16 上級学習院・下
上級学習院は、貴族における義務教育である学習院とは異なり、希望者のみが進学する学舎となっている。
その内実は三種類に分けられる。一つは学習院の講師や上級文官となるためのキャリア進学。一つは諸学問の研究・発展を目指す、研究者としての上級学習院への所属。
そして最後の一つが、貴族院在籍中にその後の居場所を何処にも見つけられなかった者が猶予期間として学園の中に留まるためのものだ。
キャリア進学と研究には試験が課されるが、最後の一つはそうではない。上級学習院は学習院とは異なり、在学期間の上限が設定されていないためだ。
希望を持って仕官先を探したり、文官となるために宮殿へ出入りしたり積極的に活動する者も居るには居るが、基本的に貴族社会はコネと実績がものを言う。つまり、家に見捨てられて行き場を無くした者が厄介払いを兼ねて放り込まれる先が上級学習院となっている訳だ。
……まあ、本気で見捨てられた場合は教会の修道院にまで放り込まれるので、まだ上級学習院の学生は希望がある方なのだが。何しろ修道院とは異なり、上級学習院には金が掛かるのだ。そのため、上級学習院に留められている学生は基本的には伯爵家以上の家柄出身の者ばかりである。
兎に角、上級学習院はそういう理由から鬱憤を持て余した学生が存在している。
これらの学生が原因となり、貴族院でも度々議題に取り上げられるほど問題視されている事がある。貴族院の下級貴族の従者に対する暴行事件だ。
学習院と上級学習院の学生は、普通接触する事は殆ど無い。同じ学園の敷地内とはいえ、広大な土地の中で、学舎も寮も完全に分けられているためだ。
けれど時折、その従者が何らかの理由で双方を行き来する事はある。
下級貴族が上級貴族に大声で不満を叫ぶのは難しい。それが平民の従者を傷付けられた程度の事であれば尚更だ。
「レカっ!!」
レカを見つけたのは、普段は殆ど人の往来の無い、学習院と上級学習院の学舎を繋ぐ道からやや逸れた林の中だった。
今だけはこの無駄に良い耳に感謝したい。木々の影に紛れて見落とす所を、些細な人の話し声を拾ったお陰でレカを見つける事が出来た。
レカは数人の従者らしき身なりをした青年に囲まれて、地べたに倒れ込んでいた。胸の奥がギリ、と痛み、頭から血の気がサーッと音がしそうなくらい急激に下がっていた。
レカを囲んでいた青年達は北方の特徴の強い者達で、私を見るなり瞳に強い侮蔑を写し出す。
その青年達からレカを庇うように立つ一人の青年だけが、私を何の感情も篭もらない視線で射抜いた。
宝石のような珍しい紫の瞳。何処かで見覚えがあるような──
「ちっ、戻るぞ」
はっと意識を戻した時にはもう遅い。青年達は木々の濃い方へと散り散りに逃げて行ってしまった。こうなると馬で追う事は難しく、それに一人二人捕まえた所で意味は無い。
それよりも地面に倒れているレカの方が重要だった。
馬の背から飛び降りて、紫の瞳の青年の横をすり抜けてレカの傍らに膝をつく。レカ、と呼びかけるが、反応は無い。気を失っているのか。
「待て、揺らさない方がいい。おそらく頭を揺らしている──顔を殴られていたからな」
背後から青年が声を掛けてくれたが、私はおそらくそれに生返事を返した。外傷を確認し、呼吸を確認し、とレカの状態を確かめるのに意識の殆どを割いていたせいだ。
「…………あれ、僕?」
「レカ、大丈夫か。まだ動くな」
幸い程なくしてレカは目を覚ました。どうしてここに、と不思議そうにするレカを落ち着かせ、意識の混濁や頭痛が無いかを確かめ、少しばかり大人しく横になっているようにと指示する。
レカの頬は赤く腫れ始めていた。青年の言う通り、頬を殴られて脳震盪を起こした可能性が高い。
「少し黙って休んでいろ。時間が経っても頭痛が収まらないなら人を呼ぶから言え」
「……うぅ、はい」
大人しく頷いたそのまだ小さな頭の下に、上着を脱いで枕がわりに敷いてやる。上着はどうせそろそろ作り変えるつもりでいたから、汚れても構わない。伯爵位になったにも関わらず面倒がってデザインを新しいものに変えないでいたら、流石にテレジア伯爵に諌められたからな……。
私が立ち上がると、律儀にそれを待っていてくれたらしい紫色の瞳の青年が軽く顎をしゃくった。
「……また会うとは思わなかったな」
青年はやや陰鬱そうな影を帯びつつも、穏やかに笑う。私はそれに、ああ、と頷いた。
なるほど、この人は──立ち位置も設定も何一つ知らないあの乙女ゲームの隠しキャラ、通称アルバは、上級学習院の学生だったのか。