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63 熱狂する殺意・下

 デイフェリアスが両手を拡げると同時に、私は一直線にその女へと細剣を向けて飛び出した。

 女の腹へと向かう切っ先を、予想通りに隣から差し込まれた剣が絡め取る。焦るような舌打ちが聞こえ、それを塗り潰すように刃と刃が互いを削るような耳障りな金属音が響く。


 地面に転がる槍の石突きを思い切り踏みつけて、その穂先を跳ね上げた。それを避けようとデイフェリアスが後ろへ飛び退く。


「……ッ、このクソガキが……っ!!」


 剣を擦るようにしてメルキオールが後方へと飛んだ瞬間、背後から雄叫びを上げてラスィウォクが飛び掛かる。私はその眼を目掛けて、左手に握っていた泥をぶち撒けた。

 ギャン、と狼竜が悲鳴を上げるのを、私はごく冷淡な気分で聞いた。

 前脚で地を弾いて方向を逸れたその鼻先を、躊躇い無く剣で殴り飛ばす。剥がれた鱗がキラキラと目の前の宙を舞う。


 避けきれなかった左の肩を通り過ぎる翼が掠めた。腕があらぬ方向へと弾かれて、肩からゴキリと嫌な音が響く。

 激痛と痺れが走り、だらりと左腕が力無く垂れる感覚がした。

 ……肩が外れたか。亜脱臼ならいいが、完全に脱臼していたら少し厄介だな。


「ああ、デイフェリアス。少しばかり余計な事を仕出かしたみたいだな──」


 メルキオールが焦燥を帯びた声を上げながら、私の腿を目掛けて剣を突き出した。それを靴底で蹴り上げて弾き、男の赤い瞳を目掛けて剣先を薙ぐ。

 上半身を大きく捻るようにして顔を背けた、その勢いで宙を拡がる水を吸った黒髪を鍔に絡めるようにして乱雑に掴み、思い切り引っ張った。


 ブチブチと音を立てて髪が引き千切れる。苦痛に顔を歪めるメルキオールが慌てて髪を断ち切るのと、私の振るう細剣の切っ先がそいつの耳を浅く切り裂くのは殆ど同時であった。


「っ!!」


 僅かに漏れた悲鳴に、戦い慣れてないな、と、酷く冷静に獲物を観察していた片隅の意識が評価を下す。その上、男は私に対する殺意が薄いように感じられた。この場で殺す予定は無い、といった所か。

 好都合だ。手加減したまま死んでくれるならそれに越した事は無い。


「メルキオール!」


 短剣を手にデイフェリアスが飛び込んでくる。首元目掛けて薙ぎ払われた刃を身体を低く沈めて躱し、右腿の傷目掛けて掬い上げた泥を投げた。


「ぁぐっ、このッ!!」


 振り回された女の短剣がただぶら下がったような状態の私の左腕を斬り付ける。全く構わずに踏み込んで、下から細剣を突き上げるようにして女の顔に斬り込んだ。

 女の悲鳴が上がる。切っ先はデイフェリアスの左の面を斬り裂いたようだった。女はよろけるように私から飛び退いて距離を取った。


 迷わず私も同様に後方へと下がり、一旦二人から間合いを取る。


 同時に、コートの高い襟を強く噛み締めた。細剣の鍔を左手の指先に引っ掛けて、空いた右手で後ろへ外れた左肩を掴む。

 変形した感触は感じられない関節を、ゆっくりと前へ、下に引くように全力を篭めて戻した。先程よりも更に酷い痛みが走り、雨の如く降る水に紛れてどっと脂汗が噴き出す。ゴキン、と怖気の走るような嫌な音が身体の内側中に響き、刹那の激痛が真っ白に脳天を焼いた。


 酷い嘔吐感が一瞬にして迫り上がり、薄い胃液が微量に口の中へと逆流する。喉が灼ける感覚がした。すぐさま吐瀉物を吐き出して、再び右手に細剣を戻し、構える。

 さんざんに上がってしまった息を、無理矢理深呼吸して整えた。

 身体がふらつく。少し無茶をしすぎただろうか。


 デイフェリアスの方も、私の様子を見ながら体勢を整えていた。わなわなと震えて左の目を手で覆いながら、怒り狂った表情で、フーッ、フーッ、と獣のように息を荒げて私を睨み付けている。

 そこに最早嘲るような笑みや油断の気配は微塵も無い。


「デイフェリアス」


 その後方で、片耳を血濡れた手で抑えたメルキオールがごく冷静に女の名を呼び掛ける。


「そろそろ時間切れだ」


 女は一瞬悍ましい程の形相へと表情を歪めた。逃すものか、と地を蹴るが、デイフェリアスの方が動作が速い。不可思議な紋様を揺らめかせて、私の方へと指先を振るう。


 動いたのはラスィウォクではなく、上空を漂う無数の燐蛾達だった。

 周囲に撒き散らされる壊れた噴水の水もお構い無しに、真っ黒い塊となって私へと突っ込んで来る。思わず顔を腕で庇った。燐蛾の陰に視界が完全に閉ざされる。濡れた翅が次々と、ボタボタと音を立てて泥濘む地面や私の上に次々と墜落する。

 流石にこうも水が降る中では火の手は上がらないが、その質量に完全に身動きが封じられた。


 藻掻くように翅をバタつかせる燐蛾達の無数の音に紛れて、少女の甲高い悲鳴が聴こえた。

 ──フェイリアの声だ。思わず心中で口汚い悪態を吐いた。すぐ近くに居るはずなのに、こうも方向感覚さえ失う程の音と翅に覆われていては、彼女に手すら伸ばせない。


「じゃ──ね、──チ──ちゃ──!」


 悔し紛れのような、デイフェリアスの侮辱に満ちた怒号が微かに聴こえる。

 徐々に数を失っていく燐蛾の墜落に掠れて、二人が私に背を向けたのが見えた。デイフェリアスの腕の中に、ちらりとフェイリアらしき影も確認した。


 薄れてきた燐蛾の雨を払い退け、その死体がびっしりと降り積もったコートを脱ぎ捨てる。

 そうして、私は再度細剣を構えた。酷く陰鬱な気分で、──血走った眼で私を睨み、口から泡立った涎を吐き出すラスィウォクへと。


「ラスィウォク──」


 呼び掛けても、彼はもう地面に頭を擦り付けるような事はしなかった。

 ラスィウォクはただ狂犬病に掛かった狼のように、理性無い獣として大口を開き、真っ直ぐに私へと飛び掛かって来た。

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