00-3 謁見の間
……なぜ私はここに立っているのだろう。
ローレンツォレルやエインシュバルクの上級騎士という錚錚たる顔触れの列に埋もれるようにして、私は王宮の謁見の間の玉座をやや現実逃避気味に見上げた。
そこに座す国王陛下、今私の名前を呼んだような気がしたが、幻聴だろうな?
……残念ながら幻聴では無かったらしく、誰かに背中を押された。足が縺れそうになりながら踏み出すと、そのまま列の前へと押し出される。
「行け、王の前に跪くんだ」
すぐ背後からエルグナードの囁き声がした。完全に列から進み出てしまい、戻ることは出来ずにそのまま数歩を進む。階段の上、高い位置にある玉座から私を見下ろす国王に、言われた通りに跪いた。
顔を伏せる直前に青い瞳と視線が一瞬交錯する。私も王も、そこに一切の感情を乗せなかった。
「カルディア女子爵。汝はこの度の戦場で、見事な働きをした。その功績を讃え、褒章を与えよう」
「……陛下からの言葉を直々に賜り、有り難き幸せに存じます」
無難な言葉を絞り出しながら、ぞっとするほど無機質な声だな、と妙に冷静な声が頭の片隅で呟く。
この巨大な国家の全てを支配するという、途方も無い権力を握る存在は、奇妙な程に生々しさの削げ落ちたような雰囲気を纏っていた。
……王権神授の中央集権化を宗教・法律両面から固めたこの国の王ならこうなるだろうな、と妙に納得してしまう。まるでロボットみたいだな、なんて今では最早架空の物語みたいに遠く感じる記憶からそんな比喩を引き摺り出した。
アークシアの政治は一見封建的だが、実態は全く異なる。全ての実権は王が握っていて、代理権を臣下に与えているに過ぎない。
王領伯の制度が最も分かりやすいだろうか。あれは王と上級貴族院の信頼が無ければ与えられない爵位であり、血によって襲爵する事は絶対に出来ない事になっている。
このシステムが腐らずに六百年続いているのは、教会の存在に依る所が大きい。この国の人間の道徳性は全てアール・クシャ教会の神聖教典によって統一されている。重罪を犯せば破門が待っていて、破門となると……異端者がどういう扱いを受けるかといえば、妙に現代的に整備された法体系とは完全に反比例するような。
まあ、とにかく、法律と宗教が腐らずに足並みを揃えているという状態は、随分効率が良いらしい。
話がズレた。どうにも意識が現実逃避をし始めると、どうでも良い事を際限無く考えてしまうらしい。
……ところで、私はそれほど大した事をあの戦場で成し遂げただろうか。
新兵器は確かに使えなくした。だがあれはそう威力も射程距離も無くて、ただその正体さえ分かればあれ程軍も混乱せずに済んだ代物だ。重装騎馬兵自体は壊滅させてもいない。
次にやった事と言えば左翼から拡大した白兵の戦線の端をちょっと切り取って叩き潰した事か。
これは確かに徹底的に殲滅したが、そんな事は開戦からこれまでに起きた小競り合いでエルグナードが散々やっている筈だ。分断して撃破。戦場では基本中の基本である。
その中にやや身成りの良さそうな兵士や騎士は紛れていたが、どうせあのような状況下で最前線に立たされるような者の首にはそこまで高値は付かないだろう。
王が口を開いたのは結局最初の一言だけで、後は未だにしぶとく現役でいるテレジア伯爵の兄、リーデルガウ侯爵が年老いた声で私の功績とそれに対する褒章を目録から淡々と読み上げていった。
とはいえ、功績に関してはよく分からない。軍属でいた経験など無いので、首級とか言われてもあまりピンと来ないのだ。後でエルグナードに聞いておく必要があるだろうか。
褒章は逆に分かり易かった。つまり、金と土地と爵位である。
……土地と爵位は要らなかった、とやや苦い気分になる。現在のカルディア領では新入領民の開拓村がやっと一段落して、手付かずになっていた領の東側の整備を兼ねた灌漑工事を少しず進めるだけで手一杯になっているのだ。
与えられた領土にしたって、預かる領主の人材に適任が居らず、そのまま王領に編入されていた無人の土地を僅かに割譲されただけで、何の利にもなっていない。土地面積を爵位に釣り合うようにしただけだろう。
ともかく、私は自分でもよく分からないままに、こうして新たに下級伯爵の地位を手にしてしまった。
おかしい。爵位というものは偶然の積み重ねでポンと手に入るようなものでは無かった筈なのに……。
流石に予想外過ぎるものが突然手元に転がり込んで来たとなると、混乱するのは仕方が無い事ではないだろうか。
あの乙女ゲームの直接の舞台となる学習院への入学を目前に控えた、12歳の秋の事であった。
……いやそれよりも、一年前から勃発していたアークシアとリンダールの戦争が、この一戦から激化していった事の方が私にとっては重大な事実なのだが。
ゲームの時間軸までに収まるんだろうな、この戦。戦火の拡大でカルディア領が荒れる事だけはやめてほしい。やっと他の領の文明と遜色無い程度まで領内を引き上げられたのだ──何年掛けたか。もう十年になる。
十年もの間腐心した成果を壊されては流石に堪らないので、次の機会があれば、今回よりもリンダールの兵の消耗を狙う事にしよう。
……人を甚振るのは、どうせ得意分野な方だ。




