50 祝福をきみへ
随分たどたどしく、曖昧な表現で、私が話した事はクラウディアについての事だった。
シル族の子供達との話でもよかったが、彼等との日常生活はあまりに貴族のそれとはかけ離れていて、目の前の少年に話して聞かせるには適さないように思った。
かけ離れ具合で言えばラトカなどもっとひどい。何しろあれと私の間にある感情が『友情』と呼べた瞬間は一度も無い。無論、話題に出来る筈も無い。
となると、私の周囲に居る子供はエリーゼとパウロのみとなる。……少し年齢の幅を広げれば、クラウディアと、それからカミルが当て嵌まる。
カミルは、不仲になるまでであれば最も友人に近い存在だったかもしれない。あいつは時と場合によって私を上にも下にも置いたが、私達が二人きりで居る時、その立場は対等だったと思う。
だが彼との記憶を誰とも知らない相手に話すのは、あまりいい気分がしなかった。
そもそも思い返してみれば、私はカミルとの間にあった事を、誰かに話した事は無い。誰かに話そうかという気持ちも、全く沸き起こる気配は無かった。
パウロは領軍の兵士で、それほど付き合いが深いわけではないし、エリーゼは病弱で話や手紙の遣り取り以外の交流は今のところない。
となると、話せるのはクラウディアの事だけになる。
まさか十歳上のご令嬢だとも言えず、私の遊び相手として家で預かっている方なのだが……と切り出してみたが、話してみると、これが全く違和感が無い事に気が付いた。
彼女と私の年齢は十つ離れている。しかし、考えても見て欲しい。クラウディアの行動といえば、日がな好きなだけ槍を振り回し、稽古に誰彼かまわず付き合わせ、馬に乗って好き勝手に走り回り、窓枠から飛び降りるような、そんな人である。他人に迷惑をかける訳ではないし、やるべき事を放り出している訳でもないが、それにしたって彼女は年齢不相応に奔放だ。
クラウディアの人となりを全く話さないままそのある意味天真爛漫な言動についてを語ると、何故か彼女が自分より年下の子供のように思えた。
「随分元気なお嬢さんなんだな、君の遊び相手は……」
聞き手に回っていた少年も半笑いでそう言い添えたので、おそらく彼もクラウディアについては私と同年代か、それより少し年下の少女を思い浮かべたに違いない。
結局ぽつりぽつりとクラウディアの話を少しばかりしただけで、その本人がすっかり気持ちを入れ替え終えて私を迎えに来た。彼女は私とは違い、気持ちの切り替えが恐ろしく上手い。緊張をほぐしすっきりとした表情でやって来た彼女は麗しい騎士そのもので、となりの少年は驚いた表情でクラウディアを見上げていた。
少年もまさか思うまい、この凛々しい騎士が先程まで話していた『随分元気なお嬢さん』その人であるなんて。
「加護を受けに来たという、新しい、騎士か?それにしては随分……なんというか、貫録のある……」
「技量はうちの領では頭一つ抜けているんだ。ずっと騎士を目指していたらしい」
「ふぅん、そうか」
少年はこくんと頷く。貫禄なんてものがクラウディアにあるのか、と思ったが、彼女の立ち居振る舞いは完全に武人のそれであり、特有のしなやかさを猫のようだと思う事はあっても女性的だと感じた事は無かった、と思い出した。それは確かに、ある種の貫録となっているのかもしれない。
「そうか……願いがかなって、よかったな……」
ぼそり、と小さく呟かれた言葉。誰にも聞かせるつもりがなさそうな声量のそれを、生憎私の耳は拾い上げてしまった。その意図が分からずに横目でちらりと少年の顔を見て、後悔する。見なければ良かった。
それはどうやら常人よりもはるかに耳の良いクラウディアも同じらしく、怪訝な顔で少年を一瞬だけ見て、そしてすぐに私の方へと視線を戻して固定した。
「……そろそろ、戻りますか」
私は誤魔化すようにそうクラウディアに声を掛け、ベンチから立ち上がる。
少年ははっとしたように顔を上げると、話せてよかった、ではまた、と声を掛けてくれる。私もそれに適当な挨拶を返すと、クラウディアを伴って急ぎ足で庭園を出た。
「……酷い顔をしていたな、あの少年」
周囲に誰も居ない事を確認して、クラウディアが小さくそう零す。その視線はたった今抜けてきた庭園へと向けられていた。
確かに本当に、酷い顔だった。
憔悴、或いは絶望を塗り込めたような、生気の無い顔。恐らく地位あるものだったと思わせる振る舞いでありながら、貴族院への入学より前に修道会へと入ったという拗れそうな生い立ちで、願いがかなってよかったとあんな表情で呟くその心中は、いかばかりか。
「彼にも事情があるのだろう」
私がそう言えば、クラウディアは遣る瀬無さそうに顔を歪め、それでもこくりと頷いた。
事情は誰にだってあるものだ。殆ど叶わないと知りながらも、騎士になりたくていたクラウディアのように。
彼女は運が良かった。二十歳まで猶予を与えてくれた親や、その存在を必要とする私やテレジア伯爵の存在があって、今日ここに騎士の装いを纏って立っているのだから。
彼はきっと、そうでなかっただけなのだろう。そして、彼同様に『そうでなかった』者は数えきれないほどありふれた存在だ。
「……私にはどうしようもない」
私には領民がいる。行きずりの縁でしかない彼を、どうにかしてやれるような余裕は、無い。
「わかっているぞ、エリザ殿。わかっている」
クラウディアは何度もそう言いながら頷いた。彼女の瞳は真摯に私を見つめていた。
本当に彼女は、妙に器用なくせして、変な所で不器用な人だ。たった一瞬、言葉も交わさなかった相手に、クラウディアは私などより余程真剣に向き合おうとした。
その美しい心が、いつか悪意に穢されるような事がなければいいと思う。
──そう、守れればいいと、思う。
「……そうだ、言い忘れていた」
「ん?」
そうだ、彼女に言わねばならない事があった。首を傾げた彼女の、女性にしては骨ばった手を取り、両手で包む。
「おめでとう、クラウディア殿。今まで、貴女には本当にいろいろと助けられてきた。ありがとう。そして、これからもよろしく頼む」
私の騎士として、とは、結局言えずに胸の内に秘めた。