15 上級学習院・上
その日、講義が終わって寮宅へと戻ろうとすると、侍従用の控えの間からレカが出て来ない事に気づいた。準備に手間取っているのか、と少し待とうとしたところへ、ゼファーの従者の少年が私の方へと走ってやって来る。
「カルディア伯爵……っ!伯爵の従者殿が、上級学習院へ……!!」
息を切らした彼に、私はまずは落ち着くようにと椅子へ座らせた。呼吸を整えろ、と言うと、彼は素直に深呼吸をし始める。
「それで、レカが上級学習院へと向かったとの事だが、それは一体?」
「……はい。上級学習院の図書室に本を返して来い、と命じられて、否応なく……。レカ殿に命ぜられたのはイェネフェルト家の御子息でした」
「イェネフェルト……北方貴族か。わかった。其方の良心からの知らせに、心より感謝する」
息急き切ってレカについて知らせてくれたゼファーの従者に軽い祈礼をして、私は出来る限りの早足で貴族院の建物を出た。
学園内の生活では、講義の準備や昼食の給仕を行わせるために学習院の建物まで侍従を連れて行く事になっている。
彼らが控えるための部屋もあり、講義以外の時間必ず侍従を伴う者もいるにはいるが、基本的には準備や給仕だけ行わせて別々に動くという主従も多い。
従者との距離が近い下級貴族が多いので、学園内で出来た友人との行動に際して侍従の存在が気にかかってしまうという事が多いらしい。
上級貴族は平民である侍従を空気として捉えている者が一般的だが、そこまで行くと今度は平民の侍従を伴うという発想が無くなるらしく、やはり講義室間の移動などに侍従を追従させる事は少なくなる。
そして、平民とはいえ他人の侍従である以上、学生たちは自分の侍従以外には何かを命じてはいけないという不文律がある。
学力順にクラスを分けるため、学生としての立場は身分の差を考慮しないという一応の決まりがあるのだが、そうすると上位クラスだが自分より下級の貴族家の者に侍従を使って嫌がらせをするというような輩が出て来てしまうためだ。
……しかし、不文律は不文律である。これは貴族側の分別によって成り立つルールであって、明確な規則として存在している訳では無い。
分別の無い貴族のせいで上級学習院の方にまで向かわされてしまったというレカを探して、学園の広大な敷地に馬を走らせる。
上級学習院は成人の侍従を伴う事が許される場だ。子供であるレカがそこへ紛れ込めば、主人の庇護の外にいる平民と見做される。運悪く心無い者に遭遇すれば何かしらの事故さえ起こる可能性もある。
──流石にこうもエリックとの対立が明確になると、子供でも貴族らしいというべきか、他の学生達も徐々に派閥を形成し始める。
王太子とグレイスが長く学園を不在にしているのも原因だが、悪影響が出て来る段階にまで時間が経ってしまったらしい。派閥が出来ても元来王太子の側近という立場にあるエリックと総帥の孫は影響も受けずに我関せずといった態度だが、私はその煽りをもろに食らっている。
現在の状況としてはジークハルトを含むと見做されているカルディア派が今のところ大多数を占めているらしく、彼らによって少数者であるエリック派の学生達が至る所で被害を受けているらしい。
具体的な例としては、講義や食堂の席の独占等だ。数の力を利用して、エリック派の人間を隅の方に追いやったり、同身分の者を下座に座らせたりしているという。
この派閥争いには一切の思想が絡んでいない。ただ数の優位や旗頭の地位の高さを利用する事で誰かより優位に在ろうとする、非常に貴族的な欲望による権力ゲームでしかないからだ。
それに名前だけの旗頭として担ぎ上げられた方としてはたまったものではない。
何しろ、私には何の恩恵も無いのに、迫害を受けたエリック派の人間の悪感情は私に集中するのだ。
その結果が不文律の筈の従者を利用した嫌がらせである。口汚い罵り言葉を小さく吐き捨てて、私は馬の手綱を繰った。