68 薬物闇取引
フレチェの三男、コルネイユと面会をしたのは、もう秋も終わりを迎える季節だった。夏の一連の事件の混乱と後始末がようやく一段落した、そんな頃だ。
最低限の人員を残すだけにして伽藍になった王都の街屋敷の質素な応接間で、私と彼は言葉少なに挨拶を交わし、紅茶を嚥下してから本題に入った。
「……言われてたやつ、これで合ってるか?」
緊張した顔で彼が取り出した、クリーム色の塊。私はそれを受け取って、背後でベールを被ったラトカに渡す。
ラトカはそれの匂いを確かめると、私の右肩に触れた。間違い無し、という合図だ。
「問題無いようだ。ご苦労だったな、コルネイユ・フレチェ。これで君との取引は完了だ」
「……よかった。肩の荷が下りた気分だ」
彼はホッと胸を撫で下ろして、それからラトカの手の中にあるその塊に不安そうに視線を向ける。
「あの、本当に大丈夫か?だってそれって……あれだろう、王都を騒がせていた……」
「依存性のある麻薬蜜蝋、その通りだ」
「やっぱり……」
私が頷くと、彼は顔を青くさせた。私はそれに、問題は無い、と首を振る。
「明日からこの蜜蝋は『指定医薬品』として購入と所持が認められる予定だ」
「指定、医薬品?」
「そうだ。国家免許所持医師の処方指示書が必要だが、貴族であれば誰でも必要数の購入及び所持が可能になる。副作用の依存症状を自己責任として承諾させた上で、医師の指示に従って薬として扱う。そういった薬を国家が指定し、取り締まる事になった」
元からアークシアでは危険な毒薬物を取り締まる法律と体制が整っていたが、危険とみなされた薬は医薬品としての使い道があっても全て製造、販売、使用が一律で禁止されていた。折角医師の試験・免許の制度も整っているのに、薬に関する進歩が少なく病死率が高いのはそのせいだ。……とはいえこの国の平均寿命は周辺諸国のどこよりも高いのだが。
貴族の子弟は医師の道へと進むことも多く、薬物の種類不足・研究不足には誰もが頭を抱えていたらしかった。何しろ人体への有害毒性が認められた時点で、どんな病気の特効薬であろうが規制の対象になる。薬と毒は表裏一体で、そんな状況では技術的な発展など遅々として進まないままになる。
……私は大した事はしてない。周囲の大人たちに、シーズンの終わりの舞踏会でちょっと制度のやんわりとした構想を喋っただけだ。特効薬が規制されて家族を失った貴族や、薬草の育成が盛んな領の貴族なんかとお喋りした機会が多かったような気もするが。
「レンビアの花──とりわけ樹脂には、依存性も確かにあるが、規制を受けている物の中では軽度な方だ。日常用の蜜蝋として高い頻度で使用しなければそれほど影響は無い。そして、民間の医療薬として森林症候群の薬として扱われてきた歴史がある」
「森林症候群?」
「……ああ、南部ではあまり聞かない病か。森林症候群はシプレーズ科の樹木と共生関係にある魔物、綿蝶の鱗粉の吸入が原因になって気管支に炎症による呼吸不全を引き起こす病の事だ。北部にはシプレーズの森林が多く、綿蝶がかなりの数で生息している。レンビアの香りはその綿蝶避けになる上、煙には緩やかな消炎効果が認められているようだ。事前に用意した資料に薬効の方が詳しく纏められていたので、それを君の父上にお渡しさせて頂いた所、真っ先に指定医薬品として認定される事になった」
え、あ、とコルネイユは戸惑った様子を見せて、視線を忙しなく細かに動かした。私が首を傾げると、彼は酷く気まずそうに視線を下げる。
「すまない。聞きなれない言葉が多くて、半分も意味が分からなかった」
「……あ、いや。私こそ、配慮不足だった」
この世界では薬や医学は専門家の知識であるとして、用語もそれほど一般的に知られているものではない。私の頭にある前世の記憶では一般的に知られていたような単語でさえ、ここでは貴族の教養にも含まれない事が多い。
最近は医学・薬学に詳しい貴族達とばかり話していたので、その事を失念してしまっていた。……今のは私が悪いな。
「端的に言えば、レンビアは北部のある地方病の薬として役に立つんだ。蝋として加工してあればさらに使いやすい」
「随分話を単純化させたな」
「詳しい話は父君に聞くと良い。将来貴方は深く関わる事になるだろうから」
何しろ、彼の嫁となる女が相続する土地の主な産業となる事業である。他の誰でもない、コルネイユにこそフレチェ伯爵はその知識を学ばせる筈だ。
「それもそうか。──では、今回の件はこれで。御助力を感謝する、カルディア子爵」
「いいや、こちらこそ」