11 大公家の事情・2
「……大公家の奥方について、どの程度知っている?」
紅茶が完全にカップから空になった頃、漸く伯爵はそう切り出した。
「グレイス殿の母君が正室、エリック殿の母君が側室として、大公閣下がまだ王族籍だった頃に持った妻であると聞き及んでおります」
「側室のマルリーン殿は元はプロヴェンツァーレ家……ゼルエルテルツィヴィヒア候爵家の分家筋の出身で、正室のオティーリア殿はザスティン公爵家の出身だな。殆ど時を同じくして大公閣下の室に入り、同じく子も一年と変わらずに生み落している。二人の関係がどのようなものだったのかは、詳しくは分からん。マルリーン殿は殆ど城から顔を出さなかったのでな」
「ゼルエルテルツィヴィヒアの……」
「元属国の王女格の人間だな。王家と独立侯爵領の結びつきを深めるための婚姻だが、当時の侯爵から恭順派の動きが広まったためやや迂遠なものとなったようだ」
赤の山脈の山間に位置する独立侯爵領は国内でもかなり特殊な土地だ。エリックの出自にそんなルーツがあったとは知らなかったな。
まあ、エリックのあの気性の激しさがゼルエルテルツィヴィヒアの血に由来する精神疾患だという事でもない限り、あまり役に立たなそうな話だが。
「それはさておき、側室とはいえそのような立場のマルリーン殿は、殆ど正室であるオティーリア殿と同じように扱われていたようだ。エリックが正室の第二子よりも上位に扱われているのはそういった理由からだろう」
そういえば、グレイスから少し前に弟の誕生祝への招待状を一応受け取ったな。大貴族らしく盛大に招待状をばら撒いていたのであまり気にしてはいなかった。
エリックとの関係がある以上、辞退しようかと考えていたが……。
「扱われていた、という事は、今は違うのですか?」
「マルリーン殿は五年程前に亡くなられておられる」
私は無言でテレジア伯爵を見返した。
「……それは存じませんでした。正室と同等に扱われている大公家の奥方が亡くなられたとするには、あまりに知られていないようですが」
大公家や王家の情報は一般的な常識として頭に入れてある。そこから漏れているという事は、この情報は本来ならば私の身分には降りてこない筈のものなのだろう。
「大公家はマルリーン殿の葬儀を内々のものとしてひっそり済ませた。事実も関係者にしか伝えておらぬようだな」
「それが、エリック殿のあの振る舞いに関係していると?」
「断言は出来ぬが、エリックの悪評がじわじわと聞こえるようになったのはマルリーン殿の葬儀の後の頃からだ。生母を失い、複雑な立場に一人でいる以上、性格が歪むのはおかしな事ではなかろう」
……性格が歪む、のところで伯爵が私を何とも言えないような目で見たような気がした。私の場合、歪んだのは親を消してからの話ではないので、エリックの事情とは別件である。
「正確な所は不明、という事でしょうか?」
「儂にはな。大公家とは繋がりらしき繋がりが殆ど無い故」
テレジア伯爵はそれで話を切り上げて、もう冷めてしまっているであろう紅茶を飲んだ。
これ以上に踏み込んだ情報が欲しければ、自分で探るしかない、か。折角手元に大公家の人間の揃う機会に立ち会える招待状があるのだから、利用しない手は無い。スケジュールをまた調整する必要があるな……入れ替わりが無くなって暇のあるだろうラトカに全て任せてしまおうか。
午後からの余った時間は予定通り、貴族院に出席した。
春の貴族院はあまり人が居ないため、それほど重要な議題は扱われない。やっている事といえば常設の国家予算案の確認だとか、宮中の人事案だとか、そのような程度の事が殆どそのまま流されていく。
特に大した用事も無いのにそんな暇な貴族院に顔を出したのは、学習院から外へ出たついでに情報収集を、と考えたからだ。貴族院は貴族と情報が一挙に集まる場で、その日の議題に用が無くともそこへ出席する諸侯に用がある。
「御機嫌ようございます、ルクトフェルド伯爵」
「おお、エインシュバルク伯爵ではございませんか。御機嫌よう。学習院での生活の方はいかがですかな?」
「日々新鮮な気分を感じるばかりです。同じ年頃の人間があれほど傍にいる事は今までに一度も無かった事ですから」
真っ先に見つけられた私が話し掛けられそうな貴族はルクトフェルド伯爵だった。
彼の領地は国内有数の軍馬の育成地であり、カルディア領軍の馬も最初はそこから賄って頂いた。伯領軍の退役兵士に乗馬を含む騎兵の育成指導もして頂いていたため、私にとっては付き合いはかなり古い相手である。
「本日はどうなさったのですか?議題はカルディア領にそれほど関わりのある事ではなかったかと思いますが……」
「実は、本日はルクトフェルド伯に少々相談したい事がございまして。我が領で受け入れを行ったシル族の馬についてなのですが……」
まだ輸出するまでに至ってはいないが、カルディア領内の馬の頭数は年々増えている。ルクトフェルドのものよりやや小柄なシル族の馬は長い行軍や馬車の牽引にはあまり向かないが、瞬間の速度や小回りの良さといった軽快さがより騎兵に向いていると戦場で高い評価を得たので、最近ちらちらと売って欲しいと声を掛けられるようになった。
つまり、ルクトフェルド伯にとってカルディア領は商売敵となる可能性があるという事だ。
伯爵はやや困惑した表情を浮かべつつも、「お話をお伺いしましょう」と隣接する休息室に私を誘ってくれた。
正直な話、馬については伯爵を会話に釣る為の餌で、本題としては戦場に馬を輸出する彼が持つ東国境の情報だったのだが……。
戦馬育成産業について、思いの他話が弾んでしまった。シル族の馬とルクトフェルドの馬を上手く掛け合わせてより戦馬として扱いやすい馬を作れないか、と、先五十年単位の大きな計画となりそうな品種改良案に話が発展してしまったのが原因だと思う。
勿論本題の方もきちんと果たしておいた。
彼との会話のおかげで、膠着状態の東国境では王軍の下級兵を中心にやや統制が乱れ始めているという事が分かった。
万単位の兵士を占領した敵国の地に何日も留め置いている状態だ。こちらから襲撃を仕掛けられない以上、いつリンダール側の襲撃があるかと常に備えばならないのもストレスとなっているだろう。
……従軍する兵士達の鬱憤が吹き上がるのも時間の問題だ。一応エルグナードには伝えておく事にする。王軍の統制に彼は関与していないから、どこまで効果があるかは分からないが。