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58 火急

 二人の子爵が言っている事は、どちらも誇張と嘘が織り交ぜられていた。そもそも彼等は元々酷い癒着を起こしていて、今回の件は利益を手にするための切り捨て合いが最悪の形で露出したに過ぎない。麻薬の蝋燭の密造・密売に脱税……子供の婚約を巡る諍いは秘密裏に動こうとしていた彼らが作ったカモフラージュで、どう足掻いても泥沼でしかないそこに、私は引きずり込まれたという訳である。

 いつまでもこんな茶番に付き合っていられるか。

 テレジア伯爵から横流しされたそれらの違法行為の第三者的な証拠となるものを、こちらの都合でローグシア伯爵に都合の良いように改変して、それを審判の二人に提出したら全て幕引きだ。

 ローグシア家には多大な借金が残るだろうが、後はフレチェ辺境伯が生かさず殺さずで拾ってくれる手筈になっている。たかだか2000万アルク程度の金でグリュンフェルドの肥沃な土地と大規模な養蜂施設が手に入るのなら、と三男の話を受け入れてくれたフレチェ辺境伯にせいぜい感謝するといい。


 オーグレーン家の不正は確実に主家であるノルドシュテルム侯爵家に繋がっている。尻尾切りをされる前にそれを暴き、侯爵を貴族院から引き摺りおろしたいというのがテレジア伯爵の今回の目的で、此度に於いては私は彼の駒である。


 ……ところが、その幕引きまでの僅かな時間の事だった。

 耳に微かに届いた違和感に、私は思わず顔を上げた。


「どうかなさいましたか?」


 あまりに唐突な動作だったのか、醜く言い争っていた子爵達も、その話の内容をごく冷徹に聞いていた司法公家の男と神官も、その部屋に居た誰もがふっと私を見た。

 耳の表面に触るような、遠くで上がる高い音が聞こえる。


「……外で、何か騒ぎがありませんか」

「え?」


 神官はきょとんとして、部屋の扉の前に立つ衛兵にさっと合図を下した。衛兵が扉を開く。

 ──その瞬間、部屋の中に騒音の上澄みのようなうなりが響いた。それと同時に、ザザザザ、と枯葉が掠れ合うような奇妙な雑音がぶわりと広がる。

 そこへ丁度、外から衛兵が慌ただしく駆け込んできて、「火事です!付近での出火です!どうか避難を!」と声を張る。


 ガタ、と全員が腰を浮かせた。単なる火事にしては、聞こえてくる音があまりにも異様過ぎていた。


「本日は緊急事態につき、これにて審議を閉会します。皆様、こちらへ」


 顔を蒼褪めさせた神官が先頭に立ち、オーグレーン子爵とローグシア子爵の両脇に衛兵がつく。私は混乱気味のフェイリアを宥めて、彼女の腕を引いた。書類を取りに行かせたオスカーとは逸れる事になったが、後できちんと合流出来るだろうか。そう離れてはいない筈だが。

 ……それにしても、嫌なタイミングで騒ぎが起こったものだ。これでこの件が有耶無耶にならなければいいが。


 神殿の外へと早足で出る。そこには目を疑うような光景が広がっていて、全員が息を呑んだ。


 空が赤い。夕暮れにはまだ時間があるというのに、空が赤く焼けている。街を身分で分かつ塀の向こうではあちらこちらから黒い煙が立ち上っていて、火の粉のような煌めきが数多瞬く。


「あれは……燐蛾?まさか。こんなに大量に?」


 ローグシア子爵が呆然と呟いた。私もまったく同じ気持ちで空を見上げる。

 赤い空。……無数の燐蛾が渦を巻いて、赤く見える空だ。


 ざざざざ、と波がうねるようにして群れとなった燐蛾が平民の建物を掠めると、そこから勢いよく火が燃え上がる。悲鳴がひっきりなしに響いている。ぞっとするような異常な眺めに、誰もが言葉を失った。


「一体、何が起こっているんだ?」

「とにかく避難を……この一帯は危険です」


 神官が身を翻した、その瞬間だった。

 唐突にドッと身体を強い力で跳ね飛ばされて、私は壁に打ち付けられる。背中に衝撃が走って、息が止まった。力の入らない体がずるずると壁伝いに地面へと倒れ込む。


「全員動くな!動くなよぉ!!」


 背中をぐっと何かに強く押さえつけられた。自分の真上でヒステリックに喚くオーグレーン子爵の声がする。何とか顔をそちらに向けると、黒服の男が二人、衛兵達の身体に剣を突きたてた所だった。

 フェイリアの悲鳴が劈く。ローグシア子爵が声も無く地面に崩れ落ちるのが見える。


「何を!!」


 それが司法公家の男の最後の言葉となった。ざざざざ、と燐蛾の羽ばたきの音が近づいて、彼の断末魔が掻き消される。

 神殿の庭にくすぶるようにして火が付いた。じりじりと燃え出すそれが、地面に倒れた衛兵のチュニックへと移る。舐めるように火が広がっていくのを、呆然と私は眺める事しか出来なかった。


「良いザマだ。お前等は生きたまま火に巻かれて死ねばいい!」


 オーグレーン子爵の歓喜に満ちてはしゃぐような喚き声が落ちて来て、ぐっと背中を踏み躙られ、次の瞬間左の手の甲にドス、と何か、冷たいものが──


「ぅ、あああああああ────ッ!!」


 衝動的に喉から絞り出された絶叫と共に、全身から汗が噴き出した。左手が熱い。痛みで灼ける。オーグレーン子爵の手によって突き立てられた衛兵の槍が、私の手を地面へと縫い止めている。


 子爵は哄笑を叫び、フェイリアが闖入者の黒服共の手から脱しようと抵抗する騒音をかき消す。火の音と悲鳴と燐蛾の羽音と、とにかく酷いノイズがそこに満ちて、すぐに私の手の届かない遠くへと離れて行った。

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