに良く似ていた筈である。
「あー……。ありゃ、番じゃねえのか」
二匹の狼竜を観察する私に、ギュンターは言いにくそうにしつつもそう述べる。
「つがい……?」
「多分な。別に確証は無えぞ」
番……そうか。ラスィウォクはもうとっくに成熟した狼竜なのだから、番を持ってもおかしくはない。
なるほどなあ、と思いながら、二頭から視線を外した。番なのかと思うと、あまりジロジロ見るのも気が引けたのだ。
「番といえば……ギュンター、お前は嫁取りはどうなんだ。テオからはこの春のうちに婚姻届が出ていたが」
そういえばと話をギュンターに振ると、ギュンターは飲み物も無いのに突然噎せてみせた。……そんなにおかしな事を言っただろうか?
彼はもう大幅に婚姻適齢期を過ぎた年齢の筈だが、まあ、領軍での立場を考えると仕方の無い所もある。が、仕方がないではそろそろ取り返しのつかない年齢に差し掛かってきている頃でもある。
正確な年齢までは知らないが、私とは20歳前後程離れている筈だ。若く見積もっても三十路手前か……そうか……。
いつのまにかお兄さんの年からおじさんの年になっているのだな、と考えたのがばれたのか、ギュンターは「余計なお世話だクソガキ!」と私を睨んだ。
「相手が居るならさっさと届を出すようにな。その、急ぎで判を押してやるから」
「だぁあ!うるせえ!」
多少気にしてはいるらしいギュンターを軽くからかいつつ、更にもう一つそういえばの話が頭に浮かんでくる。
クラウディアの方は、そういう話はどうなっているのだろうか。本人にそんな話を期待するのはするだけ無駄だが、実家の方はそもそも彼女が20になった時には何処かへ嫁がせるつもりだった筈だ。
……帰ったら早めに確認しておくべきだな。私の腹心として扱われるようになったクラウディアの婚姻は、私にも関わってくる事なのだから。