53 素直じゃないなと記憶に窘められる
「……成程、そちらの事情とやらは分かった。その上で幾つか言っておきたい事がある」
陰鬱な気分でそう切り出した私に、コルネイユとフェイリアが怪訝そうな顔を向ける。そんな表情を浮かべられるのも今のうちだぞ……。
「フェイリア嬢の婚約に関して幾つか調べさせて貰った。まだ未調査の部分もあるが、今分かっている結論から言おう。オーグレーン家とローグシア家の婚約解消はほぼ不可能だ」
「……何?」
コルネイユが不愉快そうに表情を歪めた。一瞬で話すのが面倒になって、オスカーへと視線を向ける。オスカーは伯爵に良く似た厳しい動作で一つ頷くと、私に代わって詳細を話し始めた。
「オーグレーン家とローグシア家の婚約には、ローグシア家の借金が関わっているのです。15年程前にあったことですが、オーグレーン家とローグシア家は奥方同士のお付き合いから結びつき、ローグシア子爵領で一つの公企業を新しく起こす事になりました。その時、資本金として融資を行ったのがオーグレーン家です。またこの融資は額が大きく、法律上両家には姻族関係が求められたため、ご子息とご息女の婚約が決定しました」
丁度オーグレーン家の子息とフェイリアが揃って生まれた頃の話である。オーグレーン子爵の妻はグリュンフェルド地方出身で、フェイリアの母とは幼馴染の関係にあった。
「過程は省きますが、この事業は失敗しました。失態を取り戻すために両家は借金を増やしていき、ここ五年ほどでようやく利益が出るようになりました。が、ローグシア家はオーグレーン家から借金を、そしてその金を貸す為にオーグレーン家は後見であるノルドシュテルムから借金をしています。まあ、単純に言えば転貨ですね」
「そんな……お父様が、借金を抱えていると?」
「ええ、そうです。そういう事情から、ローグシア家とオーグレーン家は借金を300万アルク以下まで減らさなければ婚約の破棄が出来ません。するとなれば自己破産となり、爵位剥奪、統治権の没収、領地も買収対象となりますね」
淡々とオスカーが話を進める度、フェイリアの顔は青くなっていった。じわじわと絶望が瞳に滲んでいく様がよく分かる。
姻族領の関係については貴族院の講義に含まれているだろうから、その可能性を少しでも念頭に置いておけばもう少しショックも少なかったんだろうが、まあそれは本人の見込みの甘さが原因なので私の知った事ではない。
逆にそんなフェイリアの隣に座るコルネイユの表情は対照的で、真剣に何かを考え込んでいる様子であった。まあ、フレチェ辺境伯なら息子の嫁の結納金に500万アルクくらいまでならポンと出せるだろう。自分の家の力でどの程度介入が出来るか、考えをめぐらしているようだ。
「……私の把握している事情は以上だ。これ以上の情報は事業に直接関わりの無い私では調べる手段が無くてな」
私の言葉に、コルネイユは思案に伏せていた顔を上げ、まっすぐに私を見据える。
悪くない表情だ、と思った。余裕の無さが見え透いているのはいけないが、問題を対処しようと現実を見る目をしている。
流石に辺境伯の息子というだけあるか。欲を言えば自分の周囲にも常にある程度の疑念を持って動いてくれるともっと良かったのだが。
「ローグシア家の借金は、どのくらいの額になる?」
「不明だ。限度額まで一度は届いたと考えて、この五年は利益を上げているというから、1500万アルク程度だと私は考えているが」
「1500万……」
実際にはもっと多いかもしれないし、少ないかもしれない。けれど借金の記録は当事者と貸主、それと借用証書を発行する財務省しか閲覧できないようになっている。婚約とは関係の無い所で財務省の関わらない借金や献金もあるだろうが、それは今は関係ない話だ。
コルネイユはぐっと眉間に皺を寄せた。1500万アルクともなれば、上手くすると小領地が一つ買えそうなくらいの額である。学生がそう簡単に捻出できるものではない。
「私の給与十年分ほどか。なかなかのものだな!」
今の今まで黙って話を聞いていたクラウディアが、感心したような、軽口のような調子で口を挟んだ。
騎士に叙任された彼女とオスカーの給与は伯爵の私財とカルディア領の税収から出される。年俸でだいたい150万アルク程というわけだ。
私設騎士団でなく王国に直接運営される騎士団であればもう少し高い。この国で最も位の高い騎士団である近衛騎士団なら年俸は350万アルクぐらいだろうか。国境騎士なら300万アルク程度、士官ならそこからさらに増額。
ちなみに、騎士は貴族の中でも割と高給取りな方である。一般的な男爵よりも年間単位の収入は多い。
客間に沈黙が落ちる。オスカーが何事かクラウディアへと耳打ちし、部屋を出て行った。
気付くと窓の外の日の光がだいぶ傾いている。そろそろこの客人二人に軽食を用意するべきだろうか。
どうせ今日中に学習院に返す事は出来ない。
「……一つ訊きたい事がある」
暫く迷った様子の後、コルネイユはそう切り出した。フェイリアが不安そうに彼の袖を引いたが、彼は私から目を逸らさなかった。
何か、と促すと、コルネイユはやや怯んだ様子ながらも、しっかりとした口調で私に尋ねる。
「カルディア子爵、あなたはローグシア家とオーグレーン家の婚約をどうされたいのですか。本心をお聞かせ願いたい」
まったく愚直すぎる質問だった。
……隣のクラウディアは満足そうな表情で笑っている。騎士道精神的には花丸満点の質問だったのだろうか。
「本心を聞かせろ、などという質問が他の貴族に通用するとは思わない事だ」
溜息を堪えてそう言うと、隣のクラウディアが猫のように喉の奥を低く鳴らして笑う。やかましい。ここではぐらかすと私のぷにぷにの脇腹がつつかれかねないので、仕方なくはぐらかさずに質問に答えてやるだけだ。
「……正直に言えば、私はこの婚約が履行されようがされなかろうがどうでもいい。我が領に利益がある訳でもない。が、借金を残したまま両家の婚約が破棄され、没落されるとこちらにも火の粉がかかるからな。仕方なく動いている」
流石にデイフェリアスの事まで言う訳にもいかず、その辺の事情を抜かして私の現状を説明してやる。
「つまり?」
「……円満に婚約破棄させる手筈が整えられるのであれば、どこぞの貴族子息のする事を見逃してやるのもやぶさかではない」
促されたのがやや勘に触り、ぶっきらぼうにそう言葉を吐いた。
応接間にいる全員がなにやらがっくりと肩を落とす。きっとここにカミルがいたら、「素直じゃないなあ」と小言を貰ったであろう事は、自分でも良く解っている。