48 王子
騎士団は今でこそ王国の軍事組織の一部として扱われるようになっているが、かつてこの国が成立した頃、騎士とは聖アハルを守護し、或いは共に戦うために武装した修道士の事を指したらしい。
そのため、今でも騎士の正式な礼装であるマントに教会で聖水を振りかけてもらう儀式が慣例的に残っている。宣誓の儀を行った時に見た、聖アハルの遺骸が立っている祭壇の泉の水がそのまま聖水として扱われているらしい。アハルの死後千年の間枯れない泉なので、なんとなくご利益はありそうだ。
申請した騎士団が正式に実効力を持つようになった日、私はテレジア伯爵と共に、クラウディアとオスカーを連れてミソルア大神殿へとやってきていた。
クラウディアとオスカーは今日初めてカルディア騎士団の騎士礼装に袖を通したが、思った以上によく似合っている。身分的には騎士爵な上、私設騎士団であるためマントの色は白だが、それが清冽なイメージを二人に持たせていた。
特にすらりと美しく凛々しいクラウディアは、まるで王子か何かのようにすら見える。実際、王家の者やその近衛騎士団の纏うマントは純白で、私設騎士団との違いは金や銀の刺繍が入っているかという点だけだ。
教会での祭儀なので、私も略式でない騎士礼装だが、マントは私の目の色……つまり、父オウウェの瞳の色に合わせて深緋のものだ。血濡れのようなその色を、私はあまり好きではない。
「少し来るのが早すぎたか」
テレジア伯爵が廊下に置かれた水時計を見てそう言うと、クラウディアがぴくりと反応した。
「そっ、それではあの、少しその辺を歩いてきても良いでしょうか」
珍しく上擦った声だ。顔色もあまり良くない。流石のクラウディアでも、長年の夢が叶う日には平静を保っていられなかったようだ。
ずっと騎士になる事を願っていたクラウディアは、今日の騎士礼装に袖を通した瞬間、感極まって卒倒しかけた程である。勿論卒倒して怪我をしては予定が台無しになると分かっていたのか、クラウディアはくらりと後ろに傾いだ身体を蜻蛉返りする事によって立て直した。……それは果たして立て直したといえるのだろうか。
同じく騎士になりたくていたオスカーは誇らしげな顔をしている程度なので、比較するとどれほどクラウディアが騎士に焦がれていたか分かる気がする。
「伯爵、少し気分転換をさせた方が本人に良さそうです」
「うむ……、そうだな。神官が来るまで中庭でも歩かせてやりなさい」
テレジア伯爵は若干呆れたような目をクラウディアへと向けたが、小さく首を振って許可を出してくれた。歩かせてやれ、という言葉は私に向けたものだったので、面倒を見ろという意味だろう。
私は一つ頷くと、クラウディアの袖を摘んで回廊の手摺の外へと降りた。クラウディアは大人しくふらふらと私の後をついてくる。
ミソルア大神殿の中庭は庭であると同時に通路の役割も果たしている。
大神殿は中庭を中心として東西南北に建物があり、南の棟だけが平民に開放されている。北にあるのは修道士の居住空間を兼ねた修道院で、東に大聖堂が、西に小聖堂をはじめ、宣誓の儀で入った真っ暗な懺悔室等の施設が纏められていた。
「中庭なのに……花がないな。変わった庭だ」
クラウディアがぽつりと中庭についてそう述べ、私もそれに「そうですね」と同意した。降りた先の中庭は低木と草ばかりで構成されていて、よく見ると白く小さい花を咲かせている草もあったが、どう見ても観賞用の花とは程遠いものだった。
クラウディアは暫くうろうろと周囲を歩き回り、しかし気落ちした様子で低木の影へとしゃがみ込んで溜息を吐く。本当に珍しく、緊張から気弱になっているらしい。
「……すまない、エリザ殿。少し一人にしてくれないか。私はここから動かぬので」
「はあ……。わかりました。でも、少しだけですよ」
「助かる」
気が滅入っているクラウディアを一人にしておくのは気が引けたが、本人の希望を突っぱねるわけにもいかず、私は渋々低木の垣根を二つほど、中庭の奥へと移動することにした。
中庭は奥に入り込むにつれて、垣根となっている木の背が高くなる。何本か薔薇の木もあったが、花はついていない。私はそれほど植物に造詣が深い訳ではないが、よく見るといくつかこの時期に花をつける筈の木々が他にも何本も混じっているが、花は一つも見当たらない。
奇妙に思って木々を見ると、枝先に鋏の入った跡が大量に見つかった。……花を切り落として、いや、切り取っているのだろうか。それも理由がわからない話ではあるが。
首を傾げて周囲を見回していると、北側から芝をさくさくと踏む音が聞こえてきた。北という事は修道士だろうか。
音に耳を澄ませると、その人はどうやら木々に水を撒いているらしい事がわかる。時々ざばっというどう考えても量の多すぎる水撒きの音がするので、作業自体には慣れてないようだが。
私は少し考えて、来たばかりの道を振り返った。クラウディアに時間が欲しいと言われたからには、まだ戻るのは早い。仕方なく、なるべく音を殺さないようにして、水撒きをしている人の方へと進んだ。
「……誰かいるのか?」
どうやら私のさりげない存在主張を、相手はきちんと察してくれたようだ。
問いかけられた声はギリギリ声変わり前くらいの少年のものだ。警戒の色が混じっている。修道士が大神殿の中で何を警戒する事があるのだろうか。
「庭を散策しているだけだ。構うな」
私が答えると、垣根の向こうで少年がほっと緊張を解いた気配がした。
「……子供?」
いや、そっちだって子供だろう。
胸中のみでそう言い返しているうちに、垣根を回り込んで少年は姿を見せた。
「!!」
思わず目を見開く。
初めて会った筈のその少年の顔が、見覚えのあるものだったからだ。
その瞬間が、私が初めて──
乙女ゲームでメインキャラクターだった存在に出会った瞬間だった。