23 売られた喧嘩の買い方
翌々日、休日が明けて学習院へと登校した私は、周囲への挨拶もそこそこに、初めて自分から総帥の孫の許へと向かった。
「おはよう、ジークハルト。一昨夜は上手く行き会えずに残念だったな」
「ああ、おはよう、カルディア。いや、実は……大公家の誕生祝には出向かなかったんだ」
答える総帥の孫の声は、普段よりも幾らか覇気が無い。ふと視線を逸らして講義室の中央に視線を向けると、久々に戻ってきたグレイスと共に居るエリックが恐ろしく憤慨した様子で総帥の孫を睨みつけていた。
ああ、朝からこれは身に応えそうだ。私のようにどうとも思っていないというならまだしも、総帥の孫とエリックは元々付き合いのある関係なのだし。
「……参加すると言っていた気がしたが、何かあったのか?」
「それが学習院での事を耳にされたお爺様が、自粛と称して家の者に不参加の命令を一昨日の朝に突然言い渡されたんだ。いや、自粛というのは口実だ。俺には武人としての矜持を掲げたなら最後まで貫き通せとまで言われたからな」
はあ。なるほどつまりはボイコットだな。
ローレンツォレル総帥には本気で融通を利かせようとしないところがあって、一度そうと決めたら絶対に撤回しない御仁だ。そして彼の育て従える王軍を見ても分かる通り、彼には確固たる矜持と騎士道が存在する。
今回の騒動の発端は既に模擬決闘での私の反則勝ちというところから離れ、総帥の孫及び私とエリックの対立という構図になってしまっている。対立の解消はエリックが吐いた私への、ひいては戦場に立つ者への侮辱の言葉を取り消すか否かというところに掛かっていて、これはもう貴族同士のプライドを掛けた争いという事になっているのだ。
「そうか、総帥閣下はそのように動いたか……。ならば、ジークハルト、君と君のお爺様に一つ頼みたい事がある」
「頼みたい事?」
「そうだ。この問題を解決したい。情勢的に今なら大公閣下も聞き入れて下さるだろう」
「ちょっと待て、大公閣下?一体俺に何をさせるつもりなんだ?」
「そう大した事じゃない。ただ、ちょっとした依頼書を私その他と連名で書いてくれないか、という話だ」
は?と総帥の孫はますます胡乱気に眉間に皺を寄せた。
「……カルディア、何を企んでる?」
「何だそれは。企んでるとは人聞きの悪い事を……」
「悪い、今の表情はどこからどう見ても奸計を練っているようにしか見えなかった」
一体それはどんな顔だ。顔の筋肉は一切動かしていない筈なのだが。
何となく釈然としなくて、私は無言で自分の頬をそっと擦った。
長い戦で疲弊した兵士達へ、王家、大公家、上級貴族院からの慰問として、エリック・テュール・ドーヴァダイン男爵にユグフェナ王領への来訪を依頼したい。
装飾文に富んだ長い文章をざっくりと用件だけ抜き出すとそのような意味になる依頼書の文面を、総帥の孫は顔を引き攣らせつつ何度も繰り返し目を通した。
「か、カルディア……これ、本気なのか」
「勿論。面白そうな案だとユグフェナ城砦の責任者であるエインシュバルク王領伯、及びユグフェナ城砦騎士団の団長の両名が提案から一日経たずに名前を下さっているから、寧ろ引っ込みも付かなくなっているぞ」
猶親であるエルグナードのニヤリとした顔が脳裏を過る。提案した私の打算とは違って、あまり利の無い筈のあの兄弟は、八割くらい単純に面白そうだと思って名前を寄越してきたのだろう。
「え、でも、ユグフェナ城砦って前線だろう?そんな所に大公閣下が、いくら第二夫人の子供とはいえ、武官に進む予定でもないエリックを向かわせる事に同意するだろうか……」
「いや、ユグフェナ城砦は既に前線ではなく後方基地の扱いだな。少し前の貴族院でそう決まり、既に物資の貯蔵が開始されている。簡易の医院も設置されたし、慰問には丁度良い筈だ」
「はぁ、そうなのか……。しかし、エリックが大人しく向かうか?」
「向かう。……詳しくは言えないが、どうせ次の戦までにはそれなりの血筋の者を名代として前線の指揮官の元へ上級貴族院は派遣しなければならないんだ」
フレチェ辺境伯から齎された情報は即刻東国境に共有されたが、それだけでは軍は事前の備えをする事は出来ても、動く事は出来ない。
国境には三系統の軍が置かれている。ローレンツォレル侯爵が総帥を務める王軍と、エインシュバルク王領伯が統括する騎士から成るユグフェナ城砦騎士団及び平民の兵から成るユグフェナ王領軍。それから、周辺の諸侯領の軍、つまりジューナス辺境伯軍と我がカルディア伯領軍だ。
このうち王の許可なく戦闘行動を取れるのは、王領軍を除いた諸侯の軍勢のみである。
無論、戦時中という事で他の二系統の軍にもリンダール軍に対する随時の迎撃及び迎撃時の侵攻の許可は出ているが、逆に言えば今出ている許可はそれだけだ。
要するに、リンダールのあらゆる友軍に対するあらゆる攻撃は許可されていないのである。
……アークシアの戦争に関する法はやや複雑なもので、原則的には専守防衛だが、戦争状態の場合に限り相手国への侵攻が可能となる。但し、攻撃可能なのは王が許可した敵対国の軍のみで、侵攻して良い土地もその軍の所属する国の国土に限られる。
軍が攻撃出来る相手国を王の名でいちいち許可しなければならないのは、そうしなければ戦時状態のアークシアはどの国に対しても侵攻出来る、というような法律となってしまうせいだ。
条文の元となった神聖法典には国王の許可云々に関する記載は無かった。しかし、それでは戦争が起こるたび周辺国との国際感情を悪化させかねないため、国法として制定する際に補完としてそれを付け足したのだ。
……今回は相手が敵国の敗戦国から強制的に徴兵された奴隷兵だ。
国境に置かれた兵のうち最多である王軍の士気が大幅に低下する事が予想されている。これを少しでも防ぐには、彼らの主である王──或いはそれに連なる血族の名代を立て、兵士を慰撫するのが最も効果的なパフォーマンスとなる。
戦場の規模から言えば本来ならもっと上の立場の人間を……それこそグレイスや王太子を派遣しなければいけないところをエリックで良いという戦場側からの譲歩に、上級貴族院は乗らざるを得ない。
それに、大公に向けてかの家がひた隠しにしている問題についても依頼書の装飾文には紛れこませてある。
ラトカが持ち帰った情報を頭に思い浮かべて、ひっそりとほくそ笑む。ローレンツォレル侯爵が最も嫌いそうな人道的問題のお家スキャンダルを、大公家は決して歓迎しない。
大公がエリックを無碍に扱っている訳ではない以上、大公は二択を迫られる。
勿論慰問であるから、派遣されたエリックには兵達に対して散々スピーチやら声掛けやらをして貰う必要がある。
私は既に貴族院の社会へと出た人間だ。問題事はそちらの流儀に従って解決させて貰う。……兵士の戦い方を侮辱した言葉を、大人の都合を操作して上から無理矢理彼のプライドを捩じ伏せ撤回させる。
エリックが国境に派遣されるならば彼には発言の撤回が求められるし、もしそうでないなら大公自身が家庭内の問題が世に出る前に早急に解決する必要が出てくる。
それはそれでエリックの鬱憤が解放され、あの癇癪じみた性格も少しはマシになるだろうから、問題の鎮静化には結びつく。
なるほど、確かにそう考えると悪い事を企んでいるような気がしてきた。
結果的には国家の安定を図る方向に動いている筈なのだが、おかしいな。




