14 気が付けば家族ぐるみのお付き合い
「……ん、美味だな。まさかフォーシュバリ地方の魚介類が王都で食せるとは思わなかった」
「そう?気に入って貰えたなら良かったよ。魚はなかなかね……こういう機会でもない限り、あんな田舎から魚なんて王都に運ぶ事なんてないからね。海から上がったばかりだともっと美味しい食べ方もあるんだけど」
「鮮度が必要なのか」
「うん。身を薄く切って、炙って、リューム酢を掛けて食べるんだ。さっぱりして凄く美味しいんだよ」
「ゲールベリーとオィノセラオイルのソースで食べても美味しいですよ」
リュームとゲールベリーは北方からフォーシュバリ、ウガリア地方で栽培されている酸味の強い野菜で、果物のようにジャムにしたり、酢に加工したり、或いはパイの具等にしたりして食べられているものだ。
なるほど、と頷きつつ、その時私の脳裏にはレモン汁を掛けたかつおのたたきが鮮明に蘇っていた。もうゲームのシナリオすら碌に思い出せないのに、本当にこういうどうでも良さそうな記憶ばかりふとした瞬間に浮かんでくるのだから、自分の頭といえど呆れるしかない。まあ、記憶の主である女にとっては死ぬ直前に暇潰しとして遊んだゲームなどよりも、日々の生活で出た食事の方がよっぽど馴染みもあって重要な記憶だったのだろう。
「で、これがリュームのパイ。食べた事、多分無いよね?」
「ああ、知ってはいるが、実際食べた事はないな。一切れ頂こうか」
はい、とパイを取り分けてくれたゼファーがルーシウスと顔を見合わせて何だか笑いを堪えているような気がした。訝りつつもパイを口に入れ、咀嚼。
「…………、…………すっ……!!」
途端に口の中に広がった強い酸味に、思わず酸っぱい、と声を上げそうになった。それくらい強烈な酸味がした。えぐい。いや、灰汁っぽいえぐ味がそれほど強い訳ではないが、酸味の強さがえぐい。
私の様子を見たゼファーが声も無く爆笑している。一瞬睨みそうになったが、思い直して表情を取り繕い、残りのパイを平らげた。パイ生地がかなり甘口に味付けされているので、一度酸味の強さを分かってしまうと後は美味しく食べられたのだ。
「カルディア、どう?美味しかった?」
「……酸味に驚きはしたが、そうだな、美味しかった」
「初めてリュームを食べた人は皆さっきのカルディアみたいな反応をするんだ。ごめんね、でも凄く酸っぱいって先に教えるとそこまで酸っぱくないように思えちゃうらしくて。そのパイはリュームの酸味が主役なわけじゃないから」
「リュームは幼い子供には食べさせてはいけないので、フォーシュバリ地方では皆準成人を迎える頃に初めて食べるんです。僕もつい先日初めて食べたばかりなのですが、伯爵と違って酸っぱいって大声を出してしまいましたよ」
そうなのかと私は相槌を打って、口直しにとルーシウスが差し出してくれたワインを受け取り口に含んだ。美味しかったのは美味しかったのだが、やはり酸味の強さのせいで口の中に唾が溢れている。
……これは、あれだな。是非私の影であるラトカにも一度食べさせねばなるまい。私一人だけでこんな酸っぱい思いを味わってたまるか。いや酸っぱくても美味しいのだけれども。
「ゼファー様、ルーシウス様」
そこへ、一段落したと見たのか成人を迎えてすぐ頃の少女がドレスの裾を捌いて近寄ってきた。
ドレスに入った紋章を見る限り、どうやらモードン家の傍流の娘らしい。ゼファーとルーシウスは血族を暖かく歓迎すると、簡単に私を彼女に紹介した。ただ、相手の身分が低すぎるのか、彼女の事は縁者のイェルチェとしか紹介されなかった。
「それで、イェルチェ。どうしたの?」
「ホールにいらっしゃる当主様からお言伝でございます。そろそろ舞踏会場であるホールに戻って来るように、との事です。お二人ともパヴァーヌが終わったらすぐに大食堂へと去ってしまって……特にルーシウス様、貴方は本日の主役ですから、もう少々ホールでお過ごし下さいね」
ゼファーとルーシウスは揃って曖昧な笑みを浮かべた。……ええと、分かりにくいが、それは面倒がっている表情だな?モードン辺境伯が貴族院で宝飾税の話が出る度に浮かべているのを見た事があるぞ。
「……まあ、誕生祝は基本的には舞踏会だからな」
ぼそりとイェルチェに同意を示して呟くと、ゼファーが良い事を思いついた、というような笑顔でぱっと私の腕を掴んだ。ん?
「カルディア伯爵もご一緒にどうぞ。今夜は我がモードン家に連なる、麗しい姫達が多く集まっておりますので、気に入った娘がおりましたらどうぞ私にお声をお掛け下さい」
「……結構だ。私にはラスィウォクという貞淑な妻が……という冗談はさておき、ホールには私も共に行こう。折角モードン卿から招待を頂いたのに、ずっと食堂に居る訳にもいかないとは思っていたところだ」
最近講義で読んだ古典文学の台詞をなぞらえた冗談に半分乗りつつ席を立つ。ホール側の社交は面倒ではあるが、ゼファー達よりは慣れている事だし、友人として付き合ってやるのも悪くない。
というか、その台詞は自分の血筋の娘を娶らせようとして言ったものではなかったか。男物の礼装を着ている身ではあるが、私は嫁を取る予定は無いぞ。
「伯爵、ラスィウォクとはどなたの事でしょうか?」
「私の飼育している狼竜という魔物の事だ。勿論、貞淑な妻というのは冗談だが」
楽団の奏でる音楽に彩られた舞踏会本会場にゼファー達と連れ立って訪れると、令嬢たちが素晴らしい速さでこちらへ寄って来て、あっという間に包囲された。戦であれば死んでいたと思うほどその勢いには迫力があった。ある意味武器を持った敵兵に迫られるよりも怖い。
……ホスト側とはいえ、ゼファーとルーシウスはこれ程までに令嬢達に人気があったのかと今更認識を改める。学習院ではあの人間離れした美貌の王太子とその取り巻き達に霞んでしまっているが、父譲りの銀髪と美しい天鵞絨色の瞳に印象付けられた華やかな容姿は、確かに令嬢達の憧れの的になるだろう。いや寧ろこの容姿で目立たない方が異常な事態なのだ。つまり王太子のあの容姿はやはり異常だ。
御令嬢達の邪魔にならないよう、とそっとその集団から抜け出そうと半歩下がる。
「あ、あの、ゼファー様。こちらの方は?」
が、何故か下がった分だけ距離を詰められ、しかもゼファーに紹介をねだる声まで上がった。ええ、何故私が。二人しかいないホスト役からあぶれても壁の花になるまいと必死なのか。
ゼファーが私を自分の学友としてご令嬢達に紹介する。悪評が十分に伝わっているのか、成人している年頃の令嬢達は扇で顔を隠したりしながらそっと半歩引いたが、準成人の御令嬢達は何故か更に詰め寄ってきた。
「え、エインシュバルク伯爵、私と一曲ダンスを……」
「いえ、あの、どうか私と踊ってくださいませ」
「ちょっと!あなた方は先程モードン辺境伯と踊りたいと言っていたでしょう!」
「伯爵、サラバンドはお好きでしょうか?私、サラバンドのステップには自信がありますの」
う、と一気に捲し立てられるダンスの誘いに気圧されてついもう半歩後ろに下がった。今度は一歩分距離を詰められた。
「流石、王都を賑わせている伯爵ですね。僕みたいに憧れる方がこんなに大勢」
感心しつつ喜んでいるような調子でルーシウスがそう評した。いや、私のような悪評まみれの貴族に憧れるような奇特者は恐らく君だけだ。王都を賑わせている話題は主に私の残虐性についての事で、憧れの入る余地は普通無い。
見てみろ、御令嬢達のこの戦場に立つような表情を。これはきっと良くも悪くも話題性のある私と取り敢えずどうにかして繋がりだけ作っておくべしと考えている貴族の差し金とかその辺だろう。