13 辺境伯はやり手
辺境伯、というものは、アークシアの貴族社会においては上級貴族として分類される。
辺境伯に与えられる役割は基本的に国家として要所の保持となるものだ。例えば王都の宮廷貴族であれば財務等の重要な仕事の副官以上の役割を、領主貴族であれば国境に面した最重要防衛拠点や国の食料のかなりの割合を賄う大穀倉地帯、或いは貴族院で指定された希少産出物の産地等を任された者が辺境伯位を与えられている。
故に辺境伯以上の貴族は、伯爵位の貴族と比べるとその総数は桁が異なる。一握りの大貴族だけがその爵位に名を連ねるのだ。
モードン辺境伯領はその希少産出物の産地の代表的な具体例である。先々代までは単なる下級伯爵領として扱われていたが、領地開発によって様々な宝石が産出されるようになり、中でも二つの希少な宝石、エスマラートとヴァールダリアのために辺境伯へと叙爵されている。
「今夜は来てくれてありがとう、カルディア伯爵。普段は私が一人で寝泊まりする程度の邸だから本当に小さな規模の夜会だけれど、楽しんでいってくれると嬉しいよ」
「いいえ、ご子息の誕生祝にお招き頂けて光栄です、モードン卿」
美しい深藍の瞳に色を合わせた一級品のヴァールダリアを縫い付けたジュストコールに身を包んだモードン辺境伯は、相変わらず私と同い年の息子が居るとは信じ難い若々しさで華やかに笑む。
その後ろに聳え立つ、城のような建物。敢えて私は彼の寝泊まり云々という言葉には触れないでおく。
国内有数の上級貴族の街屋敷だ。その大きさと価値は子爵上がりのしがない下級伯である私の価値観では測るのもおこがましい。
「……それで、なにゆえに私は裏口からの入場なのです?」
その、素晴らしいお屋敷の裏口に、何故か私は通されていた。辺境伯は悪戯っぽく笑みを変え、それからてへっと可愛こぶった挙句、
「実は本日の主役こと私の愛息子、ルーシウスは君のファンなのだって。少しばかり来年の入学に関して、学習院の話でもして貰えないかと思ってね」
等と言い出す。私は頭を抱えた。
王都に頻繁に出入りしている筈なのに、辺境伯の行動はどうにも少々変わっていらっしゃるというか、マイペースというか、……言葉を選ばずに言うなら突飛なところがある。
こんなに容姿端麗で物腰も柔らかいのに、彼が王都の社交界の華の一輪に過ぎない存在として扱われるのはその性格のせいだろう。彼はどうにも気さく過ぎる。在地の領主貴族としての性格が強すぎるのだ。
「そういう事はもう少し早く相談して頂きたかったのですが。贈り物ももうそちらの家の方に預けてしまいましたよ」
「いいよ、別に。贈り物は君なんだから。貴族たちの集まる少しの間、子守りをしてくれればそれで」
「勝手に贈られても困りますよ。……それにしても私のファンとは変わったご子息ですね。売った名は悪名しか無い筈ですが」
軽口を叩きながら、ルーシウスが控えているという部屋に案内される。
その後ろを無言でついてくる侍従三人の子供達から随分戸惑ったような気配が伝わってきた。辺境伯は少し変わった人だと事前に知らせておいたが、王都の貴族の子供としか面識の無い彼らには少し変わっている程度では済まなかったらしい。
控えの間には緊張で顔を青くさせたまだ小さな子供と、それを兄らしく宥めるゼファーが居た。
子供の方はルーシウスだろう。父譲りの銀の髪に、ゼファーのものより更に色の明るい翡翠のような瞳で、但し顔立ちは母親似なのか何とも可憐で少女めいている。
「……ああ、兄様。やっぱり僕、だめです。挨拶の事を思うと、胸が痛くて耐えられません……」
「大丈夫だって。ルーシウスはちゃんと出来るよ。去年の僕よりずっと上手だ。家庭教師もそう褒めていただろう?」
「でも兄様、僕いつも夫人におどおどしないで兄様みたいにはっきり喋りなさいって叱られます……上手く喋れません。やっぱり無理です」
「挨拶の時には父上も僕もついているよ。だからそんなに心配しなくても大丈夫だから、落ち着いて。はい、息を吸ってー、吐いてー、吸って―、吸って―、吸って―」
言われるままに息を吸い込み続けたルーシウスは、限界まで肺を膨らませたのかげほげほと咳き込んでしまい、涙目でからかったゼファーを睨みつけた。それを涼しい顔で受け止めるゼファーの悪戯っぽい笑みは、先程見たモードン辺境伯のものに瓜二つだった。
あまり似ていない印象だったかが、見比べると似ている。普通逆じゃないのか。
「ゼファー、ホールに出る前にルーシウスの機嫌をあまり損ねると大変だよ」
くすくすと笑いながらモードン辺境伯がそれに声を掛ける。
父上、と気気付いて振り返った兄弟は、辺境伯の後ろの私を見るなりぎしっと固まった。裏口からクラスメイトが父親に連れられて突然入ってきたら、まあ驚くのも当たり前だろう。
その上私はゼファーからの招待を断っているしな。それについては完全に彼の父君のせいではあるのだが。
私はどうするべきか迷いつつ、とりあえず固まったままのゼファーに手を振った。
「……カルディア?」
「こんばんは、ゼファー」
「え、え?何で?今日は先約があるからって……」
「ああ、だから、先約だよ。悪戯好きのとある辺境伯からご子息の誕生祝にご招待頂いたのだが、招待状に何故かご子息にはその事を伏すように書いてあってね」
すまなかったな、と数日前に招待を受けた時の事を謝った。いや、そんなにまじまじと見られたところで私も辺境伯が何を考えているのかはさっぱり分からない。私だって困惑しつつもこれまでの付き合いで乗らざるをえなかっただけなので、何か言うなら父君に言ってくれ。
「……父上?」
「ん?私の友人に私が招待状を送るのは当然だろう?」
実に良い笑顔でモードン辺境伯は言い切り、私は呆れて思わず瞼を伏せた。だめだこの人、ただ愛息子をからかうためだけに動いている。
ただ、そこにはちゃんと親子の信頼関係が見て取れた。ゼファーが父君の何の意味も無い悪戯を、不満顔ながらも許容しているのが部外者である私にさえすぐに分かる。
それが少しだけ羨ましかった。
余談だが、ゼファー曰く上がり症らしいルーシウスは私と世間話をするどころではなかったらしく、結局私はゼファーと適当な話をして時間を潰す事になった。
プレゼントの直渡しは結果的にはしなくて良かったという事なのだろう。おそらくあの様子では、彼は招待客への挨拶もままならなくなっていただろうから。
その後緊張もどこへやら、ルーシウスは興奮状態を良い方向へと働かせて招待客たちに見事に挨拶して回っていたので、今回は息子達の事を良く分かっているモードン辺境伯が一枚も二枚も上手だったらしい。変わっているとか思って本当に申し訳なかった。流石はやり手の辺境伯である。どうしようもなく子煩悩だけれども。