07 模擬決闘
刃を潰した細剣の切っ先を、相対する総帥の孫の喉に定めて水平に構える。
普段は剣といえば幅のある剣ばかりを使っているので、細剣の技術は本当に教養程度しかない。
対して洗練された優美さで体の前に立てるように細剣を構えた総帥の孫ことジークハルトは、将来王の近衛騎士団に入るべく、宮廷剣術である細剣の技術の英才教育を施されている。
「行くぞ」
「どうぞ」
軽い作りの細剣同士の闘いは、基本的に高速戦闘だ。
行くぞ、と言いながらも、ジークハルトはじりじりと私の隙を狙ったまま、すぐには斬り込んで来ようとはしない。
いくら軽いと言っても、細剣の構えを保持するには腕の筋力が必要になる。このまま睨み合っていても、筋力で劣る私が不利になるだけだろう。そう考えて私から踏み込んだ。
剣が弾かれ、そのまま振るわれた切っ先を避ける。避けては斬り掛かり、弾いては距離を取り。ヒュ、と刃が潰されてるとはいえ、洒落にならない音を立てる刀身が肩目掛けて突き出されるのを咄嗟にコートの裾に絡めて払い、そのまま距離を取って体勢を立て直す。
……流石はこの国の頂点に立つ武門貴族の跡取りと言うべきか。
剣の型に全く隙が無い。扱いを熟知している何よりの証拠だ。
「綺麗な動きだな、ローレンツォレル」
「これでもそれなりに稽古は積んでいるから、な!」
一足飛びに斬り掛かってきた彼の刃を避け、剣先で彼の剣を絡め取る。本来であればそれを払って一度下がるのが宮廷剣術の細剣の扱い方だが──反射的に、私はそのままジークハルトの懐へと踏み込んだ。
「なっ!?」
ギュリ、と耳障りな金属音が鳴る。互いの間で縦に交差した細剣を、私よりも力で勝るジークハルトは押し返すべく力を込める。それに逆らわずに一気に体を引くと、ジークハルトは僅かに体制を崩した。
その動きを加速させるべく、私は斜めに再度踏み込み──彼の片足を勢い良く蹴り上げる。
バシッ、という気持ちいい音がして、分厚いマットの上に総帥の孫が顔面から転んだ。反射的に地面に両手をついた彼の背へと細剣の先を突き付けたところで、講師が「そこまで!」と声を上げる。
私は剣をおろし、そうして今のが模擬決闘である事を思い出して、今すぐ頭を抱えたくなった。
──いけない。今のは完全にやり過ぎだった。つい、無意識に慣れ親しんだ動きを選んでしまったが、それはやってはいけなかったのだ。
「……え、は?」
総帥の孫は酷く混乱した様子で呆然と私を見上げた。
大丈夫か、と声をかける。頭でも揺らしたりしていないか、と自分のやった事の結果に頭から血の気が下がっている。それでも尚黙ったままの彼に、立ち上がれないのか、と質問を重ねながら慌てて手を差し出すと、漸く彼は私の手を掴んで身体を起こした。
「すまない、つい……怪我は?」
「いや、大丈夫だが……」
困惑した様子で、僅かに高い位置から総帥の孫が私を見下ろす。何か言うべきだろうか、と口を開いた瞬間、講師が「カルディア伯!」と私の名を咎めるように呼んだ。
「ああ、カルディア伯爵。何だね、今の品の無い剣術は?」
講師の呆れかえったと言わんばかりの声に、ああやはり、と自省する。静まり返っていた稽古場が俄にざわめき始めた。
「剣術とは、もっと優美で、正々堂々としたものでなければならない。そのような平民の兵士のような戦い方を、貴族である貴殿がする事は罷りならぬ!」
「……申し訳ありません」
今のは私が悪い。つい普段の調子で剣を振るってしまった。……総帥の孫が強くて、そうしなければ勝てないと分かってしまったからだ。
何しろ、今行われた私と総帥の孫による模擬決闘は、初めて行われた宮廷剣術の実技授業で他の生徒達への手本として行われたものである。
そこに勝つために宮廷剣術で使われない実践剣術の動きを使ってしまったら、手本として成り立たなくなる。どころか、相手は宮廷剣術のみの戦いである事を前提としていたのだから、完全にルール違反だ。一方的に私が悪い。
「──ふん。平気な顔で武器を持たぬ者を惨たらしく殺せる冷血伯爵と名高いだけあって、やはり卑怯な真似をするのだな。そのように醜く、矜持も無い勝ち方をして。まるで卑しい平民のようだ」
嘲笑うようなエリックの声が落ちて来て、次の瞬間エリック!とジークハルトが声を荒げた。ジークハルトは今の私の動きが戦場で実際に必要となる事を知っている側の人間で、今の侮辱を聞き逃す訳にはいかなかったのだろう。
「エリック、流石にその侮辱は無い。今の言葉、すぐに取り消せ!」
「いや、ローレンツォレル、待ってくれ。今のは私が悪かったから……」
落ち着いてくれ、と小声で彼を宥める。流石にこの状況はまずい。王太子の将来の側近である総帥の孫とエリックが怒鳴り合うなど、外聞が悪過ぎる。
「だが今の言葉は、戦場に立つ兵士達への侮辱だ。許せはしない」
「例えそうだとしても彼にとっては事実だ。私は確かに手段を選ばないし、先程の剣も元々は平民に習ったものだ。それに、私がこの場において卑怯な手を使った事に変わりは無い。すまなかった」
総帥の孫にだけ聞こえるように小さな声で喋ったが、私がエリックの嘲りを受け入れた事は誰が見ても明らかだったのだろう。ますますクラスのざわめきは大きくなって、「静粛に!」と講師の貴族が声を張り上げる。
こんな日に限って公務で王太子とグレイスが居ないので、普段ならすぐに収まる騒ぎになかなか収集がつかない。
……ああ、これはまずい。
彼にとっては『名誉を守ろうとしてやった』友人の筈のジークハルトに怒鳴られたのが、エリックの幼い矜持を確実に傷付けた。なのに今、誰も彼を宥める存在がいない。
「……っ、何だよ、ジーク!お前こそ卑怯な手を使われたからって、あっさり負けた癖に!」
案の定、癇癪を起こしたエリックの怒鳴り声が返ってきて、私は思わず天を仰いだ。
カッとなった子供は思ってもいない事をつい口にしてしまい、度々それが元となって大喧嘩にまで発展する──という事は、既に学習済みの事である。
「…………何だと」
怒りに満ちた低い声が、ぽつりと総帥の孫の口から聞こえてきて。
私はこの大失態を引き起こした自分を、心中で散々罵倒するしか無かった。