00-4 評価は良し悪し
王直属の軍が投入され、本格的な会戦となったあの大平原の戦から戦線は拡大した。
明らかな大敗北を喫したというのに、リンダール側はアークシアの降伏勧告に従わなかったらしい。
前回の戦でアークシアが捕虜とした敵兵の数は六百を超える。戦死者数は軽く見積もっても四千人だそうだ。
そこまでの犠牲を払い、捕虜を見捨てて、更に兵を送り込もうとするリンダール……というより、デンゼル公の気が知れない。何しろ会戦理由はあの第一王子アルバ―トの学習院入学が為されなかった事に対する『リンダール公族の血への不当な差別への抗議』となっていた筈である。
アークシアもアークシアだ。名目上でもアルバート王子の名を学習院の入学者名簿に登録してしまえば余分な民の血を流さずに済んだというのに。
王の直属軍まで前線に出されたとなるとその不満を表に覗かせる事すら出来ないし、リンダール連合王国という新興国家に過ぎない存在にそう簡単に従っては国家としても面子が立たないので、納得は出来てはいるが。
……実際に前線に立たされるとなると、そう思ってしまうくらいは仕方ない事ではないだろうか。
急な位置変更で、碌に他の軍との連携の取り方も分からないまま前線に出された私の軍は、負傷兵が三十人余り、死者六名という被害を既に出している。戦争だから仕方ないのだと割り切ってはいるが……ともすれば割り切れる自分を嫌悪しそうになる。
死んでしまった兵の中には、兵舎で過ごす間同じ部屋で寝ていた者も含まれていたのだ。
「それでは、次の防衛戦ではユグフェナの北部、バンディシア大高原の一角であるリトクス台地の防衛をカルディア伯爵とその領軍、及び旗下騎士団に任命する」
貴族院の長ったらしい会議の末に、王軍の総帥であるローレンツォレル侯爵から直々に言い渡されたその命令に、私は咄嗟に喜びの文句を口に出す事が出来なかった。
「……拝命致します」
下手に褒章など貰ってしまったせいで、私のカルディア子領軍……いや、もう伯領軍か。とにかく、私の軍は本格的に前線へと配置される事になってしまったらしい。後方支援のための騎馬兵として構成した筈ではなかっただろうか。
リトクス台地は平地が延々と続くバンディシア高原の南西端にある小さな台地であり、少人数での防衛でも利を生かせば上手く立ち回れる筈だ、と隣のエルグナードが小さな声で補足する。
彼がそう言うのであればそうなのだろう。クラウディアの血縁が理性的な人物で助かった。まあ、私の拙い想像以上にこの国の騎士は理性的な人間ばかりなのだが。
……配置されてしまったものは仕方がないので、領軍の部隊を指揮に問題の出ない範囲で再編成しよう。
流石に前線に立つのに、物を運ぶための編成のままにしておくわけにもいかない。
連絡兵は作戦参謀を兼ねたオスカーの隊に纏め、馬を持たない唯一の歩兵隊であるギュンターの隊と、アジールの率いる精鋭を集めた重装騎馬兵との連携訓練を戦線の間の僅かな期間のうちに行わせなければならない。
シル族の戦士達が元になったテオメル率いる軽装騎馬兵と、元から領軍で育成していたカルヴァンの軽装騎馬兵の隊、それからクラウディアとその動きに付いていく事の出来る最少人数の軽装騎馬兵で構成した遊撃部隊を私の直属部隊として纏めてしまおう。
遊撃部隊が本隊となるのはおかしい気がするが、一番機動力のあるラスィウォクに乗っているのが私なので仕方が無い。
それに戦のセオリーを知らない私よりも、ユグフェナ城砦騎士団のやり方に詳しく、堅実な作戦を立てるオスカーの方が歩兵を率いるのには向いているだろう。
「兵は出せないが、防衛に必要なものがあるならば考慮しよう。何かあるかね、カルディア女伯爵?」
ローレンツォレル侯爵の公正な判断に敬服の念を抱いた次の瞬間の、王都の法衣貴族の厭味ったらしい口振りに少しだけ気分が萎えた。わざわざ女伯爵、と強調するあたり、私の着ている騎士礼装を言外に揶揄しているのだろうな。
自分でも偶然が重なっただけだろうと思う手柄に与えられた急な昇爵と褒章は、事ある毎に囁かれるカルディア領の悪評と結びついて、ものの見事に宮廷の貴族共の顰蹙を買ったらしい。
前ノルドシュテルム侯爵が儚くなって以降大人しくはなったものの、未だに陰では小煩いままの北方貴族共にある事無い事吹き込まれているようで、敵兵の殲滅を父親の残虐なる血を引く証拠だの、血を浴びて喜ぶ魔獣のたぐいだのという雑音があちこちで聞こえてくる。
だからどうだという事も無いのだが。どうせ中央との付き合いなど、貴族院さえ卒院してしまえば殆ど無くなる予定である。
私を問答無用で死地に送り込む事も出来ない程度の権力しか無い者共の囀りに、寧ろその狂った父親譲りの嗜虐性が疼くようだ。腹のあたりがむかつくのとは裏腹に、奇妙に思考が高揚していた。
さてどうやって相手の士気を殺ごうか、と座った眼で考えていた私の頭に、その時ふと良案が浮かぶ。
まさしく残虐だと謳われた大公が行った、串刺し死体を並べるという頭の可笑しい奇策の事を丁度思い出したのだ。相変わらず、この頭に染みついたまま離れない記憶は脈絡無くその存在を主張する。
「では、処刑する捕虜を全て私に頂けるでしょうか」
「……捕虜を?一体どのような作戦にするのだ?」
訝しむふくよかな貴族を、私はただ一瞥した。
すると彼は慌てたように「やはりよい、総帥にだけ話せばよい」、と忙しなく首を横に振って着席してしまう。
その反応は何だ。
折角貴人方の期待に沿えて、兵も無駄に消耗させずに済み──そしてあのデンゼルの兵共の士気を殺ぎ、惨たらしい敗北と死を与えられる素晴らしい戦術を考えたというのに。
「悪い顔をしているな」
隣のエルグナードが私を横目に笑いながらそう言う。
「……そうでしょうか?」
「君のデンゼルへの憎しみは理解できるが──捕虜は残せよ。殲滅は今回は無しだ」
エルグナードの諌めも、中身は大概容赦が無い。散々言われる私の戦場での行動は、彼を基準にしているのだから当たり前なのだが。
印象とは本当に大事だな。だいじ、ではなく、おおごと、と言う意味で。