06 二通りの挨拶
「僕の父上と面識が?まさか。本当に?」
「勿論本当だ。君のお父上には随分良くして貰っている。私は君宛に誕生祝のお祝いを送った事もあるが」
学園の明るい廊下を大食堂に向かって歩きながら、漸く会えた探し人──モードン辺境伯の息子、ゼファー・モードンとの会話に興じる。
美しい銀の髪に、父君のそれよりもやや緑みを帯びた瞳──やはり、見れば見るほど何故今まで彼に気が付けなかったのかと困惑してしまう。王太子のインパクトと引力が強過ぎて、見過ごしてしまっていたのだろうか。
「……あ、もしかして焼菓子の詰め合わせを?」
「そうだ。良く分かったな」
「毎年、あれが届く度に自分の親愛なる友人からだ、と父上がとても上機嫌になるんだ。王都の貴族だとばかり思ってたのだけれど……」
「私の領には特産らしき特産が無いのでな。それに、菓子類を買うなら王都のものに限る」
へえ、そうなんだ、とゼファーは柔らかく微笑んで相槌を打った。
表情はあまり父君には似ていないな、と、つい見知った存在と比較してしまう。……どちらかと言うとその含みの無さそうな穏やかな笑みは、もっと身近にいた存在を思い出させる気がした。
どうにも雰囲気が似ていて、調子が狂いそうだ。
大食堂に近付くにつれて、廊下に他の学生が増えていく。
ゼファーは気にしていないようだったが、悪評のある私と親しげに会話をしている彼には明らかに好奇と悪感情の入り混じった視線が集まっていた。
「……ああ、そうだった。すまないが、昼食の前に少し図書室に用事があるんだ。また後で」
適当な曲がり角でそう言って彼から一歩離れる。このまま二人で大食堂に入るのは、流石に注目を集め過ぎそうだったからだ。
モードン家は王都での存在感や影響力はあまり強い方ではない。王都から地理的に遠すぎて、モードン辺境伯が王都に滞在出来る時間が限られているせいだ。
けれど宝石の一大産出地であるモードン辺境伯領は、王都を拠点にして商人と取引をすることによって稼ぎを出している。王都内で余計な不評を立てるのは、出来れば避けたいだろう。
商人の間でそれなりに立場を固めた辺境伯本人ならまだしも、学習院の中という隔絶された環境でゼファー本人に付いた印象が卒業後にどう影響するかは測りかねる。
「そうなの?あ、いや……うん。ではまた後で、カルディア伯しゃ……エインシュバルク伯爵」
小首を傾げたゼファーだったが、他の学生の視線に気が付いたのだろう。納得したように頷いて、ひらりと手を振る。
「モードン、カルディアのままでいい。エインシュバルク家の伯爵と区別が付かなくなるから」
「ああ、そうだね。あー……僕もゼファーと呼んで欲しいな。父上の事と混乱しそうだから」
「そうさせて貰おう」
頷いて、彼に背を向けてから。
喋り方がどことなく似ているんだな、とふと気が付いた。父君と同じような言葉遣いの筈なのに、不思議とそう感じるのだ。雰囲気が似ているからなのか、それとも喋り方がが似ているから雰囲気も似ているような気がするのか、どちらだろう?
「──おい」
背後から声を掛けられて、近付いてきた気配に反射的にコートの裾を払った。身体を反転させながら二歩分程飛び退きつつ、髪へと伸ばされていた手を布越しに払い除ける。
手の主が小さく悲鳴を上げた。視線を防がれて、軽くとは言え攻撃を加えられるとは思ってもいなかったのだろう。
「……失礼、ドーヴァダイン男爵。驚いてしまって、つい──戦場での癖が」
危うく剣を抜く所でした、と表情を凍り付かせたエリックに、私は少々厳しい声でそう告げる。
本当にもう少しで反射的に斬って捨てるところだった。ギュンターに叩き込まれた奇襲に対する脊髄反射の行動がが骨の髄まで染み付いてるらしい。
一応私はこれでも戦場に立つ人間なのだ。エリックにはそういった事情を少しは考慮して欲しい所である。
大公家の人間をついつい斬り殺すなど、全く洒落にならない事態なので。
「それで、私に何か用でも?」
「……何処に行く。昼食の時間だろう?大食堂から遠ざかって、人目につかない所で何をするつもりなんだ。誰かの従者でも八つ裂きにするつもりか?」
敵意と嘲りでギラギラしたその目を見返して、首を傾げる。従者を八つ裂きに、とはどういう意味だ?あまりに突拍子が無くて、挨拶代わりのブラックジョークなのか罵倒なのかそれとも本当にそう疑ってるのかさっぱり分からない。
「行き先は図書室ですが。灌漑工事についての資料になるものがあるか、軽く調べようかと思いまして」
「……灌漑工事?何だ、それ」
「領地に未開発の土地がありましてね。氾濫を無くし、用水路を作って人の住める環境を整えるための工事を川や湖に行うのです」
「あっそ。それはご苦労サマ」
疑問に答えてやった筈なのだが、エリックは苛立ったように短くそう吐き捨てた。
相手をしてやるのも面倒になり、それではと踵を返そうとするが、再度引き止められる。
「話はまだ終わっていない!」
「……何でしょうか?」
「アルフレッドはお前を少しは評価しているようだが、俺とグレイスはお前を信用してないからな!勘違いしてアルフレッドに馴れ馴れしくするなよ、成り上がりの下級伯風情がっ!」
勘違いするな、は、こちらの台詞ではないだろうか。
何が悲しくて自分から多方面の貴族の不興を買うような真似をしなければいけないというのか。予想外の王太子の接近に迷惑しているのは私の方だ。
「王太子殿下の深いお考えについては、所詮成り上がりの下級伯である私には図りかねます。ですが、殿下は聡明な方ですし、環境にも恵まれておりますから、この学習院での生活ですぐに身分というものを学び取る事でしょう」
「はぁ?どういう意味だよそれ?」
顔を顰めて首を傾げたエリックに、申し訳ありませんが図書室に用がありますので、とさっさとその場を離れる。
どういう意味かって?とっとと王太子に身分の差というものを理解させろ、という意味だ。
はぁ……王太子との距離を開ける為に、本当に適当に理由をつけて帰ってしまおうか。どうせ許可を出す当主は私自身だ。




