19 思ったより秘書の演技力が高い
大公家の夜会は、これまでに参加したことのある夜会とは比較にならないほど規模が大きい。この国でこれ以上の規模の会を主催出来るのは王家だが、王家は何かと会を質素に抑えたがるため、大公家のものが最も豪華になる。
会場は私の巨大な邸宅がすっぽり収まりそうなほど巨大な中庭園と、国中の貴族が余裕で入れそうなホールと食堂、サロン、遊戯室。……維持費だけでカルディア領の年間税収を軽く超えそうな建物に眩暈がする。これらは増築されたものではなく、夜会の主催など行わない外国人の滞在客のために最初から作られたものなのだ。
「エリザ殿、珍しい事にバルコワ肉の料理があるぞ!流石は大公家の夜会だな」
「分かりましたからもう少し淑やかにお願いします、クラウディア様。侍女役の事を忘れずに……」
こうも広いとなかなか付き合いのある貴族も見付からない。料理に目を輝かせるクラウディアをベルワイエに宥めさせ、ラトカに適当な料理を運ばせるように指示して空いている休憩席に座った。
大公家の面々への挨拶が出来る時間までには少々雑事を済ませておく必要がある。ついでに食事も今のうちにしておいた方が良いだろう。──こういった場にはまだ慣れていない、紅茶色の瞳がクラウディア以上に輝いていた事だしな。
「配膳役の使用人がテーブルに運んでくれるようです」
飲み物だけ持って戻って来た従者姿のラトカに、労いと共にジュースを下げ渡した。
今夜は専用の給仕が居るおかげで連れ込んだ侍従も堂々と飲食が出来る。主人が許可を出せばダンスにも参加出来るらしい。
突き抜けた規模の夜会はルールもかなり異なっている。それは招待客の殆どが貴族の侍従や小姓を連れているためだ。
この国の貴族は爵位を持つ者とそれを中心とした近縁血族であると法律で定められていて、例えばクラウディアは騎士の叙任を受ける前はローレンツォレル家のある子爵の孫、或いは騎士の娘、妹として貴族の一人と認められていた。貴族家の出身だが自身は貴族の身分を持たないベルワイエの家系は当主家から離れ過ぎてしまった分家であり、新たに授爵出来ぬまま数代を経たため彼の代で貴族の特権を剥奪されている。
こうした厳格な規則は特権階級の肥大を防ぐが、しかし同時に社交界での侍従の扱いを複雑化させる側面も持っている。
家格の身分を考慮すると全ての侍従に飲食を禁止する事は出来ない。だが高度な教育を受けた侍従は平民なのか貴族なのか判断がつかない。故に通常の夜会では、招待客のみが飲食物を受け取り、ダンスに参加する事が出来る、といった対処をしているのだ。
「エリザ殿は常から好きなように食べさせてくれるので、私にとっては普段通りだがな。まこと良い仕え先に私達は恵まれた、なぁベルナンド殿」
「ええ、はい、そうですね。エリザ様は大変に寛大な方ですから。それから私の名はベルワイエです」
何だか懐かしいようなやり取りを聞きつつ、給仕の運んできた食事に手を付けた。ラトカが気になっているもの、気に入りそうなものから優先的にカトラリーを差し込み、一欠片ずつ自分の口へと放り込んでは流し作業のように下げ渡してやる。
この後彼に任せる役割を思うとこのくらいの特別手当は出してやらねばなるまい。
好きなだけ飲み食いさせてやってから、私はラトカにワインのグラスを差し出して、その腕を軽く叩いた。
立ったまま食事をしていたラトカが一歩後ろに下がる。そうして、丁度背後を通ろうとしていた小柄な給仕役に背からぶつかり、二人が縺れるようにして転んだ。
軽く尻もちをつく程度。派手な騒音こそならないが、ラトカの手にあったグラスからワインがパシャッと音を立てて零れ落ちた。
大理石の床と、二人の服の上へ。
慌ててベルワイエがラトカを跳ね除け、給仕を助け起こす。給仕はやや呆然としていた。お怪我はありませんかと問うベルワイエに、少々の羞恥で顔を赤くしながらも何度も頷いている。
そうして、ベルワイエは次に床に座り込んだままぼうっと給仕を見ていたラトカをやや乱雑に引き上げた。
「全く、お前はどうしようもない粗忽者ですね。このような場で失態を犯すなど──よくも主人の顔に泥を塗るような真似を」
あえて声を抑えたその叱責に、周囲から好奇心丸出しの視線がちらほらと向けられる。
「も、申し訳ございませ──」
「ここは大公閣下の館だ、下賤な平民が許しもなく口を開くな。──愚鈍なお前を従者などにしたのが間違いだった。与えてやった服まで汚して。そちらの小姓殿の衣装と、お前の着ているもののワイン染みを綺麗に消すまで、二度と私の前に顔を見せるな」
あえて穏やかにそう、その台詞を吐いた。参考は生前の父の姿だ。感情を乱さずに淡々と自らの庇護すべきものを酷遇するその態度は、冷徹なそれよりも余程酷薄なものだと感じたものだ。
申し訳ないが大公家の使用人の設備を使わせてやってくれ、と戸惑った様子の給仕にベルワイエが指示する。
呆然と──したように見せかけたラトカが、給仕に連れられて視界の端から消えた。
さて、数年前まではコミュニケーション能力にやや問題のあったラトカだが、上手く役目を果たして来れるだろうか。