21 悪魔の仕組み
南方国家群には正確な地図というものが存在しない。日夜犇めきあう国々の国土が拡大したり縮小したり、国の名が増えたり消えたりしているせいで、地図を作れないのである。
フレチェ辺境伯はおそらくそれらの中でも主要な国だけで現在の勢力図を適当に作図し、私に寄越した。
「南方については私個人で情報収集を行っているようなものだから、これはまだルクトフェルド、上級貴族院としか共有してない事なのだが……」
書き込まれた国名は四つ。ジェンハンス、ナズリク、エパデナ、それからパクトゥシュキ。
……七年前、私とカミルでその名だけを共有したパクトゥシュキは、やや西寄りの南端に位置する国だった。ジェンハンスはアークシアの東端を南下したあたりにある国、エパデナは南方国家にしてはかなり規模が大きく、大陸南東端を占めている。そして、ナズリクの土地は無い。
「ナズリクはこの春の終わりにエパデナとの戦に負け、亡国となった。エパデナはその勢いに乗じて、更に勢力を拡げんと周囲の小国を呑み込み続けている」
エパデナの指導者はかなり強硬的な拡大主義者らしい。隣接する国であれば、文化の違いも民族的な差異も何も考慮しないままに打ち負かしては領土へと組み込み続けているという。
東南部からリンダールの従属国化が行われているという話だから、このエパデナがリンダールの介入を得たのだろうか。
「しかしその程度の事は、南方では常に起こっているのではありませんか?」
でなければ国の激しい興亡など起きようもない。拡がる国が国としての枠を保てず縮小したり分割されたり、或いは新たな国が独立したりするからこその延々と続く争いなのだ。
そしてそこには、基本的には他の国の介入が間接的、或いは直接的に絡む。
「その通り。しかし、同時に此度のエパデナの侵略は異質なものなのだ。……エパデナとナズリクの戦は、四年もの間続けられた末の決着となった」
四年。……四年もか。
隣でクラウディアが小さく唸り、ベルワイエが身じろぐ。二人はそれぞれ、私よりも狭窄な範囲ではあるがより具体的な数字の流れに触れている人間だ。
戦力を保持し、運営する、その為に掛かるあらゆるコストの流れに。
戦争をするには国力が要る。戦線を維持しようとすれば尚更に。
その力は、例えば兵と軍を維持するための人的資源であったり、武器を維持するための資源、資材であったり、或いは戦によって乱れゆく国家を維持するための国庫の備蓄などを総合的に考慮したものだ。
そして常に侵略や略奪の危険に晒され、地図も作れぬ程に移ろいの激しい国々には、基本的にその国力を高める余裕など無い筈である。
「それがリンダールの介入ですか」
「流石、察しが良いな。リンダール……というよりは、ジオグラッドから、二国はどちらも武器や物資を競うようにして買っていた。買わされていた、と言ったほうが良いか」
より激しく、より長く戦をするように、ジオグラッドは両国へと武器と食料を貸し付けで売っていたのだという。
「負債はどのようにして支払われたのですか」
ジオグラッドとエパデナの間には、まともな取引など望む事すら出来ない格差が明らかに存在している。ましてエパデナは四年の間、ナズリクとの争いに国家を停滞させていた筈だ。アークシアとは違い、地図からの判る規模ではどうしたって戦の傍ら国内の経済発展をさせられるような国ではない。
負債を払うためにエパデナが使えるものとは一体何なのか。嫌な予感があってそう尋ねると、フレチェ辺境伯は皮肉気な笑みを浮かべた。
「……私は、貴嬢が王都内に流布する下らぬ噂通りに悪辣な人間だとは思っている訳ではないが」
「はい?」
何の話だ、と訝る私に、辺境伯が首を横に振る。
「貴嬢の発想は悪を知らねば生まれ得ぬものである事は確かなようだな。何故そのような残忍な事が思いつくのかと、安穏とした内地の無能共が思っても仕方が無い事だろう」
「……無知は、貴族であれば許されざる罪かと」
「度が過ぎれば何事も哀れであるという事がよく分かる。さて、話を戻そうか。エパデナが負債としてジオグラッドへと支払ったものは、人間だ」
人間……。嫌な予感が当たって、私は一瞬だけ辺境伯から視線を逸らした。
しかし、これではっきりした。ジオグラッドの介入の目的は、南方国家を奴隷……人的資源の産出地にする事なのだと。
人を売り買いする事は、アール・クシャ教会の教えにおいては大悪であり、アークシア国法においては罪となる。
私の父親はかつて、あらゆる経済活動が壊滅したカルディア領において、領内での無職者への公共労働として領外へと領民を派遣する労役を行い、それで国税を賄っていた事がある。
労役とした事で小賢しくもその法に抵触しない線を守ってはいたが、している事は奴隷商と変わりは無い。
エパデナの行っている事は父と同じ仕組みだ。売るものが無ければ人を売る。
では、その売られてきた商品は、どのように利用されるのか。
「今のリンダールで最も人的資源が必要なのは、デンゼルか……」
ぼそりと呟くと、フレチェ辺境伯の視線が更に鋭く、哀れみを含んだものとなった。
けれどそれを一々気にしている余裕など無い。
停滞した東方の戦線に、ジオグラッドの集めた奴隷が投入されるとすれば。
「……そういう事ですか」
随分と迂遠な話ではあるが、やっと南方国家群の情勢と東国境の国防についてが繋がった。
デンゼルとの戦には王軍が出ている。……彼等に事前の取り決めも無く、非人道の極みである奴隷兵に対応出来るとは到底思えない。王軍の騎士達に強く根付いた人道に対する意識は、戦場においてあまりに脆い弱点だ。
「二十日程前、パクトゥシュキの使節が十一年振りに我が領の国境門を訪れて、向こうで得ている仔細な情勢情報を齎してくれてな。エパデナは今やジェンハンスを呑み込もうとしている。軍の通行を許可した途上の国々でもかなりの数の人々が姿をの消しているそうだ」
「パクトゥシュキは……通商許可のある国でしたね。入れぬ国と知りつつも使節を寄越して情報を下さる程に友好的なのですか?」
「そのようだな。十数年前にあちらを訪れたアークシアの商団が、パクトゥシュキの経済発展に尽力し随分と貢献したらしい。その際国内にアール・クシャ教会の教えも広まっていて、国土が離れている故どうなるかは分からぬが、アークシアに宗主の国家としての保護を求める国書も同時に携えてあった」
それは国書の方が本命で、危機的な国際情勢に関してはその理由書きのようなものなのだろうが。
……十数年前というと、もしかすると私の殺したあの商人がその商団の中には居たかもしれない訳か。つまり……カミルの父親が。




